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 空は刻々と、色や形を変えていく。時間の流れを示すように、人の歴史を暗示するように。

 自分の足元から響く靴の音が以前と違って聞こえ、マルスは視線を落とした。ステージであり、マスターハンドの私室でもある終点の床は、記憶にあるものよりずっと洗練されたようだ。不思議な材質の中を、淡く青い光が走っている。いかにもマスターハンドが好みそうな意匠だ。

「おかえり」

 どこまでも続く床の上、突如として姿を現したマスターハンドは、淡々とした声でそう言った。いつもそうだが、彼の言葉は実に不思議な響きを持っている。その声音は近くで囁いているようでもあり、遠くから叫んでいるようでもあった。
 マルスの全身をすっぽり包んでしまえるほど巨大な白い手袋、という奇異な見た目も相まって感情がわかりにくいが、彼は心からマルスの帰還を歓迎してくれているようだ。マルスも軽く頭を下げてそれに応える。口には出さず、ただいま帰りました、と。

「息災のようだね。ロイの手紙は無事届いたか」
「はい。わざわざありがとうございます」
「構わない。世界を創り終えてしまえば、皆が集まるまで時間を食い潰すだけのご隠居と変わりない。退屈していたんだ、メッセンジャーの真似事も悪くはなかったよ」

 他愛のない世間話をしながらも、マスターハンドは宙に浮かぶモニターに向かって何やら作業を進めている。こればかりは本人が目の前にいないとな、とぼやいているのを聞く限り、恐らく選手登録でもしているのだろう。
 ふいにマルスの足元から光の輪が立ち上り、足先から頭のてっぺんまで、身体の隅々を撫でていった。光が消え、マスターハンドのモニターにつらつらと文字列が並べられる。何度も頷くように身体を揺らしながら、彼はその文字列をどこにも見当たらない目で追っているようだった。

「今のところ問題はないな。体調が優れない場合はすぐに申し出てくれ。生活や試合については基本的に前回と同じだ。細かな変更点はその都度説明する。現時点で質問はあるかね」
「いえ、特にありません」
「では宿舎に転送する。じっとしていてくれ」

 再度足元から光が立ち上り、マルスの身体は懐かしい浮遊感に包まれた。試合でステージを行き来する度に何度も味わった感覚だ、久し振りとはいえ慣れたものだった。

  ◇◆◇

 洪水の如く溢れる光の中を潜り抜け、再び開いたマルスの視界に、懐かしい光景が飛び込んできた。かつて何度も宴会が催されたホールには、最後の夜と同じように懐かしい顔振れがひしめきあっている。入り口近くの壁の綻びも、吊るされたシャンデリアの意匠も、マルスの記憶そのままだ。あの閉会式は昨日のことで、今日に続いているのではないかと錯覚するほどに、何も変わらない。

 マルスが一歩踏み出すと、耳聡く足音に気付いた近くの数人が振り返った。その中の一人、マリオがいち早く笑顔を浮かべ、手を広げてマルスの方へと歩み寄る。

「マルス、元気そうだな」
「マリオさんこそ。またお会い出来て嬉しいです」

 マルスは腰を少し落とし、マリオのハグに笑顔で応えた。このような挨拶の習慣はアリティアにないため、最初は随分戸惑ったものだ。今は力強い腕の中で、緊張ではなく安心していられる自分が嬉しい。

 どちらからともなく離れていく体温に一抹の寂しさを感じながら、マルスはマリオの頭上に目をやった。彼のトレードマークであるイニシャルの入った赤い帽子は健在だが、問題はその上にあるもので、どう反応したものかと散々迷い、マルスは曖昧な笑みを浮かべた。抜けんばかりに明るい空色が、くりくりと丸まってマルスを見ている。

「それで、その――彼は?」

 マリオの頭上にちょこんと顔を乗せている、見知らぬ少年から目を逸らせないまま尋ねる。一瞬なんのことだと眉をしかめたマリオだったが、マルスの視線の先を辿って、初めて思い出したように手を叩いた。どうやら頭上の少年のことをすっかり失念していたらしい。どうすれば自分の頭に乗っている人一人の存在を忘れられるのかと思うが、身体能力の高いマリオからすればサングラスを乗せているのと大差ないのかも知れない。

「あぁ、すまん。この子はな――」
「マルスさん。マルスさんですね」

 マリオが口を開くと同時に、頭上の少年が身を乗り出した。ふわふわと柔らかそうな茶髪が天に向かって跳ねている。ごく当たり前の顔をしてマリオの頭の上で寛いでいた彼は、マルスが戸惑いながらも頷いたのを見て、興奮気味にその丸い瞳を輝かせた。

 ふわっと宙を歩くようにして、少年がマリオから降りて床に立つ。室内だというのに風の音がしたと思えば、その背中から鳥の如く、纏う衣より尚神々しい純白の翼が広がった。金色の刺繍が入った裾を翻し、ガラス玉のような目が上目遣いに見上げてくる。浮世離れした美しい光景に、思わずマルスは息を呑んだ。

「ボクは今大会から参戦します、ピットといいます。よろしくお願いしますね」
「ピットさん、ですか。ご存知のようですが、マルスと申します。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
「はい! ピット、って気楽に呼んでください」

 マルスが差し出した手を両手で握り、ピットと名乗る少年は笑みを深めた。澄み切った目が、マルスを上から下まで探るように見つめる。ともすれば無遠慮でしかない視線に、不思議と嫌悪は湧かなかった。柔らかな力強さで握られた手をどうしたものかと困惑するマルスに、彼もまたまったく頓着していないようだ。

 ピットの口から、温かな溜息がもれた。丸みを帯びた白い頬に、うっすらと朱が差している。幼い顔立ちに不似合いな陶酔の表情を浮かべながら、ピットは夢みるような口調で言う。

「ご活躍は何度も拝見しました。それにしても中継映像で見るより綺麗でいらっしゃいますね。ナーガ神のお噂はかねがね聞き及んでいますが、まさかこれほどのものとは。こと造詣に関して、彼の神に肉迫するものはないでしょう。我らが手の届かぬ世界にあることが悔やまれます。そこでどうでしょうか、その身を石像に変えて、我らが神殿の彩りになるというのは? あなたなら前庭の一等見晴らしの良い、そうですね、列柱室へ至る門前にあっても遜色ないと思いますが」

 マルスは笑顔のまま硬直した。歌うように並べ立てられた言葉の意味など殆ど理解出来なかったが、自らの身に迫った危険は本能が辛うじて嗅ぎ取っていた。石像云々の辺りで薄々勘付いてはいたものの、どうもまともに人間扱いをされていない。それなのに、目の前の少年は決してマルスを軽んじてはいなかった。時折瞬く瞳は紛れもなく、真正面にマルスを映して輝いている。未だ握られたままの手はしっとりと熱く、彼の無邪気な興奮をそのまま温度に表しているかのようだ。恐ろしいことに、彼は純粋な好意でもって、マルスを調度品にしようとしている。

 さすがに言葉を失って目を泳がせたまま黙り込むマルスを尻目に、マリオが溜息を吐きながらピットの頭を軽く小突いた。

「あのな、ピット。その言い方はこっちの世界じゃ偶像性愛と紙一重だ。マルスは人間だぞ、もう少し気持ちだけでも人間寄りに喋ってやれ」

 ピットを嗜めるマリオの声は、若干疲れている上に妙にこなれた印象だった。ピットとの関係は定かでないが、このようなやり取りはこれが初めてではないようだ。マリオはごく自然にピットからマルスへと視線を移し、苦笑いを浮かべた。

「すまないな、マルス。ピットに悪気はないんだ。こいつは人間ではないから、世界観だとか文明レベルだとか、それ以前のところで俺たちとは感覚が違う。まぁ、その内慣れるさ。俺たちも、こいつもな」
「人間ではない?」

 そう言われて、マルスは改めてピットを見つめた。背中の翼は明らかに異質だが、その他には特に気になる点はない。マルスが知るメンバーで人間でないのは、ヨッシーやドンキー、それにポケモンたちだけだ。フォックスやファルコは見た目が動物に近いものの、言語による意思疎通が出来る上に二足歩行で、この世界においては大まかに人間のカテゴリに含まれる。一見ロボットのようなサムスも、魔王の名を冠するガノンドロフも同様だ。唯一微妙な存在としてMr.ゲーム&ウォッチがいるが、彼を除けば人の形をしているか、言語による意思の疎通が可能か、どちらかを満たしていれば人間だといえた。

 目の前にいるこの少年は、そのどちらの条件も満たしていながら、人間ではないという。マルスが混乱するのも無理はない、とばかりにマリオが再び溜息を吐いた。

「天使、というんだが、マルスの世界には概念自体がなかったかも知れないな。端的にいえば神のお使い、僕だ。ピットは遥か上空にある、エンジェランドと呼ばれる世界でとある女神の親衛隊の隊長を務めている。神の眷属だからな、少々俺たちとは価値観の相違もあるが、悪いやつではないんだ」

 マリオの説明で大方すとんと腑に落ちた。人と同じ形をしていながら、決して本質は人ではない。そういう存在なら、マルスもよく知っている。
 たなびく茜色の髪と猫のような気まぐれさを思い出して、納得する。最初、そのガラス玉のような目に見つめられたときにも妙な既視感があったのだ。顔立ちも背格好もまるで違うが、彼の雰囲気はマルスの旧い友人にとてもよく似ている。自由奔放なその友人もまた、人ではなく神だった。

 そこで誰かがマリオを呼ぶ声がした。ホールの片隅が騒がしいが、面倒事でもあったのだろうか。マリオはマルスとピットを交互に見やり少し迷っていたようだったが、マルスが小さく頷くと苦笑いでそれに応え、自分を呼ぶ声の方へと踵を返した。

 後ろ頭を掻きながらマリオが去ってしまえば、後にはマルスと件の天使だけが残された。そっと横目で見ると、ピットはマリオの背中を見つめてうっとりとしている。さすが頭に乗って登場しただけあって、彼はマリオに相当懐いているようだ。

「マリオさんとは長い付き合いなのかい?」

 座持ちに尋ねると、ピットはマルスに向き直り、ふるふると首を横に振った。ネスに感じるものと同じ幼さが、その仕草に滲んでいる。

「観戦していましたから、ボクは一方的に知ってました。大乱闘を知ったときからファンなんです。お会いしたのは、今日がはじめてですよ」

 するとマリオは、初対面でいきなり懐いてきた人外に対してあの完璧な対応だったというわけだ。マルスがしみじみ感心していると、ピットがにこにこと上機嫌に微笑みながら顔を覗きこんでくる。上目遣いに向けられた瞳は、まだ抜けるような空の色だ。

「マリオさんはつくづく良いヒトですね。ボク、ここに来てからずっとフォローしてもらってるんです。他にも人間のことを色々教えてくれますし、早いとこ慣れて、ご恩返しをしなくっちゃ」

 両手の拳を握り締めて、ピットは無邪気に意気込んでいる。果たして彼の危うい言動が改善されるのかは甚だ疑問だが、マリオなら上手くやるだろう。それにピット自身も素直そうな性格だ。マルスはこれからを楽しみに、微笑ましい気持ちでピットを見つめた。ピットもマルスも見つめ返して、空色の瞳を柔らかく細める。

「それでですね、マルスさん。ボクが天使らしい振る舞いを許されている今のうちに、天使としてあなたに言っておきたいことがありまして」

 不穏な歌詞にちぐはぐな明るいメロディーをつけたような違和感が、彼の口から飛び出した。
 弧を描くその瞳に、血飛沫が散った。錯覚かと目を瞬けばやはり錯覚だったようで、先程と変わらない、澄み切った瞳がマルスを見ている。ピットは小さく息を吸うと、賛美歌を歌い上げるように朗々と口を開いた。

「あなたはこれから、この世界で大切なものを失います。ですが、天を仰いで嘆くことは許されません。あなたからそれを奪うのは神ではない。ゆめゆめ、忘れませんように」

 釣り上げられた口の端も、弧を描く空色の瞳も、どちらも笑ってなどいなかった。人懐っこく子供じみた無邪気さなど、欠片もない。しっかりとこちらを見据えていながら、彼はマルスに何の関心も持っていない。

 竜に踏まれる羽虫はきっと、絶望など知らないままに命を終える。怖れを抱かせてくれるだけ、ピットは良心的だ。体中の細胞が凍りついている。先程からずっと、遠くで自分の名を呼ぶ声がするような気がしたが、あまりに遠すぎて現実のものだとは思えない。

 ピットの表情がふっと和らぐ。花が綻ぶようなとはよくいったもので、匂い立つばかりに柔らかく、彼は微笑んだ。永遠に解けないのではないかと不安になるほど硬直していたマルスの身体から、緊張が解され、抜けていく。呼ばれてますよ、とピットの指がマルスの後ろを指し示す。まるい指先に釣られて振り向くより先に、背後に誰かの気配を感じた。

「マルス、久しぶり」

 ぽん、と肩に手を置かれ、せっかく解れた緊張が一瞬にしてマルスの身体をまた縛る。久しぶり、とかけられた言葉に反して、マルスはその声にまるで聞き覚えがなかったのだ。

 恐る恐る振り返り、真っ先に目に入ったのはアッシュブロンドの癖毛だった。横分けにされた前髪は、外側に向かって自由に跳ねている。後ろ髪は無造作にまとめられ、帽子に包まれているようだ。若木を燻した、深い緑色のキャピュシュに。

「――リンク?」

 信じられない気持ちで、マルスは尋ねずにはいられなかった。特徴的な帽子も、揃いの色をした緑衣も、確かにリンクを表している。けれどそれがなければ、マルスはきっと彼がリンクであるなどと、塵ほども考えなかっただろう。目の前に現れた、リンクと似た格好をした男は、記憶の中のリンクとそれほどまでに似つかなかったのだ。

 髪の色が違う。リンクは鮮やかすぎるイエローブロンドで、それをフォックスに「染めてるんだろ」とからかわれ、天然なのにとよくふて腐れていたものだ。目の前の彼は自然なアッシュブロンドで、これならフォックスにからかわれることはなさそうだった。

 声も違う。リンクの声は高めで、幼く響いてしまうことを本人は甚く気にしていた。落ち着きが増したようでいて、どこかやんちゃさが滲んだ声は、雰囲気だけならリンクとよく似ているのかもしれない。それでもマルスには、それがリンクの声だとは思えなかった。

 顔立ちも違う。目つきが鋭いため、黙っていれば実年齢より年嵩に見えたリンクだが、浮かべる表情によっては驚くほど幼かった。彼も屈託なく笑っているが、幼さよりも精悍さの方がずっと強い。

 更に言うなら、服だって違う。形状は一緒でも、素材や色はまるで異なっている。こんなに乾いてくすんだ色ではなく、陽が差す鮮やかな森の色をしていたはずだ。

「本当に、リンクなの?」
「間違えないよって豪語したのは誰だったっけな」

 再度尋ねたマルスに向かって、目の前の男は呆れたように肩を竦めた。
 違和感は次々と湧いて出た。並べてみればきっとよく似ているだろうに、目につくのはマルスが知るリンクとは違うところばかりだ。話し方すら違うのだ。表面上は丁寧な言葉を使っていたのに、随分とぞんざいな物言いになった。
 見れば見るほど、よく似た格好をしただけの別人としか思えない。それなのに、彼はマルスの友人であったリンクしか知らないことを、易々とその口で語る。ピットに感じた恐怖とはまるで違う怖気が、背筋を走った。

 マルスの困惑は誰の目にも明らかだった。後ろでじっと成り行きを見つめているピットにも、無理やりに笑みを浮かべた目の前の彼にも。

「やっぱお前、薄情だったな。約束通り剣は基礎からやり直したし、筋肉も増えたし、身長だって伸ばしただけだ。ファルコン並みとまではいかないし、お前の身長は追い越せなかったけどさ」
「どう鍛えたら髪の色や、声や、顔まで変わるんだ。口調まで違って、それでリンクだっていわれても、すぐには信じられないよ」

 目を逸らしながら口早にいうマルスは、彼がひどく傷ついたように眉をしかめる瞬間を見なかった。彼が沈痛な面持ちで俯いてしまっても、マルスはそれを見たくないとでもいうように、決して目を向けようとはしなかった。背後のピットはいつの間にかいなくなっていたが、それを気にする余裕もない。

「そうだな。こんだけ変わったら、仕方ないよな」

 力なく笑いながら、マルスが知らない声で彼は言った。その顔に押し殺した感情が滂沱と溢れ出ていても、見ようとしなければ気付けない。

「でも、中身は変わってないんだ。前の大会のこともちゃんと覚えてるしさ」
「なんで、そんなことになったの」

 責めるような口調になってしまい、さすがにマルスも後悔した。相変わらず彼を直視することは出来なかったが、目の前から息を呑む気配が伝わってくる。自分は顔を背けているのに、相手からはまっすぐな視線を感じて、それが余計にいたたまれない。それなのにいざ相手が自分から顔を背けると、どうしようもない喪失感に苛まれる。
 なんと身勝手なことか。一言謝ろうと口を開きかけたマルスに、冷えきった声が先制する。

「話せば退屈で長い話になる。それにお前、オレが言ったって信じないだろ」

 これまで友人から遠回しに拒絶され、視線一つ向けられなくても、なんとか笑顔を浮かべようとしていた彼が、暗い声で諦観していた。投げやりで弱々しいその言葉にようやくマルスが顔を上げても、彼はもう自分の表情を取り繕う気はないようだ。何もかもを諦めて俯くその姿が、マルスの中でネスやフォックスにからかわれ、ふて腐れるリンクと重なる。

 確かな面影を感じたのに、マルスはそれを振り払いたくて、認めたくなくて仕方なかった。リンクのふりをしないでくれ、と。

「――すみません」

 マルスの心を読んだかのようなタイミングで、彼は目を細めて宙を睨み、低い声で吐き捨てた。そのまま背を向けたと思うと、あっという間に賑やかな人混みに紛れて見えなくなる。指一本動かせずに、立ち去る彼を見送ったマルスは、暫し呆然とその場に立ち尽くした。

 遅れてやってきた後悔が、彼を酷く傷つけてしまった事実をマルスに押し付ける。思考はぐちゃぐちゃと絡まって、まるでまとまる気配がない。吐き気すらこみ上げ、顔を覆って歯を食いしばった。通りがかったピーチがそんなマルスを見咎め、心配そうに背を撫でる。

「マルス、あなたとても顔色が悪いわ。どうしたの、気分が優れないの?」

 やっとの思いで小さく首を振ったものの、言葉は一言だって出なかった。
 最低な態度を取ってしまった自覚はあった。驚き戸惑ってしまったのは彼が言うように仕方ないとしても、相手の話くらいは聞くべきだった。彼がマルスの知るリンクか否か、それ以前に、これから共に過ごす仲間の一人であることに違いないのだ。大人気ない態度をとったことを、深く恥じ入るべきだった。
 それなのに彼が立ち去った時、マルスは確かに安堵した。恐らく傷ついただろう彼を案ずるより前に、その姿が見えなくなったことに胸を撫で下ろしたのだ。

 自分の醜さに、吐き気がした。
 同時に、何故そうまで彼を拒否したがるのか、自分がわからなくなった。

 彼はマルスが知るリンクと違いすぎた。けれど、まったくの別人とするには、彼はリンクに似すぎていた。マルスだって本当は理解している。誰がなんと言おうと、この世界では彼が〝リンク〟だ。でなければ、ここにいられるはずがない。

 だから、嫌だったんだ。
 血を吐くように掠れた声で、マルスは我知らず呟いていた。ピーチが柳眉を寄せて聞き返してきても、構ってなどいられなかった。

 堅く封印してきたはずの感情が、心の中でしとしとと雨足を強めはじめる。泥で塗りたくり、素知らぬ顔でその辺りに転がしておいたささやかな想いが、降り注ぐ外待雨によって洗い流されていく。潤い芽吹いたその想いが、これまでの抑圧を押しのけてゆっくりと頭をもたげてくる。

 泥にまみれてさえいれば、足元を転がる小石と同じく気にかけずにいられただろう。そのまま足で無造作に蹴り続ければ、いつかは粉々に砕けてなかったことになっただろう。それを望んでいたから、マルスは無意識に封じていたのだ。

 決して叶わない、リンクへの淡い恋情を。

 一度自覚してしまえば、もう自分を騙すことはできなかった。好きだった、陽を浴びてさらさらと流れる、明るすぎるあの髪が。どこか背伸びをした懸命さで紡がれる、丁寧な言の葉の数々が。何かある度にころころと変わる、豊かな表情の全部が。過ぎ去った初夏を思わせる、似合いの優しい緑の色が。リンクが誰より信頼しているフォックスに、無邪気に抱きつくネスに、平気で頭をはたき合えるロイに、時には嫉妬もしたくらいに、好きだったのだ。

 彼を一目見たときに感じた動揺の正体が今ならわかる。目の前の彼をリンクではないと思ってしまったのが全ての原因だ。見知らぬ彼がリンクと名乗った時点で、マルスにとって彼はただ不当にリンクの座を奪う不届き者でしかなかった。あのまま感情を押し殺して話を聞いたところで、彼の言葉など何一つ信じることは出来なかっただろう。何を言われても、それは偽者の響きにしか聞こえなかったことだろう。それでも耐えて耳を傾けていたとしたら、マルスはいつか慟哭したはずだ。彼に向かって「リンクを返してくれ」と、刺し殺さんばかりの呪詛を喚き散らしながら。

 それを思うと、最悪の事態は避けられたのだとマルスは思った。間違いなく彼を傷つけておきながら、そんなことを考えられる自分にもはや自嘲すら浮かばない。
誰かを呼ぼうと踵を返しかけたピーチを引き止めて、マルスは尋ねた。

「ピーチ姫。ゼルダ姫は、もうこちらにいらっしゃるのですか」
「ゼルダ? ゼルダならそこにいるけれど――」

 ピーチのなめらかな指先が、ホールの中央に出来た人だかりを示す。この際本人ではなくとも、確かにリンクを思い出せるものが見たかった。そうすれば少しは落ち着いて、彼の話も聞くことだって出来るかもしれない。

 ゼルダの髪は、リンクの髪とよく似ている。人種が同じですからね、と嬉しそうにはにかむリンクの顔を思い出して、一時ゼルダをまともに見られない時期さえあったが、今はそれさえどうでも良かった。ただこの世界にも、マルスが好きだったリンクと変わらない何かがあることを知りたかった。この喪失感が埋まらない限り、この激情が静まらない限り、自分は決して今の彼とは向き合えない。

 祈るような気持ちで視線を上げたその先に、人形と見紛うばかりに整った横顔を見つけた。いかにも王女然とした、気品に満ち溢れた聡明な面立ちは見間違えようもない。

 彼女はゼルダだった。足元から身体がボロボロと崩れ落ちる絶望に、マルスは声を上げて泣きたくなった。

「髪の色が違うからわからないかしら。あの栗毛の子がそうよ」
「いえ……もう、いいんです。もう――」

 近くの壁にもたれ、マルスはむずがる子供のように何度も何度も首を振った。労わるようにずっとその背を撫で続けていたピーチの手をも突き放し、こみ上げる嗚咽を必死で堪える。

「マルス、大丈夫よ。マリオを呼んだの、すぐに来てくれるわ。私はマスターに伝えてくるから、無理に動いてはだめよ。マリオがお薬を用意してくれたら、嫌がらずにちゃんと飲むのよ。そうしたらきっと落ち着くでしょうから、もう少しだけ、待っていてね。大丈夫よ。大丈夫だから」

 マルスの髪を優しく梳きながら紡がれるピーチの言葉は、さながら子守唄だった。自由奔放で、無邪気で、おてんばな、万人に愛されるお姫様にとんだ借りを作ってしまったものだ。ここまで情けない姿を見られては、この先ずっと彼女に頭が上がらない。

 ホールの外へと小走りに駆けていく彼女と入れ替わりに、往診バッグを提げたマリオが帽子の上にピットを乗せたまま、慌てた様子でやって来た。口を開こうとするマルスを手で制し、マリオは厳しい表情で目を覗き込んだり脈を測ったりしている。ただ感情が昂ぶっただけだと思っていたが、マリオの真剣な表情を見る限り、自分で思うよりずっと体調が芳しくないようだ。

 指示されるまま、マルスはその場に座り込んだ。マリオは黙ってマルスの手を取り上げ、その指先を丹念にほぐしている。そうされているうちに、あんなにも荒れていた心中が徐々に静まった。人の身体はかくも熱くなるものかと思ったが、その熱も嘘のように引いていく。
 マルスが大方落ち着きを取り戻しても、マリオは手を止めなかった。しばらくして戻ったピーチは、そんなマリオの横を陣取り、マルスの頭を撫でてくれた。まるで子供扱いだ、やはり彼女にはこの先も逆らえそうにない。

 他のメンバーはといえば、騒ぎに気付いてはいるもののマルスを気遣い、敢えてマリオに一任しているようだ。その心遣いを嬉しく思いながらも、胸を占めるのはリンクがどうしているか、ただそれだけだった。自分が思い描いているのが恋焦がれたリンクなのか、先程出会ったばかりのリンクなのかは、考えないことにした。

 マリオの頭の上でじっと処置を見守っていたピットの目が、いつの間にかマルスを見ていた。ふとした拍子に視線が絡み合ったその瞬間、これまでの沈黙が風向きを変えた。

 ゆりかごに身を任せるような緩やかさが、突如投じられた重石によってその動きを止められる。緊張が鮮明に蘇った。マルスの手をほぐし続けていたマリオの眉がぴくりと動いたが、彼は何も言わなかった。その上でピットは満面の笑みを浮かべている。

「ね。言った通りだったでしょう」

 そうだね。力なく頷いて、マルスはそのまま項垂れた。

2

 過去最高規模の動員数を記録した怒涛の開会式が終わる頃には、歴戦の猛者たちもさすがに疲れきっていた。

 特に疲弊の色が濃いのは主催者であるマスターハンドで、最後の観客を見送った後、彼は精根使い果たしたと言わんばかりに崩れ落ちた。警備システムに守られたステージで乱闘をしたり観客に手を振ったりしているだけのファイターたちは与り知らぬことだったが、スタンド内のあちらこちらで、ヒートアップした観客による暴動が起きていたらしい。この大会やファイターへの熱い想いが暴走した結果の騒動が大半だったというから、裏を返せばそれだけ心待ちにしてくれていたのだという好意的な見方が出来なくもない。しかし一回や二回ならまだしも、こうも頻発してはいかに前向きなマスターハンドといえども限界はやって来る。その場に倒れた彼が、慌てて駆け寄ったマリオとリンクに「あの熱を素直にお前たちへの声援としてくれれば――」とぼやいたのも無理からぬことであった。

 前回、前々回同様、ファイターには共同の宿舎と、街に各々の名義で借りられた家が与えられることになった。しかし家についてはまだ準備が出来ておらず、今日のところは全員が会場直結の宿舎での共同生活だ。元々街に出るつもりが更々ないメンバーは慣れたもので、第一回目から使っている気に入りの部屋を我先にと確保している。

「で、お前はどうしてここにいるんだ。大好きな自分の部屋の整頓はいいのか?」

 持ち込んだ私物入りのダンボールを開封しながら、フォックスは部屋の隅に設置したベッドに目をやった。奮発して新調したマットレスの上で、緑色が膝を抱えて丸まっている。持ち主より先に堪能するとは何事だと文句の一つも言いたくなったが、丸められた背中に話を聞く気は一切なさそうだ。当然、先の問いかけにも返事の一つもありはしない。

「せっかく男前が上がったのに、お前はそういうとこ、全然変わらないな」

 溜息交じりのフォックスの言葉は、しかし温かな親しみが込められていた。開会式が終わって解散するなり、フォックスの部屋のベッドを我が物顔で占拠したリンクに対するフォックスの眼差しは昔と変わらず優しく、どこまでも甘い。

 小さく身動ぎしたリンクが、おもむろに上体を起こしてフォックスを振り返った。ベッドのふちに腰を掛けるが、それ以上動く気はないようだ。乱暴に帽子を脱ぎ捨て、癖がついた後ろ髪を掻き乱すリンクの顔は、すっかりいじけてしまっている。半眼で左下を見つめ、唇を噛み締めるその表情は見慣れたものだった。

「なんだ、まだ拗ねてたのか」

 荷を解く手を一旦止めて、フォックスもリンクに向き直る。とりあえず引っ張り出した小さなローテーブルに置かれたドリンクは、すっかりぬるくなってしまった。

「そろそろ吐いたらどうだ。何があった?」

 リンクは答えずに、手の平でベッドをポンポンと叩いた。どうやら隣に来いと言っているようだ。苦笑しながら立ち上がり、フォックスは大人しくリンクの隣に腰を下ろした。

 さすが値が張っただけのことはあり、座っただけでもマットレスの上等さが伝わってくる。尻を包む素晴らしい感覚に感動するフォックスの横で、尻尾を枕にリンクが再び寝転がった。

 その仕草で、大体見当がついた。リンクがフォックスの尻尾に埋まりたがるのは、極端に緊張した時か、どん底に落ち込んだ時かの二択だ。中には大会への参加が初めての者がいるにしろ、リンク本人に影響が出るほど緊張するとは思えない。となれば、この膨れっ面は、落ち込んでいるのをひた隠しにした結果とみて間違いなさそうだ。
 枕にされた尻尾が痺れるまでは待つことに決め、フォックスは手遊びにリフレクターを弄りはじめた。もう長い付き合いだ、これくらいは苦でもない。

「――フォックスさ、お母さん度増したよな」
「俺に喧嘩売っていいのか、お前。いじけたお前の相手なんて、俺以外だとマリオかマルスくらいしかしてくれないだろ」

 ぐ、と変な声を上げて、リンクは再び押し黙ってしまった。やっと口を開いたと思ったらこれだ。リンクの反応に思い当たる節があり、フォックスは飲み込み顔でさもありなんとばかりに首肯する。

「なるほどな。原因はマルスか」

 マリオ相手にややこしいことにはならないだろうと考え目星を付けたのだが、どうやら当たりだったようだ。尻尾に抱きつくリンクの腕に力がこもる。

「マルスといえば、あいつ開会式前に倒れたんだってな」
「えっ」

 咄嗟に起き上がったリンクが驚きに目を見開いている。何を言わずともその目が「大丈夫だったのか」「もう良くなったのか」と如実に語っており、どうやら不仲になったわけではなさそうだとフォックスは推測する。

「マリオが看てたから大丈夫だろ。マスターハンドの調整ミスだって話を聞いたけど、今は良くなったみたいだぞ。あの後乱闘にも参加してたしな」
「そっか――」
「で、マルスに何かしたのか、されたのか」

 あからさまに安堵するリンクの額を小突いて、フォックスがにやにやと畳み掛ける。思いきり眉をしかめて視線を泳がせたリンクだったが、逃げ回っても解決しないことは本人が一番よくわかっているだろう。最後の抵抗とばかりに、尻尾に顎を埋める。

「別人を見る目で見られた。オレがリンクだって、信じられないって言われた」
「そりゃショックだろうな。でも、仕方ないだろ」
「うん。わかってる」

 仕方がないと割り切っても、否定された痛みが消えるわけではない。すっかり落ち込んでしまっているリンクの頭を、フォックスは宥めるように撫でた。彼の髪の毛はフォックスの目から見ても、明らかに以前とは違って見える。

 リンクに対するメンバーの反応は様々だったが、大抵の者が驚きに目を丸くする中、フォックスとファルコは至って平然としたものだった。理由は単純で、獣人種であるフォックスたちには人種の違いから、ヒト種の顔の見分けに限界がある。同じヒト種から見たら大きな違いでも、獣人種からしてみれば些細なものなのだ。あのマリオやピーチですら驚いたほどの変貌を遂げても、元々外見以外のところでヒト種の判別をしているフォックスたちにはあまり影響がない。

 それは逆の場合でも同じことが言えた。フォックスも別人とまではいかないが、大幅な加齢で毛色も顔つきも変わってしまっている。が、リンクほど騒がれないのは、主に騒ぎ立てるヒト種にとって、獣人種の年齢は判別しにくいからだろう。
 事実、フォックスに「老けたな!」と声を掛けてきたのはドンキーと、それから今まさにいじけきっているリンクくらいのものだった。

「そうだ、お前だって俺を見て『誰?』って顔したじゃないか」
「いきなりあんだけ歳食ってれば誰だって驚くって。だって七…八歳くらい違うだろ?」
「よくわかるな。俺はお前のどこがそんなに変わったのかわからないんだが」
「それはそれで複雑」
「わがまま。自分が歳食ったせいで余計お前がガキに見える」
「ガキだよ、悪いかよ」
「どうだかな。で、マルスにちゃんと『事情』を説明はしたのか?」
「……してない」
「じゃあ、ガキなのは悪くないが、説明不足のお前は悪い」

 けんもほろろに言い切って、フォックスはリンクを小突いた。
 そうしながらも、一方では無理からぬことであっただろうと理解はしていた。リンクが抱える事情は複雑で、混乱した相手に長々と聞かせられる類の話ではない。マルスの錯乱が如何程のものであったか、その場にいなかったフォックスが知る由もないが、まともに聞き入れてもらえると思えなかったから、リンクは諦めてしまったのだろう。

「大丈夫だよ、リンク。マルスは話せばわかってくれるだろ」

 一層情けなく眉尻を下げ、すっかり顔を伏せてしまったリンクは、フォックスの慰めにも小さく首を振るだけだった。

  ◇◆◇

 マスターハンドはあらゆる世界の〝英雄〟を集めてこの世界を構築したが、その中でリンクは少し特殊だった。

 マリオは配管工だろうと医者であろうと、キノコ王国のマリオという一個体だ。他のメンバーも同様で、彼らは一人の英雄としてマスターハンドに認められ、この世界でファイターとして再構築されている。その中で例外とされているのが、リンクの存在だ。

 女神ハイリアが創世したとされる彼の世界では、幾人もの〝リンク〟が伝説にその名を残している。そう、リンクと呼ばれる人間は、一人ではない。ハイラルのあらゆる時代、あらゆる場所に生い立ちも、年齢も、考え方も、境遇も、何もかも異なるそれぞれの〝リンク〟が存在する。多くの武具と退魔の剣を携え、緑衣を纏う金髪のハイリア人。リンクと名付けられた彼らたちは、その名前と、創世の女神の福音であるトライフォースの一角に導かれるようにして、大いなる災いを討ち払う。
 それがハイラルのルールなのだと、いつか誰かに、リンクは淡々と語ったものだ。世界のシステムという神の領域に言及しているにも関わらず、些か投げやりな物言いで。

 マスターハンドが目を付けたのは、救世の勇者というシステムそのものだったと言っていいだろう。自分の世界に〝英雄〟を集めることに執心していた彼は、そこで一人の〝英雄〟ではなく、システムとしての〝英雄〟に心を奪われた。それは〝伝説〟と置き換えても差し支えはない。マスターハンドはこの世界に、ハイラルが作り上げたその美しいシステムを再現しようと試みたのだ。伝説に共通して名を残す勇者〝リンク〟の存在を依り代として。

 時代を超えて語られる、数多の勇者の集合体。ハイラルの歴史が、人の形になったもの。それが、マスターハンドが作り上げた、この世界におけるリンクだ。

 この事実をフォックスが知ったのは、第二回の大会が始まってすぐのことだった。その時、リンクは自らを「ハイラルのどこにもいない勇者」だと言った。ハイラルの歴史に点在するあらゆるリンクの記憶を持ちながら、実在したどのリンクでも有り得ない。厳密に言えばリンクであるかどうかすらも怪しい。今にして思えば、そのらしくもない哲学的な自嘲には、彼が抱く不安が含まれていたのだろう。

 その存在の特異性から、彼についてはマスターハンドも気にかけており、様々な調整が施されてきた。
 ハイラルで生まれた新たな歴史の中で、新たな〝リンク〟が見付かる度に、マスターハンドはその情報を自分が作り上げたリンクの中に注ぎ込む。本人と他メンバーの混乱を軽減するために、この措置は大会と大会の合間に行われることが殆どだ。

 第二回の大会から今回に至るまでの間に、マスターハンドは新たにハイラルの歴史を知り、それを紐解き、自らのリンクに反映させた。その〝更新〟の結果、顔つきや髪の色に変化が生じたのは、新たに見付けた〝リンク〟がマスターハンドにとって、これまでのリンクのイメージを書き換えるインパクトを持っていたことの現われなのだろう。ことリンクの見た目に関しては、彼の嗜好に寄るところが大きい。あくまで器で依り代に過ぎないリンク本人には、どの時代の〝リンク〟の特色を強く出すかなど選べないのだ。

 ハイラルの歴史に於ける、数多の〝リンク〟の集合体。マスターハンドの解釈次第で姿を変えてしまうもの。依り代でしかなかった彼は、しかしマスターハンドによってこの世界で確かな生を与えられている。彼はハイラルの正史に存在したどの〝リンク〟でもないが、この世界にリンクはただ一人、彼しかいない。

 マスターハンドはリンク本人にも、この事情を知る他のメンバーにも、事ある毎に諭したものだ。他の誰でもない唯一の存在として呼ばれた〝英雄〟たちと、何も変わらない。その中に幾人がいようとも、神が惚れこみ、この世界に呼んだ唯一のリンクが、お前なのだと。

  ◇◆◇

 リンクが抱えている複雑な事情を、正直なところ理解している者は少ない。リンク自身、マスターハンドの説明を上手く飲み込めていない部分もある上に、マスターハンドも全てを赤裸々に語っている訳ではないだろうから、当然だ。実をいえばゼルダもリンクと似た境遇にあるものの、まったく同じではないため傷の舐め合いすら出来ない。

 マスターハンドとリンク本人にとって確かなことは、姿が変わろうと、その中に孕む歴史が増えようと、リンクがリンクであることだ。大会の合間に注がれる新たな歴史の情報は、この世界で乱闘を通じて形成された彼の人格にまでは大した影響を及ぼさない。

 創造神であるマスターハンドとリンク本人だけは、今大会に参加しているリンクが、前大会に参加していたリンクと同一人物だと間違いなく言い切れる。それを信じるかどうかは、聞いた者の考え次第だ。

 難しいな、とフォックスは思う。視覚というのは時に厄介なもので、その情報量の多さからどうしても認識が偏りがちになってしまうのは、仕方のないことだ。容姿が変わったリンクを、マルスが受け容れられなかったのも無理はない。

 前大会を通じて何かと剣士組の世話を焼いていたフォックスは、マルスがどれだけリンクを慕い、厚い信頼を寄せていたかを知っている。その気持ちに嘘偽りがないことは、傍から見ていても十二分に伝わってきたほどだ。マルスはリンクをよく見ていたし、いつだって真摯に向き合っていた。
 だからこそリンクの変化についていけなかったのだとして、一体誰が彼を責められようか。変わらない見えないものを理解するより先に、変わってしまった見えるものに目がいくのは、視覚に縋って生きる人間には当然のことだ。
 リンクだって、それは理解している。理解しているからこそ、苦しいくらいに悩んで、諦めたくもなるだろう。けれどそれはリンクの本意ではないだろうし、フォックスだって勿体ないと思う。リンクがマルスに抱いていた想いを知っていれば、尚更に。

「なぁ、リンク。お前の中身は何も変わってなんかないんだから、それをマルスに少しずつでも伝えていけばいいんじゃないか。そうすりゃいつかは、見た目なんて些細なことをよく気にしてたもんだって笑える日が来る。人付き合いって、そんなもんだろう?」
「そうだけど、わかってるけど。でもオレ、あいつに上手く説明出来る自信ない」
「お前の成り立ちについてなら、俺からマルスに言ってやるよ。どうせ今回の『更新』で、今まで知らなかったやつらも疑問に思ってるだろうしな。皆にまとめて説明する体なら、不自然でもないだろ」

 半分勢いに任せた発言だったが、言ってからフォックス自身、悪くない提案だと思った。尻尾の中から覗くリンクの目が、ぱち、ぱち、とゆっくり瞬く。

「フォックスさ、何でオレのこと、そこまで面倒みてくれるんだ?」
「おいおい、今更だな」

 思わず笑ってしまったフォックスだったが、内心ではリンクと同様に首を傾げていた。面倒をみる切欠になったのは、いつぞやネスに目撃されていた廊下での一件だが、何故それでリンクに構うようになったのか、細かいことは覚えていない。付き合いが長くなると、些細なことは忘れてしまうものだ。

 今も昔も、フォックスにとってリンクは二人目のファルコのようなものだった。利口なだけに余計なことをぐるぐると考えては深みに嵌り、それでいて高潔過ぎるため、誰かに救いを求められない。どうでもいい軽口ばかり叩きながら、肝心なことは何一つ言わず、ひたすら自分を押し殺す。遊撃隊のリーダーとして戦場に立っていたフォックスからすれば、非常に危うく扱いにくいタイプの人間だ。だからこそ放っておけないのは、性分だからとしか言えない。
 何よりこの辺りを掘り下げても良いことはなさそうだと、フォックスの勘が告げていた。仲間だからだろ、とわざと軽い口調で言い、リンクの視線をさりげなくかわす。

「そっか」

 安堵が滲む声で、リンクが小さく呟いた。甘える猫のような仕草で、背にその額が寄せられる。

「ありがと、フォックス」

 その口調も、仕草も、昔のリンクと何一つ変わってなどいないのだから、彼らのことは時間が解決してくれるだろう。
 フォックスは後ろに回した手で、リンクの頭を器用に撫でた。

3

 庭に積もっていた雪が、新世界を暗示するかのように溶けかけている。膨らみはじめた梅の蕾、青々と茂る松の枝葉。そこかしこに微かな春の気配を感じるが、空気はまだ刺すような冬の冷たさを宿していた。
 宿舎と乱闘会場を繋ぐ、吹き抜けになった中庭は、マルスのお気に入りの場所だった。望郷の念に駆られた時などは、ここで一人景色を眺めたものだ。記憶の中と変わらない景観に安堵しながら、特に宛てもなく逍遥する。大会が始まって早々に暇を貰ってしまった自分が情けない反面、この時間が有り難くもあった。今だけは、重い身体に鞭を打つ気分には到底なれそうもないからだ。

 昨日はリンクとの気まずいやり取りの後、すぐに開会式が行われた。体調を崩したマルスの介抱に当たっていた二人の内、ピーチは「休んでいたら」とマルスを案じて眉根を寄せ、マリオは「無理はしなくていいが、出られるなら出ておけ」と手を差し伸べた。それぞれの心配りに感謝して、マルスはマリオの手を取った。ピーチの言葉に甘えたい気持ちも大きかったが、やはり節目の行事はけじめの意味でも大切にしたい。しかし気持ちだけはしっかり立っているつもりでも心は動揺したままで、頭痛と眩暈はずっとマルスに付きまとっていた。マリオが式の最中ずっとフォローしてくれていたおかげで、何とか乗り切ることが出来た。

 偶然か、誰かが配慮してくれたのか、デモンストレーションの乱闘では幸いリンクと当たることもなかった。三回目の試合を終えたところで限界に達し、最後の力を振り絞って観客に笑顔で手を振りながらステージを出たマルスの身体は、そのままマスターハンドの元へと転送された。聞くところによると、マルスが無理をするようなら主催者権限で止めて欲しいと、ピーチに頼まれていたようだ。

「あまり知られたくないだろうからね。私の調整ミスだと皆には説明しておいたよ」

 ぐったりと横たわるマルスの顔を覗きこみ、マスターハンドはそれだけを告げた。神は全てを知っていると教えているのは聖王国の宗教だが、どうやらそれはこの世界の神にも当てはまるようだ。
 弱々しく謝罪をするマルスに、彼は楽しげに身体を揺らした。

「謝ることはない。想定外だが嬉しい事態だ。私が創造したお前たちが、一つの確かな命として芽吹いていることを確かめられたのだからね」
「想定外――僕のこの気持ちは、あなたからすれば不具合なのでしょうか」
「それは知らなくていいことだ。マルス、今日はよく耐えてくれた。明日はゆっくり休むと良い。幸いまだ人員は足りているのでな」

 こうしてマスターハンドから直々に安息日を与えられたマルスは、ステージから響く大きな歓声を遠くに聞きながら、中庭にやって来たのだった。

 どこもかしこもリンクと共にいた思い出が色濃い宿舎の中と違い、この中庭には一人でいることが多かったため、余計なことを考えずに済む。ところどころ塗装がはげてしまっているベンチに腰を掛けて、ぼんやりと景色を眺めていると少しだけ心が軽くなった。

 とは言えまったくの無心にはとてもなれない。視界に映る緑の中にリンクの影を探してしまいながら、今朝の朝食の席で聞いたフォックスの話を思い出す。

 ハイラルの系譜、歴史を跨いで存在する勇者と王女、そしてこの世界における集合体としてのリンク。
 ハイラルについて、そしてリンク自身が負わされている宿命について、フォックスは簡潔かつ明朗に説明してくれた。図書室で文献を漁るより、余程充実した内容だったと思う。その話しぶりを聞いていれば、リンクがフォックスに対して全幅の信頼を寄せる理由がよくわかる。彼はリンクの良き理解者なのだろう。

 だからこそ、そのフォックスが「見た目は確かに変わったけど、中身は昔のリンクのままだ」と言ったことが、マルスには信じられなかった。心の在りようなどという目に見えないものを、どうしたらほんの短期間で見極められるというのだろう。

 話しながらフォックスも、納得していないマルスに気付いているようだった。隠す気もなかったのだから当然だ。あのリンクが以前の記憶を持っていることを疑ってなどいないが、全く同じリンクとして見ることはやはり出来ない。記憶という情報があれば、以前と同じリンクを騙ることなどきっと容易い。

 気付けば疑ってしまっている自分が嫌だった。疑心が生むものなど暗鬼しかないというのに、胸に空いた喪失感はそうでもしないと埋まりそうもなく、したところで埋まることもなかった。フォックスはマルスの苦悩を見透かして、悲しげに目を伏せた。仕方ないよな、と語る視線は、マルスを慰めているようにも、責めているようにも思えた。

「逃げていても、何も変わらないだろうに」

 溜息交じりの呟きが、吹き抜けの空に溶けていく。自分自身の感情を持て余し、あまつさえ振り回されるなど、これまでのマルスの人生で数えるほどもなかったことだ。しかし思い返してみると、悩んだことはたくさんあった。立場上、即断しなければいけないことが殆どで、悩む暇も逃げる余地もなかっただけだ。

 仲間のこと、民のこと、国のこと。それらを最優先に考慮すべきだったあの世界のあの時代と、今は違う。激化する戦火の渦中に良い思い出などありはしないし、あの中に再び身を投じたいとは露ほども思わない。だがこうして平穏の中、極めて個人的な苦悩に苛まれていると考えてしまうのだ。悩むことさえ許されなかった激動は、もしかしたら幸福だったのかも知れないと。

 最低だ、とマルスは自嘲した。本当なら、下らない悩みを抱えていられるこの平穏を幸福と思うべきだろう。でなければ自分が前に進むために踏んできた、多くの亡骸に顔向けが出来ない。

 一度考え出すと、思考はずぶずぶと音を立てて泥沼の中に沈むばかりだ。

 上空を舞う小鳥の囀りに混じって聞こえた話し声に、マルスはハッと我に返った。ステージ側から歩いてくる二つの影に、身体が硬直する。
 気付かないでくれ、というのは無理な話だった。マルスが座るベンチはちょうど中庭の中央、一番見晴らしの良いところに置かれている。故意に無視しない限り、どうしたって目に入るのだ。

 マルスと目が合うなり、一人が顔を引きつらせて足を止めた。前を歩いていたもう一人が訝しげに振り返り、視線を辿ってマルスを見つける。

 一人は今マルスが最も会いたくない人物、リンクだった。動揺のあまり視線を動かすことすら出来ないようで、彼はマルスを見つめたまま酷く気まずそうな顔をしている。そんなリンクとマルスの間で、今大会で新たに参戦したもう一人が、ゆっくりと二人の顔を見回していた。

 彼の名前は、何といっただろうか。リンクからそっと視線を外し、マルスはその隣に佇む男をまじまじと眺めた。短髪を無造作にバンダナでまとめ、擦り切れた海老茶色のマントを身に纏っている。胸当てやベルトの革は光沢がまったくない深いあめ色で、どうやら相当使い込んでいるらしいことが見て取れた。

「リンク」
「え。あ、悪い、ぼーっとしてて」
「知り合いか」

 問われたリンクはマルスを一瞥し、俯きがちに黙り込んだ。昨日の一件を引きずっているのはマルスだけではないのだろう。人間とは勝手なもので、自分がそうさせておきながら、いざ目の当たりにするとどうしようもなく胸が痛む。
 気安げにリンクの肩に置かれた男の手も気になった。それこそ目くじらを立てる権利などないというのに、嫉妬に似た不快感が腹の底からこみ上げる。

 黙って二人の様子を伺っていた男が突然、リンクの腕を掴んだ。そのまま引きずるようにして、マルスへ向かって歩いてくる。抗議していたリンクの声も、そう長くは続かなかった。

「昨日、式で見た顔だな。おれはアイクだ。あんたの名は?」
「――マルス、と申します」

 相手に口調を合わせるべきか迷った挙句、マルスは無難にいつも通り名乗って頭を下げた。彼は第一印象の通り改まった挨拶を嫌う性質のようで、露骨に顔をしかめている。無表情で静観していたところから表情に乏しいタイプかと思いきや、顔に表れにくいだけで感情表現自体は豊かなようだ。

「マルス、というと昨日体調が悪かったというのはあんたか」
「その節は、ご迷惑をお掛けしまして――」
「迷惑なんぞどこにも掛かってないだろう。身体の調子はもういいのか」

 そして第一印象を覆して、気を配るタイプでもあるようだ。
 曖昧に頷きながら、マルスの目は未だリンクの腕を握ったままの彼の手に向けられていた。
 二言三言話しただけだが、アイクの実直な性格は十分に伝わってきた。彼なりの気遣い以上のことはその手に込められていないだろうが、やはり不快感は拭えない。あまり身体的な接触を好まなかったはずのリンクが、大人しく手を取られているというのも、マルスの胸にとごる疑惑を助長させるばかりだ。

「まだ外は空気が冷たい。中に入った方がいいんじゃないか」
「――そうするよ。お気遣いありがとう、アイク」
「あんたを心配してるのはリンクだ。おれじゃない」
「え?」
「アイク!」

 素知らぬ顔で言い放ったアイクの横で、リンクが大声を上げた。呆気に取られるマルスにも、慌てた素振りのリンクにも構わず、彼は淡々と続ける。

「今朝からずっと、あんたの話を聞かされてたんだ。そうでもなければ、まともに顔を合わせてもないあんたの体調不良なんて知るわけないだろう」

 ふてぶてしく言ってのけるアイクに、横のリンクが口を挟む。

「ずっとって、オレそんなに喋ってないだろ」
「そうだな、言い過ぎた。せいぜい八割くらいだったか。口数が少ないことを差し引いても結構な割合だ」
「そんなことない」
「あれで喋り足りないのか。そんなに心配なら、何故本人を前にして言わないんだ」
「だから違うって。その、マルスにもオレにも色々あるんだよ」
「何かしらの事情があるのは見ればわかる。だが少なくともおまえはこいつを心配してるんだ、不仲でいたいわけじゃないんだろう」
「そんなの、アイクには関係ないだろ!マルスの迷惑になるから、もう行くぞ」
「だそうだが、あんたは迷惑なのか?」

 肩を怒らせて立ち去ろうとするリンクを片手で引き止めて、アイクはマルスを振り返った。深い青色の瞳に見つめられると、不思議と嘘を吐いてはいけない、という気分になる。

 リンクとしばらく顔を合わせたくないのは、本心だった。それならば、この状況はマルスにとっては迷惑と言えるのかも知れない。

「迷惑では、ないよ」

 巡る考えとは裏腹な一言が、口をついて出た。アイクではなくその隣のリンクを見つめ、マルスははっきりと繰り返す。

「迷惑なんかじゃないよ、リンク。昨日はすまなかった。それなのに心配してくれていたんだね。ありがとう」

 リンクの目が大きく瞠られた。強引に引き止めたアイクの手を振り払うことも忘れて、所在なさげに視線を彷徨わせている。心細くなるときょろきょろと辺りを見回す癖は、マルスの知るリンクとよく似ていた。

 記憶の中のリンクとは違うところばかりが目についた昨日に比べたら、大分落ち着いたのかも知れない。しかし似通ったところを見付けても胸が抉れんばかりに痛むだけで、結局のところ目の前のこのリンクを受け容れてなどいないことを痛感させられる。内心を押し隠して笑みを浮かべるマルスに、対するリンクは不安げに瞳を揺らしたまま、戸惑いと安堵が綯交ぜになった複雑な表情を浮かべている。

「――いえ。オレも、いきなり馴れ馴れしく話しかけちゃったから。すみません」
「無理に丁寧にしなくてもいいよ。リンクが慣れた話し方をしてくれれば」
「でも」
「使い分け、苦手だって言っていたじゃないか。無理はしなくていいよ。ごめんね、昨日は驚いてしまって。そのうち僕も慣れるだろうから」
「――わかった」

 まだ若干の気まずさは残っているものの、先程と比べれば二人の間に流れる空気は大分和らいだ。後は放っておいても平気だろう――そう考えたらしいアイクが一歩下がるのを、目聡く気付いたリンクがすかさず止める。

「どこ行く気だよ」
「和解の場に部外者がいて良いことはないと思うが」
「事を大袈裟にするなって。それから、オレを置いていくな」

 今度はごまかしようもないほどはっきりと、マルスの中に苛立ちが湧いた。アイクの服を掴んで縋るリンクの手も、甘えたようなその言葉も、見たくもなければ聞きたくもない。

 リンクは明らかにマルスと二人きりになることを避けている。そのためなら、昨日今日会ったばかりのアイクに縋れるくらいなのだから、相当だ。無骨なこの男に、単独行動を好むリンクですら虜にする魅力でもあるのだろうか。それともやはり、リンクは外見だけでなく性格や考え方まで変わってしまったのだろうか。

 どちらにせよ、不愉快だった。元来ポーカーフェイスを常とし、感情を表情に出さない癖が身に染み付いているマルスだが、この時ばかりは荒ぶる胸中を隠そうともしなかった。

「アイク。悪いけれど、リンクと一緒にいてやってくれ。僕と違って、きみは信頼されているようだから」

 一転して刺々しくなったマルスの口調に、アイクの目が眇められる。

「まるで自分は信頼されていない、とでも言いたげだな」
「実際その通りだよ。巻き込まれついでに、こうなった経緯でも聞いていくかい。きみは今朝、食事の席でフォックスさんの話を聞いたかな」

 アイクは無言で眉間に皺を寄せた。問いかけに対しての返答はないが、立ち去ろうとせず、口も挟まないのだから、話を聞く気はあるようだ。
 怯えているようにすら見える弱々しいリンクの姿を極力意識しないよう、マルスはアイクを睨むように見据えた。

「僕とリンクは前大会からの付き合いだ。彼が本当のところどう思っていたかなんてわからないけれど、仲は悪くなかったと思う。招待状を受け取って、また彼に会えるのが楽しみだったよ。でもね、いざ召集に応じてみれば、そこに僕の知るリンクはいなかったんだ」

 視界の隅で、リンクが息を呑む気配がした。

「容姿が、全然違うんだよ。その理由はフォックスさんが今朝話してくれたけど――それでも正直、違和感が拭えない」
「リンクの頭の中には何人も『リンク』がいる、だったか」
「聞いていたんだね。フォックスさんは『歴代勇者の集合体』と言ったけど、僕の感覚ではきみの表現の方が近いかな。名と特徴が同じなだけの別人が一人頭の中に増えて、それでどうして前のリンクと中身は変わらないって言えると思う?」
「本人は変わらないって言ってるんだ、じゃあ変わらないだろう」
「きみは以前のリンクを知らないからそう言えるんだよ」

 小さく溜息を吐いて、アイクは自分の後ろ頭を乱暴に掻き乱した。マルスの苛立ちはその言葉の随所にも現れており、アイクもそれに引きずられたかと思いきや、彼の表情は平坦なものだ。唇を堅く引き結んで青ざめているリンクと、噛み付かんばかりの葛藤を見せるマルスの間で、彼は心底不思議そうに肩を竦めた。

「あんたは、今のリンクが嫌いなのか?」
「そんなことは言ってない」
「じゃあ何をそんなに苛立ってるんだ。容姿が変わって戸惑うのはわかるが、苛立つのはわからん。リンクの容姿が気に食わないのか?」
「人の容姿に難癖をつける趣味はないよ。ただ、あまりにも違い過ぎて信じられないんだ。それなのに、僕とリンクしか知らないようなことを彼は知っている。それも不気味に思えてしまうんだよ。どこかに記憶を奪われたリンクが転がってるんじゃないかって、馬鹿げたことを考える始末だ」
「よくわからんが、つまりあんたは自分の知ってるリンクが、もういないんじゃないかと思っているわけか」
「自分でもわかってるよ。疑心暗鬼に囚われているだけだって」
「あぁ、簡単な話だな」

 言うなりアイクはマルスの首根っこを引っ掴んだ。親猫に運ばれる子猫よろしく持ち上げられ、マルスの頭から先程までの苛立ちや会話の内容が一気に吹き飛ぶ。身長はマルスより少し高い程度、体格もリンクと変わらないくらいの見た目だというのに、この男はとんだ馬鹿力のようだ。

 想定外の事態に声も出ないマルスの身体は、無造作にリンクの前へと放り投げられた。少し手を伸ばせば触れられる距離の近さに緊張して、たまたま合ってしまった視線を逸らせずにいる二人に、アイクはあくまで淡々と告げる。

「二人で納得するまで話し合うなり殴り合うなり、好きにしろ」

 一見突き放しているようにも思える言葉だが、彼は二人から向けられた怪訝な眼差しを避けようとはしていない。腕組みをしてその場にどっしりと構えている。まるで、おれが見届けてやるとでも言わんばかりだ。

「な、何考えてんだよ、お前。どうすればさっきのマルスの話聞いて、そんな結論になるんだよ」

 早くも逃げ腰で抗議するリンクを、アイクの茫洋とした目が一瞥する。

「おまえ、見た目が変わったそうだが、中身は変わってないんだろう」
「変わってない、つもりだけど」
「そうか。で、あんたはそれが信じられないんだったな」

 アイクの視線が、今度はマルスに向けられた。別段鋭くも厳しくもないが、不思議と逆らえない凄みがあり、咄嗟に頷いてしまう。

「それなら、リンクは信じてもらえるまで話せばいいし、あんたは信じられるまで聞けばいい。どうせおまえら、ろくに話してもないんだろう」
「それくらい、きみに言われるまでもなくわかってるよ」
「わかっててなんでやらないんだ。あんたは馬鹿には見えないが、実は馬鹿なのか?」

 皮肉でも嫌味でもないことは、大真面目なアイクの顔を見れば疑うべくもない。あまりの言い草に憤ることすら出来ないマルスに対して、アイクの舌鋒は続く。

「話し合いで納得がいかなければ殴り合え。ここはそれが許される世界だろう。殴り合ってもわからないなら、距離を置くなり嫌い合うなり好きにすればいい。おまえらが初っ端から距離を置く理由がおれにはわからんが、リンクの中身は変わってない、あんたも昔のリンクの中身と今のリンクの見た目が嫌いじゃない、っていうなら上手くやれない方がおかしいだろう」

 きっぱりとアイクが言い切るのを、リンクもマルスも大人しく聞いていた。
 アイクは本人も自覚している通り、この件に関しては部外者だ。加えて昨日会ったばかりで、リンクともマルスとも深い付き合いとはとても言えない。
 事情を知らないから言える暴論だ、と切って捨てることは容易い。そう言い返せば、アイクはきっとそれ以上踏み込んでは来ないだろう。

 だが、リンクもマルスも反論しなかった。愚直なまでのその言葉は、違和感なく腑に落ちたのだ。もちろん丸ごと納得したわけではないし、耳に痛い指摘もあった。それ以上に、会ったばかりの他人に対して真摯であろうとするアイクの姿勢が眩しかったのだ。目を開けていられないほどに、言葉を失ってしまうほどに。

 マルスは目を細めた。黄昏色に染まり始めた空が、より冷えた空気を連れて来ている。ステージの方向から一際大きな歓声が響いた。それに混じって、時計塔が鐘の音を五つ、丁寧に鳴らす。それを聞いたアイクが、ふと思い出したように顔を上げた。
 ステージ側の空に向けられていたアイクの視線は、しばらくするとマルスに戻った。

「あんたの世界にも、ラグズはいないのか」
「ラグズ?」

 唐突な問いかけの中に聞き慣れぬ言葉を耳にして、マルスはそれを反芻した。アイクの横から、リンクが控えめに補足する。

「人の姿から獣の姿に化身出来る種族のことらしい」
「僕の世界にいた、人から竜に変身する竜人と似たものかな」
「仲間だったのか?」
「敵にも味方にもいたよ」
「そうか。じゃあ、あんたにとって人の容姿が大きく変わるのは、そう珍しいことでもないだろうに」

 すっかり話が変わっていると思い込んでいたマルスは、アイクが何を言いたいのかがわからずに、怪訝な顔で首を傾げた。
 脳裏に厳しくも温かな目をした老人と、天真爛漫な少女の笑顔が過ぎる。か細くひ弱な人の形をした彼らは、強靭で神々しい竜の本性を宿した石を手に、燃え盛る火炎や霧の息吹でマルスの敵を薙ぎ払ってくれたものだ。

「それとも、あんたはその竜人とやらを、人であるときと竜であるときで全くの別物だとでも思ってたのか」
「いや。人であろうと竜であろうと、大切な仲間に変わりなかったよ」
「人が竜になることに比べたら、顔が少し変わるくらい大したことはないと思うんだが」

 アイクの手がリンクの頭にぽんと置かれる。そこでようやく、彼の話が一貫して続いていたことに気が付いた。あまりに乱暴なアイクの持論に、マルスは思わず笑ってしまう。

「言いたいことはわかるけれど、リンクは目の前で変身したわけじゃないからさ」
「それもそうだな」

 笑いながら言い返すマルスに、もう剣呑な雰囲気は残っていなかった。リンクの前髪を手遊びにくしゃくしゃと撫でながら、アイクが微かに微笑む。
 そのとき、ステージから響く鳴り止まぬ歓声を割って、ノイズ交じりのアナウンスがアイクの名前を呼んだ。乱された前髪を押さえながら、リンクが焦ってアイクを見上げる。

「そうだった、アイクはまだ試合が残ってただろ。早く行かないと」
「あぁ。もう喧嘩するなよ」
「してないって!」

 両手を振り上げて抗議するリンクを軽くいなして立ち去る間際に、アイクはマルスに一瞥をくれた。薄い唇が開きかけて、迷ったようでまた閉じる。言い淀むなどこれまで見てきた彼の性格を考えると意外に思ったが、マルスがそれを問い質す前に、アイクは背を向けてステージの方へと行ってしまった。

 リンクは両手を握り締めて、アイクの背中が扉の向こうに消えるまで、じっと見送っていた。本当はその手を伸ばして引き止めたいのだろう。時折固く握られた拳が不安げに揺れている。

「珍しいね。リンクが会ったばかりの人に頼るなんて」

 先程はあれほどに冷静さを欠いた疑問を、今は素直な気持ちで口に出来た。小さく微笑みすら浮かべながら、マルスはベンチに腰を下ろしてリンクを見上げる。彼は恐る恐るマルスを見返して、ばつが悪そうに頭を掻いた。

「――マルスに似てると思ったから」
「僕に? 彼が?」

 いかにも質実剛健といったあの男と似ているところなど、自分にあるのだろうか。脳裏に姿を思い描いてみると、確かに青みの強い髪の色などは似ていると言えなくもない。だが、リンクが彼の中に見出した共通点はまったく違うようだった。

「剣の使い方が似てる。昨日開会式で手合わせしたけど、マルスやロイみたいに誰かにきちんと教わった剣技だな、って思った。太刀筋は二人と全然違って、基本的に力任せですごく重いけど」

 ついでに付け加えられた一言で、身をもって知った彼の怪力を思い出した。リンクよりは細身とはいえ、それなりに鍛えているマルスを片手で軽々持ち上げられるほどなのだ。あれだけの力があれば、下手に技巧を凝らすよりは多少強引にでも振り回した方が余程効果的だろう。何よりその方が彼の人柄とも合っている。

「あの力で、その上剣技についての手解きを受けているのか。なかなか厄介な相手だね」
「オレより少し細いくらいだと思うんだけど、あの馬鹿力は何なんだろうな。たぶん骨格が違うんだろうけどさ、最初は思いっきり騙されたよ。ちょうどマルスと最初に闘ったときと同じで――」

 そこまで言って、リンクは急に口を噤んだ。窺うようにマルスの目を覗き込んだのも一瞬のことで、すぐに顔ごと背けられてしまう。
 随分と寂しい反応だが、リンクにそうさせているのは自分だと、マルスは膝の上で両手を握り締める。アイクに乗せられるまま吐露した本音を、リンクはすぐ側で聞いていたのだ。前大会の思い出を巡って軋轢が生まれてしまうのも、詮方ないことだった。

「ねぇリンク。口調が変わったのも、上書きされた新しい歴史とやらの影響で?」

 迷子のようなリンクの横顔を見つめ、マルスは静かに尋ねた。声は発したマルス自身、驚くほど落ち着いている。目の前のリンクは相変わらずマルスの中のリンクと重なりきらずにぶれたままだが、もうその姿に激情を駆られることはなさそうだ。
 そんなマルスの内心など知る由もないリンクは、散々迷ってから小さく頷いた。眉間に皺が寄っており、この会話を早々に切り上げたいと思っていることが見て取れる。

「――まぁ、そんなとこ。不快なら戻すけど」
「さっきも言ったけど、リンクが話しやすいようにしてくれればいいよ。ごめんね、気を遣わせてしまって」

 リンクは首を横に振った。顔に浮かぶ緊張が、ほんの僅かに和らいでいる。

「正直、自分でも鏡見ると違和感があるくらいだから、マルスの気持ちはわかる。マスターハンドはさ、自分が顔とかそういうのないから、あんまり深く考えてなかったって言ってたけど、こっちとしてはふざけんなって話だよな」
「そんな大雑把に顔、変えられたんだ」
「うん。オレはマスターハンドの玩具だからな。前回も負荷拡散試験だの何だのって、オレから一部を切り離して子供のオレを作ってたけどさ、結局ドッペルゲンガー現象みたいなもんで、不安定になっただけだったっぽいし」
「そう言えば、今回小さなきみはいないんだね」
「何の証拠もないけど、オレに再統合されたよ。今回も懲りずにハイラルの歴史を切り離すとか言ってたし、その内オレとは違う『リンク』が現れるかもな」

 リンクの乾いた笑い声は、やがて疲れた溜息へと変わっていった。不機嫌そうに空を睨むその顔には、今ここにはいないマスターハンドに対する憤りが滲んでいる。怒っている、というよりは拗ねている、といったほうが正確だろうか。

 フォックスからリンクが抱える事情についての話を聞いたとき、それを信じるかどうかはともかくとして、あまりの複雑さにさしものマルスも眩暈を覚えたほどだ。フォックスが噛み砕いて説明してくれたので理解出来たようなもので、自分で文献を漁って調べていたら頭がこんがらがっただろう。言ってしまえば他人であるマルスからしてそうなのだから、当人は堪ったものではないはずだ。玩具、という乱暴な表現も否定は出来ない。

「はぁ。マスターハンドに頼んで顔戻してもらえば、お前と気まずくならずに済むのかな」

 とは言え、口ではあれこれ言いつつも、リンクはマスターハンドのことを信頼しているようだ。この事態に対してもせいぜいふて腐れるくらいのもので、本気で怒ってはいないところからもそれは窺える。もっとも諦めの早いリンクのことだ、既に諦観の域に達しているだけかも知れない。
 冗談交じりにぼやくリンクに、マルスは自然と笑みをこぼした。疑惑が全て消えたわけではないが、少なくとも目の前のリンクに対する理不尽な憎しみはなくなっている。

「戻さなくていいよ、勿体ないじゃないか。せっかく格好良くなったのに」
「前のオレは格好良くなくて悪かったな」

 わざとらしく低い声で、リンクが唸った。背けられた顔は少し紅潮しており、どうやら照れているようだ。

「ごめんごめん、そんなつもりで言ったわけじゃないよ。リンクは元々綺麗な顔をしていたけれど、精悍さが増してそれが際立ったなぁと思って。前のきみも好きだけど、今のきみだって――」
「マルス」

 耳を打った真剣な声音に、マルスは弾かれたように顔を上げた。いつの間にか一歩、リンクとの距離が縮まっている。
 マルスを見下ろして佇む彼の背後に、暗澹としながらも美しい黄昏が広がっていた。冬の厳しさを映しこんだ黄金色の空気の中、初春の暖かさを思わせる茜色が微かに滲む。中庭に茂る緑を明るく塗り替えながら、遥か上空では夜の帳が下ろされようとしている。空をたゆたう小さな雲は、月と星の気配で溶けかかっていた。

 夕刻の貌鳥の鳴き声が、高く長く、空気を裂いた。
 リンクの顔に二つはめ込まれた丸い空すらも、立ち込める薄闇の色に染まっている。茫洋とした視線は、マルスを捉えたまま動かない。

「どうしたの、リンク」

 僅かに震える声が紡いだのは、問い掛けではなく誰何だった。
 リンクの様子は誰の目から見ても明らかに尋常ではなかった。透き通ったガラス球を思わせる目は綺麗だが、そこには意思の一欠片も見当たらない。白い肌が逆光に照らされてぼんやりと浮き上がり、微動だにしない様はまるで彫像のようにも思えた。

 リンクの唇が微かに動き、マルスの名を再度模った。音のない声に縫い付けられて、指先の一本も動かない。それなのに、不思議と怖れや不安はなかった。目の前に広がる黄昏色の情景にただ見惚れ、胸の奥が不自然に揺らぐばかりだった。

 彫像のようだと思ったリンクの表情がふいに崩れた。悲しげに眉を顰め、口の端に形ばかりの笑みを乗せ、リンクは伸ばした両手でマルスの肩にそっと触れる。鎧こそないものの衣類の上からだというのに、彼の手は熱した鉄よりも熱く感じた。

「リンク――」

 声になっていたかどうかわからない。誰を呼んだかすら定かではない。
 夢でも見ているような気持ちで、マルスは徐々に近付くリンクの顔を見つめていた。黄昏色に染まった空に、ぼんやりとした自分の顔が映っている

 ひどく緩慢な仕草で、リンクはマルスに顔を寄せた。脈打つ首筋が、生温い吐息で覆われる。背筋をぞくぞくと這い上がる言い知れぬ感覚にマルスが身を震わせた次の瞬間、リンクの犬歯が甘く、柔らかく、薄い皮膚へと突き立てられた。

4

 痛みはなかった。頭の中が痺れてしまっていて、何も考えられなかった。
 突き立てられた歯は皮膚を貫くよりずっと前で止められ、そこからはじくじくと熱が広がるばかりだった。押し付けられた唇の端から垂れた唾液が、首筋を伝って襟元に染み込む。流れているものが血であると錯覚してもおかしくはない生温さに、マルスは知らず止めていた息を吐いた。

 呼気が戻ると同時に、黄昏の中に漂っていた意識を取り戻す。霞み掛かった頭があくまで冷静に、この状況をどうにか理解しようと動き出した。
 マルスの首を甘噛みしているリンクは、それ以上歯を立てる気もなければ、離れる気もないようだった。時折触れる舌の熱さに慣れた頃、ようやく肌が鈍い痛みを訴えはじめる。だが耳を打つ湿った音がした後は、決まってその痛みが遠のいた。肌の上を這う舌の感触と、頬に触れる髪の毛の柔らかさに埋もれてしまうのだ。

 皮膚の中にまで浸透していく熱と、微かな吐息や細い毛先がもたらす擽ったさと、それらに紛れた確かな痛みとが、頭の中の霧を濃くしていく。必死で手を伸ばしても、緩やかに停止しかけた思考には届かない。
 取り戻したと思った意識が、再び黄昏に霧散していく。

 粛然としてそれを見送っていたマルスだったが、前触れもなく突き付けられた鋭い痛みに、目を見開いて我に返った。

「リンク!」

 痛みに悲鳴を上げるより先に、彼の名前を呼んでいた。目の前にあった肩を掴み、強引に自分の首から引き離す。首筋とリンクの唇を繋ぐ銀の糸は、その途中でぷつりと弾けて切れてしまった。一瞬の情景に背筋が粟立つのを感じたが、マルスはそれを努めて意識の外へと追いやった。

 気付けば風が孕む冷たさが、一層鋭さを増している。西の空から太陽の残滓が薄れ、黄昏時は禍時へと変わろうとしていた。徐々に深まる薄闇の中、虚ろなリンクの両の目は逆に、昼間の空の色を取り戻していく。その焦点がマルスに合うと、瞳孔に僅かながらの光が差した。ただでさえ白い顔から血の気が失われ、青褪めた唇は微かに震えていたが、表情に不穏な色はもう見当たらない。

「あ……オレ、今――」
「落ち着いて。僕は平気だから」

 混乱のあまりまた平静を失いかけているリンクに、マルスは強い口調で断言した。実際マルスも胸を撫で下ろしたばかりで平常であるとは言い難かったが、リンクがこの様子では情けなく狼狽えている場合ではない。加えてステージの方角から、大勢が動く気配がしていた。試合が終わり、観客が徐々に捌けているようだ。試合が終われば、宿舎に戻るファイターはこの中庭を必ず通る。いつまでもぐずぐずと、ここで問答している時間はなかった。

「冷えて来たし、宿舎に戻ろう。温かい飲みものでも用意するから」

 リンクは迷っているようだった。小さく振られた首は、もしかしたらマルスの提案を拒否していたのかもしれない。だがそれに気付かない振りをして、マルスは立ち上がるとリンクの背を軽く押して前へと促した。

  ◇◆◇

 幸か不幸か、道中で人と出くわすことはなかった。いつもよりも長く感じる廊下を歩きながら、特に行き先を決めていなかった足は自然と自室に向かう。辿り着いた部屋の前で、これまで大人しく従っていたリンクが顔色を窺うような視線を向けてきたが、マルスはそれにも気付かない振りをした。

 マルスの部屋は質素なものだ。身の丈ちょうどのベッドが一つと、その横に小さな本棚があるだけで、他に家具らしい家具はない。ラグも敷いていない床に座らせる訳にも行かず、マルスは迷った末にベッドを指差した。

「ごめんね、とりあえずここに座ってて」

 戸惑うリンクに言い捨てて、マルスは部屋の隅にあるバーカウンターに立った。ポットを手に取ったはいいが、リンクが好む飲みものが思い当たらない。直接尋ねた方が良いかと振り返れば、リンクはベッドの上ではなくその脇で、所在無げに座り込んでいた。背を丸めた彼は幼い子供のように見えて、こんな時にも関わらず昔のリンクを思い出して胸に温かいものが宿る。

 マグカップに注いだ砂糖入りの紅茶を、マルスはリンクに手渡した。気が動転している時は、温かいものか甘いものが良いのだと誰かに聞いたことがある。

「熱いから気をつけて」
「あぁ」

 マグカップを受け取ったリンクは、水面に視線を落とすだけで口を付けようとはしなかった。表情は沈んでおり、声も暗い。とても茶を楽しむ気分ではないようで、さすがのマルスもそれ以上は無理強い出来ない。
 ベッドのフレームを背もたれに、リンクと並んで床に座り込む。薄暗い室内に、気まずい沈黙が流れた。カーテンが開けっ放しの窓の外には、すっかり塗り替えられた夜空に星が輝いている。

「ごめん」

 重苦しい沈黙を、リンクの弱々しい声が破った。湯気が立つマグカップを包む両手が、微かに震えているように見えるのはきっと気のせいではないだろう。

「大丈夫だよ、血も出ていないし。それより正気を失っているように見えたけれど、きみの方こそ今は大丈夫なのかい?」
「あぁ、オレは別に――本当に、悪かった」
「気にしていないから、それはもういいよ。ただ、どうしてあんなことをしたのか、理由があるなら聞かせて欲しいかな」

 ちらりと見やったリンクの横顔に苦みが走った。きつく眉根を寄せ、唇を噛み締めている。カップを抱える手の震えは、見ればわかるほどに大きくなっていた。

「理由――は、自分でも正直、わからない。頭がぼうっとして、気が付いたら――だったから。意識ははっきりしてたけど、身体が勝手に動いてた。自分を他人事みたいに遠くから眺めてる感じで――」
「こういうことは今までもよくあったの?」
「なかった。確証はないけど、たぶん、今回入れられた新しい『リンク』の影響なんだと思う。マルスと同じでマスターハンドの調整ミス、なのかな。わからないけど」

 ようやくマグカップに口を付けて、リンクは深い溜息を吐いた。虚ろな目を中空に向けたまま、彼は自嘲交じりに語り始める。吹っ切れたのか諦めたのか、急に滑らかになった口調には、清々しさとは無縁の暗さが潜んでいる。

「この外見の『リンク』は、獣に姿を変えることが出来たらしい。あぁ、オレは出来ないけどな。さっきアイクと話してただろ、竜人とか、ラグズとか。それと似たようなものだと思う。オレもはっきり知ってるわけじゃないけど、獣になっている間は人間でいるときよりも意識が単純になるんだ。獣の意識に近くなってるってことなんだろうな、理性はあるのに働かない。さっきのオレは、ちょうどそんな感じだった」
「姿は変わらずに、意識だけが獣化したってこと?何の前兆もなかったし、このままだと色々と支障がありそうだけど……」
「憶測だけど、原因はわかってる。あの『リンク』は影の領域――トワイライトって呼ばれてる場所に入ったことで、強制的に獣の姿になったそうだから。さっき、ちょうど黄昏時だっただろ。あれが切欠になって、意識が引っ張られたんだろうな」

 マルスの脳裏に、あの美しい情景が蘇った。茜が滲んだ、どこまでも広がる金色の空。その色をそのまま映した、ガラス球のような目。その目で見つめられて、指先の一本も動かせなかったことを思い出す。辛うじて搾り出した声で「どうしたの」と尋ねながら彼の名前を呼んだが、あの時マルスは確かに、目の前の男が何者なのかわからなくなっていた。

 黄昏時というのは、奇妙な符丁だった。黄昏、たそかれ、誰そ彼。深まる暗がりの中で顔が見えない人影に向かって「お前は誰だ」と問う頃合いがそう呼ばれる。

 あの金色の中で、マルスは確かにリンクを見失っていた。元々おぼろげだった彼の存在は、黄昏に浚われて更に遠のいた。今こうして横でうずくまる彼は、やはり自分が知るリンクではないのだと、悲しい確信が胸を占める。

 もういいよ。そう言いたくなるのを堪えて、マルスは拳を握り締めた。リンクを失った喪失感や怒りといった激情よりも、あくまで以前と同じリンクであろうとする彼への憐憫が強かった。外見も、中身も、こんなにも変わってしまったところばかりを見せ付けておきながら、彼は何も変わっていないつもりだと嘯いている。その愚かさが、健気さが、胸を切り裂くように痛かった。

「何にしろ、そのままだと不便だろうからさ。僕で良ければ付き添うから、今からでもマスターハンドのところに――」
「嫌だ」

 割って入った強い言葉に、マルスはそのまま絶句した。リンクは折った膝の上で顔を伏せたまま、はっきりとマルスを拒否している。

「お前に迷惑をかけたのはわかってる。自分がどっかおかしいのもわかってる。でも嫌だ。マスターハンドのところには行きたくない。頼むから、あいつのところに連れて行くなんて、言わないでくれ」
「どうして?マスターハンドはきみを手荒く扱うことはしないと思うよ」
「あぁ。何だかんだで大事にされてることは、ちゃんと知ってる。でも、だから嫌なんだよ。あいつはきっと、オレが辛くないように、手を尽くしてくれるから。だから嫌だ」

 堪えきれない激情が迸り、リンクの身体はわなわなと震えていた。

「もう、これでお前が信じてくれることはなくなっただろうけど、オレは変わってないつもりなんだ。お前とロイと、三人でつるんでた時と同じリンクのつもりなんだよ。他人の、借り物の記憶で、こんな気持ちにはならないだろって――自分じゃよくわかるのに、どうしたらお前にそれを、伝えられるんだろうな」
「リンク――」
「お前との間にあったこと全部、マスターハンドに話したら、あいつはきっとオレの姿を戻そうとする。でもそれじゃ、もう遅いだろ。今更オレが前の姿に戻ったとしても、お前はオレを、前のリンクの皮を被っただけの別人としか思えないだろ」
「そんなこと――」

 ない、と言い切りたかった言葉は、それ以上続かなかった。リンクが顔を上げないまま、微かな笑い声を立てる。

「自分でも未練がましくて笑えるけどさ、まだどっかで、信じてもらえないかなって思ってるんだろうな。――前の大会が終わって、マスターハンドから新しく見付けた大きな歴史を追加するって聞いた時、自分が自分じゃなくなるんじゃないかって、すごく不安になったんだ。それは嫌だって、マスターハンドに何度も言った。思い出とか気持ちとか、そういうものがなくなるくらいなら次の大会は出ないって駄々もこねた。宥められて『更新』のために嫌々眠ったオレが次に目を覚ました時、違和感なんて何もなかった。いや、鏡見たらありまくりだったけどな。でも少なくともオレの中身は、変わってないなって、自分でそう思えたんだ。だから、これ以上弄られて、変にお前とややこしくなるのは、絶対に嫌だ」
「でも、このままだと夕刻は外に出られないじゃないか。試合も全部、その時間は放棄する気?」
「もう二度とあんなことにはならない」
「なんでそう言い切れるのさ」

 リンクは答えなかった。恐らく答えられないのだろう。リンク自身も最初に言ったように、確証などどこにもないのだ。

「――わかった。そんなに嫌がるなら、無理強いはしないよ。僕も今日あったことは忘れる。誰にも言わない」

 沈黙で押し問答をしたところで、何の解決にもならない。押し黙るリンクにマルスは潔く折れた。

 正直なところ、マルスだって出来ればマスターハンドのところには行きたくない。リンクと連れ立ってなら尚更だ。マスターハンドはマルスがリンクに寄せる想いを知っている。いい加減なようでいて誰よりも誠実であろうとしている彼がよもや口を滑らせることはないだろうが、神の意向など人の身からは計り知れないものだ。

 ありがとう、とリンクが低く呟いた。視線一つ向けられないままの言葉は、右から左に流れていく。
 マグカップを床に置いて、リンクはゆらりと立ち上がる。隣で座ったままのマルスを見下ろすその顔には見覚えがあった。眉を顰めて、形ばかりの笑みで口元に弧を描く、寂しげな表情。マルスの首に歯を立てる直前に見せた顔と、同じだった。

「一人で戻れる? 送ろうか?」
「子供じゃないんだから。大丈夫だよ」

 マルスの軽口に、リンクは力なく笑って応えた。亡鬼のような足取りで歩いていく彼の背中を見送ることが出来たのも途中までで、目を閉じ俯いてしまったマルスは、扉が閉まる音を暗闇の中で聞いていた。

 どれほどの時間をそうしていただろうか。瞼を上げると、霞んだ視界にがらんとした部屋が広がった。窓の外を見ると、夜の帳は降りきったようだ。暗さが増した部屋の中、ランプの火がジリジリと音を立てて芯を燃やしている。

「リンク、大丈夫かな」

 呟きのつもりが、存外大きく響いて驚いた。自分で発したその名前に、胸が締め付けられて息が苦しい。

 噛まれた首筋には未だ、溶けかけた微かな痛みが残っている。触れると指先に、浅く残る歯形の凹凸が感じられた。熱を帯びているのは単に首筋だからか、それとも余韻なのだろうか。掛かる吐息の甘さと、触れた舌の艶かしさを思い出す。足先からぞくぞくと這い上がる感覚に、今更ながらよく平気な顔を保てたものだと自賛する。心臓を打つ鼓動が、今更ながら恐ろしく早い。

 リンクの話を信じるなら、彼に上書きされた歴史にある獣性の暴走、とでも言えばいいだろうか。それにしては、あの時の彼から獣の獰猛さは感じられなかった。脈打つ血流を確かめるかのように歯を添えて、あれではまるで情を交わす合間の戯れだ。獣じみているというなら、乱闘中の彼の姿こそ余程それらしい。

 それとも彼は止められなければあのまま、マルスの首を食いちぎったのだろうか。そう考えかけて、それこそないだろうとマルスは一人かぶりを振った。そのつもりでいる獣がよもや、あのような戯れはしないだろう。

 理性はあるが働かず、遠くから自分自身を眺めているようだったと、そうリンクは言っていた。その言葉からは、あの行為がリンクの本意であったのか否か、それすらもわからない。いつになく饒舌に語った彼は、結局のところ肝心なところはマルスに隠し通したままだ。理由はわからない、と言った時、彼は視線を迷わせた。

 慣れない嘘は、見ていて物悲しくさえ思えるものだ。どうして自分がマルスの首に噛み付いたのか、そうした理由について彼は心当たりがあるようだった。恐らく、マルスには知られたくなかったから隠したのだろう。
 向いていないと自覚しながらもごまかそうとするくらいだ。自分を信じてくれないマルスに業を煮やして、その鬱憤があのような手段を取らせたのかも知れない。少し理性的に考えれば逆効果なのはわかるだろうから、隠したくもなるだろう。続いた言い訳のような言葉の数々も、焦りの表れと見れば辻褄も合う。

「――ずるいなぁ」

 消えかかった噛み跡に手をやって、既にいない彼に恨み言を投げる。マルスが押し殺そうとしている想いを無自覚に煽っておいて、自分は肝心なところを曖昧に隠し、それで信じて欲しいとは随分な言い草だ。

 無論、まったく筋違いな文句であることは自覚している。マルス自身気付いていなかった想いを、あの不器用で朴念仁のリンクが知っていたとは思えない。知っていたとなれば、彼はむしろマルスから離れたことだろう。

 だからこれは、全部間の悪い偶然だ。リンクはマルスの想いなどきっと露ほども知らないし、あの行為に彼が説明した以上の意味は恐らくない。色々と可能性を考えてしまうのは、自分の方こそ未練がましく、僅かな希望に縋っている証だろう。

 だが、偶然でもなんでも、あんまりだと思ったからマルスもリンクに嘘を吐いた。この噛み跡が完全に消えてしまっても、あの瞬間を忘れることは出来ないだろうに、守れない約束を平然と口にした。ほんの意趣返しのつもりでしかなかったそれが、今更胸に重く圧し掛かる。

 ふと視線を落とすと、リンクが残していったマグカップが床にあった。一度だけ口を付けた時に飲んだのか否か、淹れた時と変わらない量の紅茶が入っている。違うのはすっかり冷え切ってしまっており、湯気の気配すら残っていないことだけだ。
 手に取り、口を付けて、静かにカップを傾ける。想像した通りの冷たさが、からからに乾いていた喉を潤していく。

 一口だけ、と思いながら、貪るように嚥下する自分の卑しさを嘲笑う。口の端から滴る雫が、膝の上に落ちる。まるで涙だと思ったが、誰の涙だと思ったのかはマルス自身にもわからなかった。

5

「おまえ、マルスと何かあっただろう」

 食後の運動がてらのトレーニング中、麗らかな昼下がりに、アイクは大真面目な顔で切り出した。

 大会が始まってちょうど一週間。アイクの単刀直入な物言いにも慣れてきたつもりだったが、寄りによって打ち合いの最中というのは唐突が過ぎる。一瞬にして硬直したリンクの剣を軽く受け流し、一旦距離を取ったアイクはその場で自分の剣を乱雑に投げ捨てた。どうやら打ち合いは中断のようだ。これから始まるだろう尋問に内心で溜息を吐きながら、リンクも剣を放り投げる。訓練用の長木剣は、乾いた音を立てて転がった。

「いきなりなんだよ」
「もう五日目になるが、最初に手合わせをした時の精彩が一向に戻らん。おれの心当たりと言えば、あいつぐらいしかないからな。カマをかけてみたんだが」
「お前、カマをかけるって絶対間違ってるぞ、それ。全然かけれてないからな?」
「そうか、おれの目にはかかってるように見えるんだがな。で、何があった」
「別に、何もない」

 この期に及んで往生際の悪いリンクに、アイクが聞こえよがしの溜息を吐いた。つかつかと歩み寄ったと思うと、軽く握った手の甲でリンクの頭をはたく。傍目には少し小突いた程度だが、アイクの豪腕に掛かれば見た目以上に痛い。

「何するんだよ」
「休憩だ。なまくらのおまえとやり合ったって楽しくない」

 ぶっきらぼうに言い捨てて、アイクが近くに転がっているサンドバッグを投げて寄越す。一人でやっていろ、という意味ではなく、これを枕にして寝て頭を冷やせ、と言いたいようだ。気遣われているのはわかるが、なまくらとまで言われては黙っていられない。

「じゃあ本気で――」
「出来ないことを言うな。おまえは迷っているし、剣を振るうことを楽しんでもいない。そんな時に出せる『本気』など、寝言程度の価値もないな」

 ここまでばっさりと切り捨てられては、さしものリンクも二の句が継げない。腹が立つのは図星だからだという自覚はあるのだ。
 一人先に寝転んだアイクに倣い、リンクは自棄でその隣を陣取った。埃っぽいサンドバッグに顔を埋めてすぐに後悔したが、意地でも顔は上げたくない。

「言っとくが、馬鹿にしてるわけじゃない。おれは万全の状態のおまえと闘いたいだけだ」
「わかってるよ、戦闘バカ。好きなだけボロクソに言えばいいだろ」
「言ってどうにかなるなら言うがな。ならないから訊いてるんだ、何があったかと」

 リンクのだんまりにはアイクも慣れたものだった。沈黙を気にした様子もなく、彼は淡々と言葉を続ける。

「不自然なほど、おまえとマルスの試合を見ない。どちらも私情を持ち込むようには思えないが、ここまで来ると故意に避けているとしか考えられんな」
「マルスは悪くない。私情を持ち込んでるのは、オレだけだ」

 リンクは顔を伏せたまま、低い声を絞り出した。自分だけの問題ならばどれだけ誤解されようが黙秘を貫くが、マルスまで悪く思われるのは耐えられない。自分がどれだけ大人気ない真似をしているか、わかっていれば尚更だ。

「試合の組み合わせは抽選だろう。言っておいてなんだが、故意に避けることなんて出来るのか?」
「伊達にこの世界の中枢に身を置いてるわけじゃない。古株の特権だな」

 実際のところ、リンクどころかあのマリオやカービィにすら、抽選結果を弄る権限などはない。半ば脅しをかける形でマスターハンドに無理を言っているのが真相だが、そこまで馬鹿正直に話す義理はないだろう。曖昧にごまかしたが特に不審には思われなかったようで、アイクは「そうか」と納得している。
 アイクの実直な人柄が、こういう時には有り難い。裏を探る必要もない、まっすぐなやり取りは安心出来る。
 そう思えたのはこの一瞬だけだった。

「あいつがおまえにとって特別なのはわかるが、どうしてそう素直じゃないんだ」
「はぁ?」

 続けて投げられたアイクの言葉に、努めて平静を装おうとしたリンクの声が裏返った。思わず顔まで上げてしまったが、当のアイクは仰向けで目を閉じて、すっかり寛いでいる。

「あんな顔をして見ているくらいだ、避けたくて避けているわけじゃないんだろう」
「な、なんでお前、知って――」
「なんでって、おまえはマルスを気にし過ぎなんだ。乱闘中だろうが、あいつの姿が見えるとあからさまに動きが鈍るしな。わかりやすいぞ、おまえ」
「うそだろ」

 血の気が引くのと同時に、顔が紅潮するような感覚に襲われた。今、自分の顔色が一体どうなっているのか想像もつかない。うろたえるリンクの横で、アイクがおもむろに目を開いた。黒みの強い碧眼が、訝しげにリンクを見つめる。

「アイクは、そういう話には鈍感だと思ったのに」

 赤くなったり青くなったりと忙しいリンクを眺めながら、アイクは首を傾げた。頭を抱えて唸り始めたリンクはそれに気付かず、身悶えながらサンドバッグに当り散らしている。

「待てよ、アイクが気付いてるのに、マルスが気付かないわけないよな。え、もしかしてとっくにバレてて、だからあいつ、あの時全然動揺しなかったんじゃ――」
「リンク」
「いや、逆だろ。普通、あの状況で迫られたらいくらなんでも身の危険を感じるだろ。オレがあいつのこと好きって、バレてるなら余計に――」
「リンク。おまえ、何の話をしてるんだ?」

 一人のた打ち回るリンクの肩を掴み、アイクが尋ねた。上体を起こし、いかにも不可解な顔を向けられて、リンクはそのままの姿勢で硬直する。この時点で洒落にならない早とちりをしてしまったことはなんとなく気付いていたが、脳がその現実を受け容れるにはまだしばらくかかりそうだ。
 だがアイクは無慈悲にも、容赦のない追撃を口にした。

「おれは、おまえがマルスを好きだとか、考えたこともなかったんだが」
「あ、あぁ、そうだな。オレ、別にマルスがその、好きだとか、違うし」

 たどたどしく言い訳するリンクに、アイクは珍しく弱った顔を見せた。この期に及んで無様にも逃げ惑うリンクを笑うでもなく、純粋に案じてくれている。恐らく掛ける言葉が見付からないのだろう、口を開閉する懸命さと真摯さが、今のリンクにはかえって見えない刃物で身を刻まれるようだ。

 どうしてあんなややこしい言い方をしたのかと、まるで筋違いの文句が口をついて出そうになった。いっそ笑ってくれ、と捨て鉢な気分で考えたが、それを言うのも癪で、リンクは自分で乾いた笑い声を上げる。

「――軽蔑するか」

 笑い声が止むなり、リンクの低い声が尋ねた。いや、と即座に返されたアイクの答えに、嘘の色は見当たらない。

「どこを軽蔑するのかは知らんが、呆れはしたな。おまえ、迂闊過ぎるだろう」
「紛らわしい言い方するのが悪い。アイクにバレるってどんだけわかりやすいんだって、本気で焦っただろうが」

 笑い話に昇華しようとしてくれているアイクの気遣いすら、鈍い痛みにしかならなかった。それに甘んじて笑ってみても、先程と変わらない乾いた声しか出ない。

 リンクは溜息を吐いた。もういい。全部、言ってしまおう。一人で抱え込むことに、ちょうど限界を感じていた頃合だ。打ち明ける相手がアイクというのは想定外だが、独白の聞き手として、口が堅そうな彼はある意味適任だろう。
 アイク、と名前を呼ぶと、あれで意外と察しの良い彼は、すぐさま口を噤んだ。沈黙が、リンクの言葉をそっと促して待ってくれている。
 小さく息を吸い込んでから、リンクは言った。

「オレさ、あいつのこと好きなんだ。昔から」

 自分の声が、遠くから聞こえて来るようだった。口にした想いは音となって、胸の中でずしりと重さを増す。

「前の大会で初めて会った時から、いいやつだなーって思っててさ。一緒にトレーニングしたり、飯食ったりしてる内に、気付いたらなんか、好きになってた。仲間として認めて貰えるだけで十分でさ、告白してどうこうなりたいとか、そういうことは考えなかったな。一緒にいて、あいつが笑ってくれれば、それで良かった。――でもある日、オレだけがマスターハンドに呼び出されたんだ。この大会が終わったら次の大会に向けて『更新』する、ってな」
「こうしん?」
「アイクも聞いただろ、オレはハイラル史における歴代リンクの集合体みたいなもんだって。マスターハンドは暇な時にハイラルの歴史を覗いては伝説をたぐって、気に入った『リンク』をオレの中に入れるんだよ。あいつはそれを『更新』って言うんだ、オレも意味は知らないけど。そんで、その『更新』ってのが、オレにとってはあんまり気分のいいものじゃなくってな――」

 言いながら、リンクは第二回の大会が始まる前に行われた更新作業を思い出していた。
 あの時入れられた歴史はどれも苦々しく、目を覚ましてからの気分は最悪だった。頭の中で錯綜する記憶は一向に静まる気配もなく、痺れを切らしたマスターハンドの手によって強制的に眠らされるまで、リンクは止まぬ頭痛に呻き続けていた。あまりの拒否反応に原因であると思われる、月に狙われた町の歴史が取り除かれたが、その分離作業は上手く行かなかった。カップの底に残る澱のように、リンクは一度入れられた歴史を忘れられず、新たに生まれた子供はリンクが内包する歴史を全て共有した、分身のような存在となってしまった。
 だが二人に分かれたことが功を奏してか、結果的に拒否反応自体は見られなくなった。それを面白がったマスターハンドが子供のリンクまでファイター登録をすると言い出したので、リンクたちにとって前大会は慣れるまでが大変だったものだ。
 懐かしい思い出に気を取られながらも、リンクは続ける。

「マルスも言ってたけど、頭の中に人が増えるわけだからさ。落ち着くまでは幻聴が酷かったり頭痛や眩暈が治まらなかったりして、嫌なもんなんだ。だけど今回、そんなことはどうでもよかった。少し大きい歴史を入れるって聞いて、オレは自分が自分じゃなくなったらどうしようって、あいつを好きなこの気持ちが消えたらどうしようって――それだけが不安で、仕方なかったんだ」

 気付けば握り締めた手が微かに震えていた。その時の恐怖が、足元から沸々と湧き上がってくる。搾り出す声すらも掠れてきていた。アイクが気遣うように、リンクの頭に手を置いた。無理をするな――その手がそう言っていたが、ここまで来たら吐き出してしまった方がずっと楽だ。

「伝える気なんてなかったんだから、気持ちが消えようが残ろうが、どうでもいいはずなのにな。でも嫌だった。オレじゃなくなったオレまであいつを好きになって、あいつがそれを受け容れたら、とか考えて、居もしないオレにむかついてさ、バカみたいだろ。いっそ好きだって、言っちまおうかと思った。一度は言うって決めて腹も据えた。けど結局、言えなかった。そのまま大会が終わって、世界が閉じて、オレはマスターハンドの『更新』のために、眠りに就いた」

 そして次に目を覚ましたリンクが真っ先に思い浮かべたのは、マルスの顔だった。脳裏に浮かぶ優しげな笑みに、以前と変わらない温かさが胸に広がるのを感じて、リンクはどれほど安堵したことか知れない。

 頭痛も眩暈も、その安堵が掻き消した。容姿が変わってしまったのも、その時は些細なことだった。ただ変わらずに彼を好きでいられることが、当時のリンクにとっては何よりも尊かったのだ。

「前と変わらずに、あいつのことが好きなんだ。それだけでオレはオレを信じられるけど、あいつにとっては証拠らしい証拠なんて何もない。こんだけ見た目が変わったら驚くのは当たり前だ、変わらず接してくれるマリオやフォックスが例外で、あいつの反応は仕方ないって、わかってる。わかってるけど――こうなったオレが何を言っても、もう遅いだろ?」

 笑いが混ざって跳ね上がった語尾には、自暴自棄の色が見て取れた。勢いよく寝転がり、リンクはアイクに背を向ける。

 誰かが彼について「諦めが良すぎる」と嘆いていたことを、アイクはふと思い出した。寂しい諦め方をする、とそれこそ淋しげに語っていたのは誰だっただろうか。
 思い出せないまま、向けられた背中を見つめる。アイクの目には、全てを拒否するかのように丸められたその背中が、諦めているようには見えなかった。

「おれがあの場を去ってから、何かあったのか」

 かねてから考えていた点について尋ねると、リンクの肩がぴくりと跳ねた。身動ぎする彼が立てる衣擦れの音の向こうで、小さく溜息が吐かれる。

「お前、嫌なとこで勘が鋭いよな」

 肯定としてはそれで十分だったが、リンクは寝転がった姿勢のまま力なく頷いた。

「お前のおかげで、あれからしばらくは普通に話が出来てたよ。緊張してたこともあって正直よく覚えてないけど、陽が暮れかけたくらいに、あいつが言ったんだ。前のオレの見た目も好きだった、とか、そんなようなこと」

 こみ上げる何かを堪えるように、リンクはそこで一旦言葉を切った。肩が大きく上下して、一層弱々しくなった声が先を続ける。

「それを聞いて、頭の中が一瞬でぐちゃぐちゃになった。こいつの『好き』はオレとは違うとか、だから簡単に口に出来るんだとか、しょうもないことばっか考えて、好きなんだか憎いんだか悲しいんだか嬉しいんだか、本当にわかんなくなってさ。オレは言いたくても言えないのに、って腹まで立ってきたときに、頭の中で声がしたような、背中を誰かに押されたような、そんな変な感じがした。――気付いたら、噛んでた。あいつの、首を」

 それまで静かに聞いているだけだったアイクも、さすがに息を呑んだ。平時であれば素っ頓狂な声の一つも上げただろうが、話が話だけに迂闊に口を挟めなかったようだ。
 アイクの困惑を背中で受け止めて、リンクは更に続ける。

「オレはどれだけ『更新』されようがオレ以外にはならないんだろうけど、見た目こんだけ変わるんだから、中身も多少は影響があるんだろうな。あの時、オレの中の『リンク』の一人に唆された気がしたよ。言ってわからないなら、力ずくで聞かせるしかないだろうって」

 これは半分嘘だった。確かに声は聞こえた。背中を押された。けれどその声も、その手も、確かに自分のものだったと、リンクははっきりと言い切れる。以前の自分ならしなかったかも知れない乱暴な考えは、新たに加えられた黄昏の勇者の記録がもたらしたものなのだろうが、それを受け容れたのは他ならぬリンク自身だ。

 あの時、リンクはマルスにも今と同じように、新しい〝リンク〟の影響をほのめかした。彼との間に出来た溝が深まるリスクを知りながら、全てを黄昏のせいにした。バカな真似をしたものだと後悔したが、そうするより他に手段はなかったのだ。

 冷気に晒されて冷えた肌の下、脈打つ鼓動を舌先で感じて得たあの高揚が、自分の欲望だと知られてしまったら。皮膚に突き立てた歯に込めた、獣じみた独占欲に気付かれてしまったら。――リンクがマルスに抱く感情は、吐露する前に突き止められてしまうだろう。

 それがどんなに悪手でも、誰かのせいにすることだけが、リンクがマルスと変わらぬ友情を続けられる唯一の手段だったのだ。そうでもしなければ、この想いが知られていた。知られてしまえば、万に一つも戻れなくなってしまう。並んで歩いて下らない談笑に花を咲かせられる、あの穏やかな日常に。

「あいつの近くにいると、オレはいつか取り返しのつかないことをやらかすような気がするんだ。だから、わがままなのはわかってるけど、落ち着くまで――あいつから離れてないと、いけないんだよ」
「本当に、それでいいと思ってるのか?」

 アイクの静かな問いかけが、いやに大きく反響した。
 もちろん。リンクは頷いて即答する。だが、落ち着いているはずなのに激しくなる動悸を、無視することは出来なかった。背中に突き刺さるアイクの視線が痛い。後ろに目などないはずなのに、アイクが浮かべている表情が容易く想像出来る。

「おまえは諦めたようなふりをしているが、本心から諦めてなどいないだろう。このままでは駄目だと、そう思ってるんじゃないのか」

 憐憫と、困惑と、ほんの少しの怒りとが綯い交ぜになった表情を浮かべ、アイクはリンクの背中に言い募った。

「今おれに話したのと同じことを、ややこしいところは適当にはぐらかすなりしてマルスに言うのは駄目なのか。あいつはおまえを受け容れてないにしても、話も聞かずに門前払いを食らわすようなやつじゃないだろう」
「そうだな。だけどこれ以上、拒否されたくないんだよ。好きだからこそな」

 言外に、お前にはわからないだろう、と冷たく突き放す。恋焦がれる気持ちを彼に理解してもらおうとはリンクだって思っていない。気付かないかと思ったが、気付いたのかそうでないのか、アイクはそれ以上言葉を重ねる野暮はしなかった。
 ふと壁に掛けられた時計を見て、リンクは起き上がった。午前中に散々試合を詰め込まれた上に、昼からはアイクに付き合ってトレーニング。締めに夕刻前の一試合が残っている。もっともトレーニングの時間はほぼ雑談に費やしてしまったので、体力は十分有り余っている。ただ、それを使う気力はなかったが。

「さて。オレはそろそろ試合だから」
「リンク」

 こちらを見ようともせずに出て行こうとするリンクを、アイクの低い声が引き止める。足を止め、億劫そうに首だけで振り向いたリンクが、アイクを睨むように見つめた。

「なんだよ」
「おまえはマルスに対して無口過ぎる。おれが言えた義理じゃないが、寡黙も程々にしておけ。口にしなければ、伝わるものも伝わらない」

 リンクの表情に苦みが走った。痛切に眉尻を下げ、苛立たしげに唇を引き結び、迷いに揺れる瞳がそっと逸らされる。
 リンクは何も言わずに部屋を出て行った。彼が残した気まずい沈黙が空気を淀ませている。

 その中で再びサンドバッグを枕に寝転がり、アイクは静かに目を閉じた。

6

 あの一件以来、リンクと全く顔を合わせていない。
 その状況にマルスが安堵していられたのは、たったの二日だけだった。更に三日を重ねた今は、彼の徹底した逃げ腰に苛立ちすら感じはじめている。以前ファルコンが「イライラにはカルシウムだ」と推していたのを思い出してミルクを買ったはいいものの、それでまたリンクの事を考えてしまうのだから始末が悪い。

 しかしどんな状態であろうと、乱闘の出番は回ってくる。そしてこういう時に限ってスケジュールが濃密なのは一種の様式美だ。暇を持て余すよりは余程良いが、さすがに本日五戦目ともなると疲れが無視出来なくなってきていた。
 軽く肩を鳴らしながら、マルスは控え室に足を踏み入れた。扉を開けてからノックをし忘れたこと、中に人がいたことに気付いて後悔したが、既に遅い。

「そっかぁ、リンクも知らないんだね。――あ、マルス。お疲れさま、次も出場?」

 歓談の最中だったらしいネスが、いち早く気付いてマルスを振り返った。その横で、ネスの話し相手だったらしいリンクもマルスに視線を向ける。軽く頭が下げられるが、その表情はどう贔屓目に見てもマルスを歓迎しているようには見えない。
 しかしネスに手招きされては逃げる訳にもいかず、マルスは後ろ手で扉を閉めた。無邪気に笑っている子供に悟られないようにと、形ばかりの笑みを浮かべる。

「ネス君たちの試合は終わったのかい?」
「リンクは終わりだけど、ぼくはまだ。今回のスケジュール、タイト過ぎるよね。メンバーが少ないから、仕方ないけどさ」

 唇を尖らせて、ネスがぼやく。遂には過重労働だのブラック企業だのと、マルスにはわからない言葉でマスターハンドへの文句を並べ立てはじめる始末だ。相変わらず達者な口振りに、苦笑しながら閉口するマルスだったが、彼の意見ももっともだった。

 華々しく始まった三度目の大乱闘大会だが、現状参戦しているファイターの数は前大会に遠く及ばない。もちろん今いるメンバーが全てではないようだが、それにしては馴染みの顔を見ないのだ。ファルコやアイスクライマー、Mr.ゲーム&ウォッチなど、大勢が不参戦を明言されていないにも関わらず、未だ姿を見せていない。ネスとしては最初の開催からの付き合いであるヨッシーとプリンの不在が特に不満のようで、開会から一週間事ある毎にぼやいているのをマルスも聞いている。

「ねぇ、マルスはクッパおじさんとガノンおじさんについて何か聞いてない?」

 一頻りマスターハンドへの文句を吐き出したネスが、唐突に小首を傾げた。彼が名前を挙げた二人も、まだこの大会で姿を見ていない。

「クッパさんについてはロイのことを伝えようと思って僕も探したんだけど、参戦しているのかしていないのかも定かではないね」
「だよねぇ。マリオもリンクも知らないのに、知ってる人がいるわけないか」

 ネスはマルスを置いてきぼりで自己完結したようだ。実に奔放な子供らしいが、そこでリンクを横目に「箝口令が敷かれてたら別だけど」と釘を刺すところは子供らしくなく、老獪で抜け目がない。

「あのお二方がどうかしたかい?」
「だってさ、ダークヒーローが揃っていないんだよ。ここに来る途中、ついでにちょっと世界征服でも、って感じで悪さしてそうじゃない」

 さも深刻そうに声を潜めるネスだったが、その顔にはいかにも悪ガキじみた笑みが浮かんでいる。悪役とは言わずダークヒーローと表現するあたり、本気で疑っているわけではないのだろう。
 潜めた声を一転、ネスはけらけらと笑い声を上げた。大仰な仕草で身体を伸ばし、一つ大きな溜息を吐く。

「どこで何してるんだか知らないけどさ、誰でもいいから早く来てくれないかなぁ。毎日何試合もやってたらさすがに疲れるよ。リンク、次の試合代わってくれる?」

 急に話を振られて、それまで居心地悪そうに黙っていたリンクが慌てて表情を取り繕った。マルスを盗み見ていた視線をネスに向けるが、足はじりじりと出入り口へ後退する。

「オレだって午前中に詰め込まれ過ぎて限界なんだよ。先に戻ってるから、二人ともあと一試合がんばってな」

 曖昧に笑いながら、リンクは止める暇もなく足早に部屋を出て行った。逃げ出したのは誰の目にも明らかだったが、ネスはその不自然さを意に介さず「お疲れさま!」と笑顔で手を振りながら見送っている。

 大きな音を立てて閉められた扉が静寂を連れて来るなり、ネスの顔から表情が消えた。

「ふぅん。マルスに問題があるんだと思ってたけど、リンクもダメみたいだね」

 低い声で独り言ち、ネスは傍らのマルスを見上げた。口元には笑みが戻っているが、向けられたつぶらな瞳は真剣そのものだ。

「ねぇ、いつまで喧嘩してるの?」
「喧嘩しているわけじゃないよ。嫌われてしまったようだけれどね」
「あれ、嫌ってるのはマルスの方じゃなくて?」

 小首を傾げるネスの表情は、疑問の声とちぐはぐな笑みの形を崩さない。探るように眇められた双眸には、その場限りの薄っぺらな言葉で子供を騙せると思っている愚かな大人への、確かな嘲りの色が浮かんでいる。

 マルスだって、素直そうな見た目通りでないこの少年の目をごまかせるなどとは思っていない。動揺してしまったのは、彼の物言いがいつになく率直だったからだ。日頃から回りくどい言葉遊びを好む彼が、こういう時に意味を履き違えようがない言い方をするのは珍しいことだった。

「嫌っているように見えるかい」
「ううん。嫌ってるのはどっちかって話なら、あなたの方だよねって思っただけ。どう見えるかって話なら、ぼくには困ってるように見えてるよ」
「概ね当たってるかな。きみに隠し事は出来ないね」
「みんな気付いてるよ、大人だから言わないだけで。ぼくは子供だから言うけどさ」

 大仰に肩を竦めて、ネスは言った。いつの間にか小馬鹿にしたような嘲りは鳴りを潜め、今は純粋な心配がマルスに向けられている。

「――やっぱり、リンクの見た目のせい?」

 淋しげな声に胸が痛んだが、マルスは小さく頷いた。ここに来て下手に取り繕ったところで、ネスを失望させるだけだ。

「ネス君は、リンクのこと戸惑わなかった? あんなに容姿が変わって、驚かなかった?」
「カッコ良くなってたから、びっくりしたよ。でも話すと昔のリンクのままだもん、すぐ慣れちゃった」

 他の誰でもない、ネスがそう言うなら受け容れられるかも知れない。そう考えたマルスだったが、笑って頷こうとした首は油が切れた機械のように軋むだけで、一向に言うことを聞かなかった。

 本人が明言したことはないが、彼は共感能力者であるといわれている。マルスには見えない人の心を確かな形で手に取れる彼が言うならば、リンクは昔と変わらないリンクのままなのだろう。納得し、確かに安堵すべきであったのに、その言葉を聞いた瞬間にマルスが抱いたのは、フォックスが同じことを言った時に感じた疑心だけだった。

 自分がネスのように、心を読める力を持っていたら、こんなことにはならなかっただろうか。考えても仕方がない思考が頭の中を走り回る。何も言わずに俯くマルスをじっと見つめていたネスが、痺れを切らして口を開いた。

「ぼくがリンクをリンクだって信じたのは、心を読んだからじゃないよ」

 きっぱりと言い切ったネスに、マルスは複雑な胸中を隠そうとはしなかった。

「今は、読んだの?」
「ううん。ぼくの前でそういう顔する人は、大体同じことを考えてるっていう単なる統計。ねぇマルス、リンクのこと嫌いになったわけじゃないよね? もう仲良くしないとか、そんなこと考えてないよね?」

 マルスの服の裾を掴み、ネスは必死な形相で言い募った。いつものふてぶてしいまでの笑みはすっかり消えて、仲間思いで優しい性根が剥き出しだ。素直なようで素直でない彼らしからぬ反応に、マルスは思わず息を呑む。ネスをここまで心配させているなどと、思ってもみなかったのだ。

「昔からずっと、リンクは慎重で臆病で、用心深すぎるんだ。きっとそうしなきゃ生きていけない世界にいたから、その癖が抜けてないんだよ。だからあんなふうに逃げちゃうけど、それはマルスが嫌いだからじゃない。だからね、だから――冗談でも嫌われてるなんて、悲しいこと言わないで」
「――ごめん」

 か細い声で謝るマルスに、ネスはふるふると首を振った。

「本当はリンクが頑張らなきゃいけない時なんだって、知ってるよ。あんな態度じゃマルスが嫌われてるって思っても仕方ないって、わかってるよ。それでもぼくは、あなたたちがぎくしゃくしたままなのは、イヤなんだ」
「本当にごめんね。心配させて」

 いつも被っているキャップ越しに頭を撫でると、ネスは再び首を振った。先程よりもずっと弱々しく、声もしぼんでしまっている。

「ううん。勝手なこと言って、ぼくの方こそごめん。リンクがちゃんと、自分でマルスに言ってくれないと、どうにもならないことなのに」
「リンクは最初、ちゃんと僕に話してくれたよ。それで僕が嫌な態度を取ってしまったから、良くなかったんだろうね」
「そんな難しい話じゃないよ。もっと簡単で、シンプルで、大切なことだもん」

 ネスは力なく肩を落とした。

「だからこそリンクが自分で言わなきゃダメなんだ。マルスに無理を言ってるのはわかるけど、もう少しだけ待ってて。リンクだって、いつまでも逃げてばっかじゃないから」
「どうして、そう言い切れるんだい?」
「だってリンクは勇者だもん。様子を見たり隙を窺ったりするために逃げ回ることはあっても、目の前にした難題を投げ捨てたりなんてしないよ」

 その時ばかりはまっすぐにマルスを見上げ、ネスは力強く断言した。彼がリンクに寄せる強い信頼を垣間見て、羨ましいような妬ましいような、微かな痛みが胸を刺す。彼を信じられずに思い悩む自分が、酷く矮小な人間に思えた。

 恥ずかしさに唇を噛むマルスを見て、ネスは悲しげに眉をひそめた。仕方ないんだよ、と慰めたくても、その言葉はきっと歪んで届いてしまう。開きかけた口を噤み、小さく首を振る。無理に何かを伝えるより、相手が気付くのを黙って待っていた方が良いのは、往々にしてよくあることだ。

 気まずい沈黙が立ち込めかけた室内に、甲高いアラート音が一つ、唐突に響いた。示し合わせたわけでもなく自然と二人が目をやった先で、壁のモニターが明滅する。映し出されたブルースクリーンには大きな白文字で、次の試合の案内が表示されていた。

「チーム戦かぁ、あなたと組むのは久しぶりだね。相手はサムスさんと――ピットか」

 モニターを見たネスの声のトーンが、一段と低くなった。盗み見た横顔はどこか浮かない表情を浮かべており、マルスはそれを意外に思う。彼は人見知りこそ激しいが、特定の誰かに対する苦手意識を表に出すことはあまりなかったはずだ。それなのにピットの名前を見ただけで、マルスの前にも関わらず露骨に顔をしかめるとは、彼らしくない行動だった。

「ネスはピットが苦手なのかい?」
「そういうわけじゃないんだけど――よくわかんない、捉えどころがないっていうか」

 ネスは首を捻った。よくわからない、というのは本当なのだろう、その顔には困惑がありありと滲んでいる。その気持ちには、マルスも素直に共感出来た。
 初めて会った時の強烈な印象から、マルスはピットに対して苦手意識が拭い切れない。マリオに懐く無邪気で天真爛漫な少年が垣間見せた、あの蠱惑の笑みは今思い出してもぞっとする。彼が発した言葉の意味など何一つとして理解出来ないままに与えられる、正体不明の恐怖と痛み。彼との対話は、禁忌の深淵を覗いている気分にさせられた。

 あれから数回試合で一緒になったが、それ以外の場所でピットとマルスの間に個人的な付き合いはない。時折見かける限りでは、彼はマルスへ向けた不穏さなど片鱗も感じさせない無邪気な振る舞いをしているようだ。親交を深めたい気持ちはあるものの、あの言葉が引っ掛かってしまい、マルスはどうしても彼に近付けずにいる。

 一週間が経っても、告げられたあの言葉の真意は掴めなかった。ピットが何を知っているのか、何が目的であのようなことを言ったのか。一介の人間が知恵を絞ったところで決して至れぬ、人ならざるものの考えがあるのだろうと振り払ったつもりでも、ふと気付くとあの声が、あの言葉が、脳裏で不気味に反響している。

 ――あなたはこれから、この世界で大切なものを失います。

 ピットが言う大切なものとは、恐らくリンクのことだろう。そうだとしたら彼はリンクがマルスにとって大切な、特別な存在であることを知っていたことになる。あの時点でマルス自身すらはっきりと自覚していなかった恋心を、どうすればピットが知り得たというのだろうか。何もかも見透かしたようなあの目の不気味さは、考えれば考える程に募っていく。

「リンクはピットと仲が良いんだよね。意外だけどさ」

 茫洋とした視線をモニターに向けていたマルスの横で、いそいそと試合の準備をしながらネスが言った。初めて聞く話だが、それも当然だ。マルスはその二人に敢えて近付こうとはしていない。

「そうなんだ」
「仲が良いというか、ピットが一方的に懐いてるよ。マリオにもそうだよね、あんな感じ。ただ、なんて言えばいいのかなぁ……芝居がかってて、どっか不自然に感じるんだ。悪意はないと思うけど、したいからしてるってより、そうしなきゃいけないからそうしてるように見えるよ」

 リュックを背負い直したネスが、上目遣いでマルスを見上げた。どうしてだろうね、と感情の読めない黒々とした瞳が雄弁に語る。ネスはピットの行動の理由をマルスが知っていると思っているようだが、珍しく見当違いである。
 肩を竦めたマルスに、ネスは拍子抜けしたようだった。

「あなたが関係してると思ったんだけどなぁ。勘、鈍ったかな」
「僕が気付いていないだけで、関係はあるのかも知れないけれどね」

 ネスの考え過ぎ、という可能性は敢えて無視した。彼は子供だが、発した言葉に課せられる責任を、並みの大人より余程弁えている。自分の中に確証がないことを易々と口にはしない。その点で彼の勘はまったく侮れない。
 そうでなくとも、あの天使の思考が理解出来ないマルスにとって、全くの部外者であるネスの意見は貴重だった。

 一度、ピットと話してみるべきかも知れない。
 ネスに倣って試合の準備を整えながら、マルスはぼんやりと考える。心を見透かされるのは嫌なものだが、何を信じて何を疑えばいいのかわからないこの状況に甘んじていたくもない。

「試合、そろそろ始まるよ。行こう」

 先を行くネスが、マルスを振り返りながら言った。

7

 マルスとネスが連れ立ってステージに立つ頃には、空は既に群青へと染まりつつあった。
 日に数回行われる大乱闘は昼下がりにピークを迎え、陽が沈むに従って観客席の空席が目立つようになる。最後まで残っている客は、殆どが常連か、出場するファイターの熱狂的なファンかのどちらかだ。そのためその日の最終試合は、観客が少ないにも関わらずいつも以上に盛り上がることが多い。

 今日も観客席は疎らながら、一日を締め括りに十分な熱気を保ったまま、最後の試合が終わった。マルスたちが控え室に戻ってから数刻、観客も全員が帰路についた頃だろう。一般用の入退場ゲートが閉ざされれば、この会場に残っているのは内部関係者――ファイターと、マスターハンドが使役する管理プログラムのみとなる。これから次の日開場するまでが、それぞれの完全なプライベートタイムだ。

 試合を終えるなり、観客への挨拶もそこそこにサムスは颯爽とステージを出て行った。追いかけるようにネスが続き、ピットとマルスもそれに倣う。
 今大会でもサムスが居を構えているのは街の方だ。宿舎に住まうメンバーと違って行き来に時間が掛かるため、その辺りを考慮してか彼女が最終試合に組み込まれることは少ない。だが運の悪いことに今日は最終、そして明日は朝一番の試合に出場となっているらしい。本人は「別に構わない」と気にした様子もないが、ランダムの抽選結果とはいえ、その処遇についてはネスが自分のことのようにむくれていた。

 膨れっ面のネスを微笑みながらそっと宥め、サムスは彼の小さな手を引いて控え室を出て行った。一刻も早く帰りたいだろうに、彼女はネスを夕飯が待つ食堂まで送るのだろう。身体を休める時間を削り、他愛もない談笑で心を休めながら、彼女は自分を慕ってくれる幼い少年の想いに応えて並んで歩く。見慣れた微笑ましい光景は、彼ら二人が立ち去った後の控え室にも温かい雰囲気を残していった。

「ピット、弓の扱いが更に上手くなったね」

 控え室に備え付けられたドリンクを呷りながら、マルスは同じように水分補給をしているピットに話し掛ける。彼は嬉しげに顔を綻ばせると、背中の翼を小さく揺らした。

「最近特訓してたんです。上手くなってますか?」
「うん、狙いが安定しているよね。今日は完敗だったよ」
「えー、辛勝ですよー。勝てたの、サムスさんのおかげですもん」

 後ろ頭を掻きながら、ピットは照れくさそうに笑って言った。確かに、今日のサムスはいつになく容赦がなかったように思う。試合のルールがストック制だったこともあり、早く終わらせたかったのだろうか。若しくは相手がネスだったので、真面目なサムスのこと、手を抜いては失礼だと殊更に張り切ったのかも知れない。

 ピットは殊勝にも謙遜してみせるが、彼が着々と力をつけているのがよくわかる良い試合だった。マルスはピットと相打ちになり、一足先に退場させられたのだ。ネスとサムスの一騎打ちは一歩及ばずネスが撃墜されて試合終了となり、マルスは表彰式で相当悔しかったらしい相棒からこっそりと蹴りを食らっている。

「僕もピットを見習わないとね。特訓は一人でしてるのかい?」
「最近はリンクさんに見てもらってました。あの人、本当に器用ですよねー」

 唐突に思わぬ名前を聞いて、マルスは続く言葉を失った。ネスからピットとリンクは仲が良いとは聞いていたが、まさか特訓に付き合っているとまでは思ってもみなかったのだ。冷静に考えればピットの他に弓を使うのはリンクとゼルダくらいのもので、特に使い慣れているリンクに教えを乞うのはごく自然なことなのだが、生憎弓の心得がないマルスはそこまで思い至らなかった。

「そう。リンクに――」

 不自然な沈黙を挟んで呆然と呟くマルスを、ピットの丸々とした目が眺める。物言いたげにしながらも一言も口を利かない視線が、少し痛い。

「ピット、聞きたいことがあるのだけれど」

 マルスは意を決して切り出した。
 一度話してみるべきかも知れない。そうは思いつつも覚悟などまるで出来ていなかったが、この機を逃してしまったら一歩踏み出す勇気はなかなか持てそうにない。
きょとんとした表情を一転させて、ピットは無邪気な笑顔で頷いた。

「いいですよー。食堂でごはん食べながら話します? それとも、ここで?」
「きみが良ければ、ここで」
「わかりました。この部屋、暖房で空気が淀んでるので換気してもいいですか?」
「じゃあ、ここの扉を開けておくよ。寒くなったら言って」

 マルスが廊下に面した扉を開けると、冷たい空気が室内に滑り込んで来た。汗は完全に引いているので風邪を引く心配はないだろうが、さすがに少し肌寒い。ピットは薄着なのだが気温による影響を受けにくい性質のようで、空気の通り道に立ちながら平然としている。

「ありがとうございます。それで、ボクになんのご用ですか?」

 にこにこと無邪気な笑みを浮かべたまま、ピットは可愛らしく小首を傾げた。マルスの様子と話の流れからして、用件など聞かなくても彼はわかっているはずだ。敢えて人の口から語らせようとするのは、神の眷属に共通する習性なのだろうか。
 ピットと同じく人ならざる友人を思い出して少し心が緩んだが、いざ口を開こうと思うとそれも気休めにしかならなかった。何をどう切り出すべきか、逡巡して口ごもる。ピットはマルスの言葉をいつまでも待つつもりのようで、柔らかに結ばれた口が開く気配はない。

 聞きたいことは山ほどあるはずなのに、どうしても言葉が出なかった。何を尋ねても、彼は神に属する叡智で以って、明確な答えを与えてくれることだろう。それを考えると、迂闊に口を利くのが不思議と怖く感じた。

「――えっと、その。リンクは、元気かな」

 それは確かに聞きたいことには違いなかったが、聞こうとしていたことではなかった。本題に入るには覚悟が足りず、マルスはこの土壇場で曖昧にごまかすことを選んだ。相対したピットが表情を変えずに大きく頷く。

「表面上は元気ですけど、どこか淋しそうですよ。あなたがそうして逃げているから。だからつい、傍にいたくなっちゃうんですよね」

 笑顔のまま、明るい声で、ピットは逃げるマルスを捕まえた。実際マルスはその場を動いておらず、ピットの手は後ろで組まれたままだ。

「僕は別に、逃げてなんか――むしろ避けられていると思うのだけど」
「本当ですか? 自分だけいい子でいようとするのは、ずるいと思いますよ」

 子供の他愛ない粗相を咎める母親のようだった。柔らかな笑みは慈愛に満ちているようでいて、喉元を容赦なく締め上げる威圧感を放っている。

「本当に、逃げてないですか?」

 話し始めた時と何も変わらない笑みを浮かべながら、ピットは再度詰問する。マルスを責めていることを、彼はもはや隠そうともしていない。
 捕らえられたと悟った瞬間、隅に追いやって考えないようにしていた数々のことが、マルスの頭の中で一斉に声を上げ始める。捉えた獲物の腸を引きずり出す無遠慮な手が、脳髄に差し込まれているような錯覚さえ覚える。

 ――逃げているのは、どっちだろう。
 捨てたと思っていた自問が、頭の中で鳴り響いた。それは確かに自分の声だったのにいつの間にかピットの声と混ざり、今は誰の声ともつかない不気味さで姦しく騒ぎ立てている。

 リンクの言葉を信じられず、彼に避けられているこの状況は、マルスにとっては苦しいことで、打開したいというのは紛れもなく本心だ。けれどそれ以上に、リンクについて明確な答えが出てしまうことに怯えている。

 ネスが「リンクを信じたのは心を読んだからじゃない」と言った時、マルスは確かに安堵した。それならば、自分と条件は同じだからだ。ネスは主観で「リンクの中身は変わっていない」と判断しているに過ぎず、それは解答にはなり得ない。ネス以外のメンバーも同様で、いかにリンクと仲の良いフォックスがネスと同じことを言ったところで、マルスが信じなければそれまでだ。

 けれど、ピットは違う。実際のところ彼が何をどこまで把握しているのかなど知る由もないが、少なくともマルスにとって彼は全てを見透かす存在だった。今マルスが抱えている矮小な悩みの全てに、彼は気が向けば適切な忠告をくれることだろう。マルスの旧い友人が、人類に対して悪戯にそうして来たように。

 マルスはその結果、解答を見てしまうことを恐れている。リンクが本人の言う通り変わっていないのか、それともその言葉こそが嘘なのか。
 答えがどちらであったとしても、それを知りたくなどなかった。リンクを信じられなかった自分も、リンクを喪った自分も、どちらも認めたくなどないから、マルスは答えを探して苦しんでいるふりをしながら、己をも欺いて目を背け続けている。

 マルスから言葉と顔色が失われていく様を見つめる間にも、ピットの表情は一切変わらない笑みの形を保ったままだった。

「なんでも聞いてくれればいいじゃないですか。望む答えも望まない答えも、お好きなだけ差し上げますよ」
「きみは、どこまで知っているんだ」

 絞り出した声には、自分でもわかるほどの怯えが混ざっていた。ピットの笑みが深まる。弧を描く口の端に天使の片鱗を滲ませて、無邪気な子供は軽やかに言った。

「全部」

 背中から広がる翼が、大きくはためいて空気を叩く。

「あなたが知りたいことと知られたくないことは、全部知ってますよ」

 すごいでしょうとでも言いたげに、ピットは薄い胸を張る。そんな子供じみた仕草すら、今のマルスにとっては恐怖でしかなかった。
 全部知っている、などと他の人間が言えばつまらない冗談でしかない言葉が、重い手枷に、足枷になってマルスの退路を塞いでいく。

 どうして今になって、ピットと話そうなどと考えてしまったのだろうか。あの意味深な言葉だって、どうにか頭の隅に追いやることで、まともに考えずにいられたのに。

 透き通った碧眼の中に情けなく怯えた自分の顔を見て、笑うことすら出来なかった。信じられないなりに向き合っていたようでその実、あらゆることから目を背けて逃げていた臆病さを自覚して尚、彷徨わせた手で逃げ道を探す卑怯者。ピットは浮かべた笑顔の奥で、きっと自分を蔑んでいるだろうという妄執がまとわりつく。

 そんな気配など微塵も感じさせずに、ピットはマルスの顔を覗き込んだ。まっすぐに向けられた優しげな眼差しは、まるで心配してくれているように見える。そんなわけはないのに、と唇を噛み締めたマルスに、彼はほんの僅かに表情を曇らせた。

「逃げていてもなんにもならないって、わかってますよね。日を追うごとに辛くなるのに、どうしてヒトは先延ばしにしたがるんですか」
「それは――きみには、関係のないことだろう」
「ありますよ。あなたが先延ばしにすればするほど、リンクさんだって辛いんですよ。ボク、それは嫌ですから」

 含みのある言葉に、マルスは思わずピットに目をやった。視線が絡み合うと同時に、彼は最初の笑顔を取り繕う。

「慈善活動で傍にいるとでも思ってました? 要らないなら、喜んでいただきますけど」

 ピットは軽やかな笑い声を立てながらそう言った。答えのないなぞなぞを繰り出して得意になる子供の如く、ささやかな残酷さが細められた瞳に過ぎる。

「あなたはリンクさんが好きなんですよね。でも今のリンクさんが前の大会のリンクさんと同じ人間だって、思っていないんでしたっけ。じゃあ、あなたが好きなリンクさんってどっちですか」

 マルスが秘めた感情を事も無く指摘するピットに、驚く気力さえ残っていなかった。いきなり核心に触れられて、心臓を掴まれたかのように身が竦む。視線を彷徨わせるばかりのマルスなど意に介さず、彼は朗々と言葉を続ける。

「昔のリンクさんだけが好きなら、今のリンクさんはボクがもらってもいいですよね」
「それは――」
「何を悩むんです。だって、あなたにとって今のリンクさんは好きなヒトでもなんでもない存在のはずでしょう。ボクが彼に好意を寄せていたとして、まさか敵愾心なんて抱きようがないですよね」
「何が言いたいんだ」

 血を吐かんばかりの言葉を受けて、ピットは微かに目を瞠った。憤然として激情に駆られるまま、マルスは目の前の天使を睨みつける。
 突き刺さる鋭い視線に、ピットは些かも動じなかった。

「怒るってことは、口では否定しながら実は今のリンクさんを好きだったリンクさんと同じ人間として見ているんですか。それともよく似ているから重ねてしまってるだけ? それって二股みたいでいやらしいと思いますけど」

 場違いな笑い声がとにかく癇に障る。恐らくわざとそうしているのだろう、態度だけは誠実に、マルスの神経を悪戯に逆立てながら、ピットは大袈裟に肩を竦めてみせた。

「先輩を立てるのがヒトの流儀と聞きましたから、これでも一応譲歩しているんですよ。今のリンクさんについてあなたがどう思っているのか、そろそろはっきりしてくれないと――後悔したって知りませんよ」
「お気遣いありがとう、と言うべきなのかな。そんな回りくどいことをしなくても、僕を諦めさせたいならきみの一言で十分だろうに」

 苛立ちも露わなマルスに臆するでもなく、ピットは小首を傾げた。

「ボクみたいな胡散臭い天使の言うことを、あなたが素直に聞くとは思えませんけどね」
「僕の内心をああも掌握してひけらかして、よくそんなことが言えたものだね。全部知ってるっていうのなら、はっきり言ってくれればいい。――あれは、僕が好きだったリンクじゃないって。あれに取って替わられたから、もうどこにもいないんだって!」

 痛切に表情を歪め、咽びながらも喉を振り絞って、マルスは叫んだ。すっかり冷え切った室内にも収まりきらなかった悲愴が、開け放たれた入り口から廊下の暗がりに反響する。涙こそ流れていなかったが、それは確かに慟哭だった。

「それが、あなたが望む答えですか」

 聞こえるか聞こえないかの低い囁き声で、ピットは言った。これまで大きく崩れることがなかった笑みの形が、その顔から幻の如く掻き消える。
 マルスは混濁する頭を振りかぶった。望むわけがないだろうと、心のどこかが悲鳴を上げる。こめかみが強く脈打ち、激情に任せた鈍痛を次々に運んでくる。

 どうしても、今のリンクとは向き合えなかった。その言葉を信じられなかった。けれどリンクがもういないと認められるはずもなく、同じ強さで、マルスは自分のことも信じてなどいなかった。

 ピットの空虚な双眸は目の前のマルスではなく、更にその後ろを見つめている。おもむろに上げられた丸い指先が、その視線の先を指し示した。

「答え合わせをしましょうか。ご本人がちょうど――」
 地鳴りのように低い不気味な声に混ざって、革のブーツが床を叩く微かな音が聞こえた気がした。
「――そこに、いらっしゃいますし」

 振り返りたくないと心底から願うのに、首は独りでに軋みながら捩れていった。ピットの指先に繋がる手繰り糸に操られるようにしてマルスが振り返ったその先に、見間違いようのない形を見る。

 そのシルエットが昔と全く変わっていないことに、こんな時に気付くとは間抜けな話があったものだ。廊下の薄闇に服の木賊色が溶け込んでいるが、出入り口の扉の影には確かに人がいた。悄然とした表情でマルスを見つめて立ち尽くす、話題の渦中にあったリンクが。

「あ――」

 違う、と出したつもりの声は、掠れた呻きにしかならなかった。咄嗟に伸ばしたマルスの手から逃れるように、リンクの顔が背けられる。

「ネスが、お前らが遅いって、夕飯が冷めるって騒ぐから。――今、来たばっかで、何も聞いてないから」

 どこか既視感を覚える状況だと、マルスは思った。感情がまるで窺えないピットと、傷付いた顔で佇むリンクと、その間で狼狽しながら何も出来ずにいる自分と。それはこの世界に再び降り立った一週間前の、あの時間と同じだった。立ち込める空気の鋭さも痛さも、あの時の比ではなかったが。

「リンク」
「お前にとって、それはオレの名前じゃないんだろ」

 がらがらに掠れた声で呼んだ名を、血を吐くような言葉が遮った。そのまま静謐すらも引き裂いて、リンクはあの時と同じく背を向ける。握り締められた彼の両の手は震え、返した踵が立てる靴音がこの場に物悲しい波紋を広げた。

「待ってくれ、違うんだ。僕は――」
「悪い。聞きたくない」

 言い募るマルスを振り返ることなく駆け出したリンクは、刹那の間に廊下の薄闇の中に消えた。伸ばした手は遠く届かず、マルスはすぐにその背を追いかける。少しでも早くと急く肩を、ピットが強引に引き止めた。

「ピット、頼むから邪魔しないでくれ。リンクが――」
「行くなら思い出してください。あなたたちを心配してくれた人がいたでしょう」

 追い縋る手を振り払おうとするマルスに、ピットは必死な形相で言い募った。飄々とした天使が初めて見せる素直な感情が、鼓膜を伝って脳裏にぽつんと滴り落ちる。
 これまでと同じく、ピットの言葉を理解したとは言えなかった。咄嗟に頷いたものの、マルスにとってそれは意味のある言葉ではなく単なる音でしかない。何よりも優先すべきものが他にある以上、耳を傾けている時間すら惜しいのだ。
 それでも不思議なことに、その音は頭の中に自然と沁み込んだ。頷くマルスの目を覗き込み、ピットがそっと手を放す。

 リンクを追って、マルスの姿は廊下の先へとすぐに消えた。その背中を最後まで見送って尚、ピットは唇を引き結び、泣き出さんばかりに揺れる目で、仄かに漂う彼の残り香を見つめていた。

8

 マルスが廊下に飛び出した時には既に、リンクの姿は見えなくなっていた。辛うじて拾い聞いた靴音で向かった方向はわかったものの、その先にあるのはステージへの転送装置だけだ。急いで駆けつけたが、案の定そこには影も形もない。転送装置のアクセスログを調べれば行き先は割れるだろうが、そんな権限や技術をマルスは持ち合わせてなどいなかった。

 苛立たしげに舌打ちをして壁の非常用ベルを叩き割り、どこにあるとも知れない集音用のマイクに向かって怒鳴りつける。

「マスターハンド!」
「――リンクなら神殿だよ。今、装置の行き先を設定した」

 天井のスピーカーからノイズに続き、マスターハンドの平坦な声が端的に告げた。この場にカメラは見当たらなかったが、そんなものはなくても創造神たる彼の目は屋内の隅から隅まで届くのだろう。監視されていると思うと複雑な気分だが、この時ばかりはそれが有難い。

「ご理解が早くて助かります」

 口早に言い捨てて、マルスは光が立ち上る装置に飛び込んだ。慣れ親しんだ転送の浮遊感が、いつもより緩やかに感じるのは気が急いているからだろうか。視界を埋め尽くす光の前で目を閉じることも忘れたまま、一刻も早くと心でもがく。眼球の表面に沁みる光の熱さも気にならない。頭の中にはリンクのことだけで、他のものが入る余地などどこにもありはしなかった。

「リンク!」

 視界が開けるなり、マルスは声を張り上げた。マスターハンドの行き先設定は問題なかったらしく、降り立った先は彼が言った通り、間違いなく神殿ステージだ。

 いつ見ても荘厳な雰囲気を漂わせているステージだが、今日は一層空気が張り詰めているようだった。夜の底冷えする寒さも相まって、頬の隅でふつふつと鳥肌が立ちはじめる。それがはっきりと背筋を走る怖気に変わったのは、数メートル離れた先で、自分の喉元に剣を突き立てようとするリンクの姿を見たからだった。

 再度叫んだつもりの声は、微かな息にすらならなかった。全身にまとわりつく寒気に追われて走り、思い切り地を蹴って、そこにいるリンクに手を伸ばす。誤ってこの腕が聖剣に切り落とされたとしても構わない。その切っ先が彼の喉元に少しでも触れるくらいなら、腕などあるだけくれてやる。

 マルスの全体重を掛けた助走付きの体当たりをまともに喰らい、リンクはその場に倒れこんだ。避けられなかったというよりは、敢えて避けなかったようだ。力なく崩れ落ちるリンクを押し倒すようにして、その上にマルスがもつれ込む。リンクが取り落とした剣はマルスによって拾われ、二人の手が届かないところへと乱暴に投げ捨てられた。

 大きく肩で息をしながら、マルスは仰向けになったリンクの胸倉を掴み上げた。投げたい言葉の数々はどれも自分が口にするにはおこがましく、歯を食いしばってそれらを飲み込み、マルスはリンクを睨みつける。対する彼は焦点の合わない目を形ばかりマルスに向けて、乾いた声で呟いた。

「なんで追って来るんだよ」

 リンクじゃないオレなんかを、どうしてお前が。
 虚ろな目が言外に語る。彼の気持ちを思えば、その目が紡ぐ雄弁な非難に返す言葉は見付からない。マルスはきつく目を瞑って首を振った。

「きみこそ、なんで。どうして、自害なんて――」
「誤解するな、自殺する気はない」
「じゃあ、さっきの剣はなんだったんだ。きみが戯れで剣先を自分の喉に向けるとは思えない」
「あぁ、本気だったよ。殺そうとしたのは自分じゃなくて、オレの中に入れられた黄昏の勇者の記録だけどな」

 黄昏。その言葉に引っ掛かりを覚えて、マルスは眉をしかめた。それをやはり虚ろな目で見上げ、リンクは似合わない冷笑を浮かべる。

「お前が大嫌いな、この姿の基になったリンクのことだよ」
「嫌いなんかじゃない。そんなふうに、思ってない」
「あれ呼ばわりされた後じゃ、説得力はないな」
「それについては悪かったよ。言い訳じみてしまうけれど、ピットとの会話中売り言葉に買い言葉でああいう表現になっただけで、僕の本心ってわけじゃない。本当に」
「信じられるかよ」

 嘲笑交じりに吐き捨てて、リンクはマルスから顔を背けた。虚ろな視線が、手の届かぬ距離に転がる彼の剣へと向けられている。隙あらば覆い被さるマルスを押し退けて、今度こそその剣で喉を貫くつもりのようだ。

「ごめん。でも、嘘じゃない」

 ならば一瞬たりとも気は抜けない。マルスは組み敷いたリンクに容赦なく体重を掛け、両肩を手で抑えつけた。唐突に首を解放されたリンクが小さく身じろぐ。露わになった襟元から覗く喉の膨らみが、喘ぐように上下する。

 ここがマスターハンドの管理下にあるステージである以上、何をしたところでマルスたちファイターが死ぬことはない。仮にリンクが自らの喉に剣を突き立てたとすると、それなりの痛みが与えられ、試合続行不可能として管理プログラムにサルベージされる。致命傷を受けたファイターは、サルベージされた先でマスターハンドが修復する。強いて言うならばこの世界における〝死〟とは、この一連の作業の間を指す。
 しかし、いくら本当の意味で死ぬことはないと知っていても、誰が好いた相手の自害の瞬間を見たいなどと願うものか。

「信じろなんて虫のいいことは言わない。だけど馬鹿な真似は止せ。いくら身体を傷付けたところで、きみが痛いだけだ。記録なんて形のないもの、剣では斬れないってわかるだろう。そもそもどうして、今のきみのベースになっている記録を殺そうだなんて考えた。それは自分を殺すことと、どう違うっていうんだ」

 掴んだ肩を揺さぶって、矢継ぎ早に質問を重ねる。そんなマルスを横目で一瞥し、リンクは酷く億劫そうに口を開く。

「さっきピットと話してる時、お前オレのことを『好きだったリンクじゃない』って言ったよな。勢い任せの売り言葉に買い言葉は、その『好きだった』ってところもか?」
「え――」
「どういう意味かは知らないけど、お前が『リンクを好きだった』っていうのは、本心なのか咄嗟に言っちまっただけなのか、どっちだよ」

 絶句するマルスの顔から、あっという間に血の気が引いた。
 よもやこの短時間で忘れられるはずもなく、自分の悲愴がまざまざと脳裏に蘇る。リンクの存在自体を否定するような発言ばかりに気を取られていたが、それと同じくらい彼には聞かれたくない言葉だった。

 ただでさえ叶わぬ想いだと無意識に封じていたほどだ。事態をややこしくすると知りながら、この期に及んで伝えようなどと思えるはずがない。マルスは今目の前にいる姿の変わったリンクをどう受け止めるべきか、それすらも考えあぐねていたのだから尚更だ。

 いつの間にかリンクは顔を正面に向け、まっすぐにマルスを見上げていた。虚ろだった瞳にはほんの僅かな光が差して、生気が戻って来ている。喜ばしいことなのだろうが、今のマルスにはその強い視線が身を苛むように感じられた。
 意味は知らないとリンクは嘯くが、あの声を聞いていたのならマルスがその言葉に込めた感情が単なる友愛ではないと、簡単に知れたことだろう。今更どう取り繕おうと、リンクの不信感を煽る結果にしかならないことは火を見るより明らかだ。

「――本心だよ。僕はリンクが、特別な意味で好きだった」

 肩を落として項垂れたくても、俯けば組み敷いたリンクと顔を突き合わせるだけだ。真正面から彼に向き合う勇気はなく、マルスは顔に苦渋を滲ませてきつく目を瞑って告白する。

「だった――じゃないな、今も気持ちは変わってないから。もしそれが迷惑で、きみにあんな真似をさせたのなら――」
「それはない。別になんとも、思ってない」
「別に、なんとも?」

 自殺衝動に駆り立てるほど嫌悪されるのも辛いが、無関心はある意味それよりも胸に迫る。思わずまじまじとリンクを見つめてみるが、そこからは彼の言葉通り何の感情も汲み取れない。胸に重石を投じられ、心臓がぐちゃぐちゃに押し潰されるようだ。一気に暗く重たい気分になって、マルスは沈痛な面持ちで口を噤んだ。

「何でそんな顔するんだよ。お前が好きなのは、オレじゃないんだろ。自分に向けられた想いでもないのに、どうこう思う方がおかしくないか」
「きみは『リンク』なんだろう。それなら――」
「名前と役割が同じだけの別人。お前はそう思ってるんだよな。たぶんその通りだよ。オレはお前が好きでいてくれたリンクじゃない」

 以前のリンクを指して、彼は他人事のように語る。淡々と紡がれる言葉が徐々にか細く頼りなくなっていくのを聞いて、マルスの胸が鈍い音を立てて軋みだした。
 迷って逃げて答えをひたすら先延ばしにした結果がこれかと思うと、目の前が真っ暗になった。自分が取り続けた曖昧な態度がいかに彼を傷付けていたかを、今更ながらに痛感する。

 謝ってどうにかなる問題ではないと頭では理解していても、それ以外に言葉が出ない。ごめん、と血を吐くように呻くマルスに、リンクは僅かに口の端を上げて首を振った。何もかもを諦めた、淋しげな笑みだった。

「ピットが言ってたな、答え合わせとかなんとか。オレさ、以前お前に自分は変わってないって言ったけど、あれはたぶん、嘘だった。騙すつもりなんかなくて、記憶を引き継いでるから自分でもわからなかったんだ。ごめんな」
「それ、本気で言ってるの」

 到底信じられないという面持ちで、マルスは低く呟いた。リンクが事も無げに頷くのを見て、見開いた瞳孔が不安げに揺れる。

「変わってないって、あんなに言ってたのに。僕だって、信じてた部分はあったのに。それなのに今更、よりによってきみがそういうことを言うの」
「オレだってお前と同じだよ。自分のことを丸ごと信じてたわけじゃないし、全部疑ってたわけでもない。何が正解かなんて、オレだって知らない。だからさ、これでも色々考えたんだ。オレは本当に、前と変わってないって言えるのかって」

 溜め息交じりの笑い声が、リンクの口からこぼれ落ちた。

「オレがどう作られたか、お前だって知ってるだろ。ハイラル史のいろんなリンクの良いとこ取りして、絡まったり途切れたりしてごちゃごちゃの記憶をぶち込まれて、その上それを入れる器の身体すらあの手袋のお好みで変えられるんだぞ。その時点で相当歪だっていうのに、世界が閉じてる間の『更新』でそっくり丸ごと変えられたとしても、適当に記憶を弄って引き継がせればオレはそれに気付けないよな。マスターハンドからすれば一番騙しやすいのはオレだろ、あいつはオレを好きなように出来るんだから。そうなると『リンク』のことについて、オレは自分が一番信用出来ない。客観的に見てたお前の言葉の方が、よっぽど真実味がある」

 自嘲に目を伏せながら、彼は淡々と言う。その言葉で思い出したのは、マスターハンドのところには行きたくないと強く拒否した、いつかの彼の姿だった。
 あの時も「これ以上弄られたくない」とリンクは言っていた。そうやって悪態じみた言い方をするものの、彼はマスターハンドを信頼しているはずだ。マルスだって、マスターハンドがリンクの意に沿わない処置を施すなどとは思っていない。あの創造神はいつだって平静で淡白だが、冷淡で薄情なわけではない。

 口ばかりの理由に真意はなくとも、弄られたくないというのは本心なのだろう。そう考えれば、視界の隅に転がる剣がそこにある理由に納得出来る。他人の手でなく自分の手で、リンクは黄昏の記録を殺したかったのだろう、と。

「だけどマスターハンドがそんなことをするなんて、きみは本気で思ってなんかないだろう。最初の質問に答えてくれ、どうして今の自分を消したがる」

 寸でのところで激情を堪え、マルスは努めて冷静に問いかけた。完全に抑えることは出来ないようで、リンクの肩を掴むマルスの指先は、赤く染まって震えている。その痛みのためか、投げられた問いかけのせいか、リンクの顔にかすかな苦みが走った。

「この姿が発端だったから。基になったやつを上手く消れたら、オレはお前が好きでいてくれたリンクに、戻れるかも知れないって思った」

 弱々しくしぼんでいく語尾に反比例して、マルスの目が大きく見開かれた。思わず肩を掴む手が緩みかけて、慌てて力を入れ直す。勢いのあまり力が入り過ぎてしまったようで顔をしかめて身じろぐリンクに、聞きたかった。どうしてそう願うのか、その理由を。

 だがそれは言葉としてまとまらず、マルスはもどかしさに歯噛みした。回らない口先に愕然とした。一国の主として交渉の場に立つ時は考えずともすらすらと言葉が流れ出るのに、ただの一個人である自分は気持ち一つも素直に口に出来ないほど不器用だったのか。口下手を自認するリンクでさえこうして懸命に話そうとしてくれるのに、それに倣えないほど臆病だったのか。

 ぐるぐると逡巡するマルスの下で、ふいにリンクの身体から力が抜けた。仕方ないな、とでも言うように小さな溜め息を吐きながら、彼は穏やかな面持ちでマルスを見上げた。柔らかく細められた瞳は痛々しいくらいに優しげで、見ていて胸が潰れるようだった。

「これはオレが喋っていいことかわかんないけど、前のリンクもお前のことが好きだったよ。一緒に剣の稽古するのも、食事の度にいちいち構ってくれるのも、乱闘でボコボコにするのもされるのも、全部楽しかった。最初に距離を感じるって言われたし、ロイみたいに気楽に喋れたらいいなって思って言葉を使い分けられるように練習までしてたんだ、小さい方の自分で。他人のために自分を変えようだなんて考えたのは初めてで、その時にお前のこと好きなんだなって自覚したと思う。ロイはそれより前に知ってたみたいで『自覚なかったの?』って呆れてたな。あいつは反対も応援もしなかったけどいつも気に掛けてくれたから、よく聞くみたいに好きだから苦しいとか、そういうのはなかった。お前が笑ってくれて、ロイが見守ってくれて、十分幸せだった。それくらいに好きだったから、さっきお前の言葉を聞いて、記憶を継いでるだけのオレですら嬉しいなって思えた。それがたとえ今のオレに向けられたものじゃなくても、本当に――本当に、嬉しかったんだ」

 緩やかに弧を描く唇は、誰かの囁きを代弁して、自身の想いを呟いて、そうして満足げに閉じられた。
 ゆっくりと持ち上げられた右手が、青褪めたマルスの頬に触れる。そっと撫でられて、まるで宥められているようだ、と思う。そのままマルスの手を柔らかく押しやって、リンクは緩慢な動作で上体を起こした。
 冷たい石の床に座り込んで向かい合い、悄然とするマルスに彼は言った。

「だからせめて、お前にあのリンクを返せたらいいなって――そう、思ったんだよ」

 だって嬉しかったから。好きだと言ってくれたことが。なんとも思ってないなどと、それこそ思ってもいない嘯きを口にしなければ、泣きたくなるほどに嬉しかったから。

 たとえその中に、今の自分が含まれてなどいなくても。

 ――目の前のリンクがかつてのリンクとは別の存在であるなど、今となっては考えるのも馬鹿馬鹿しい。信じられず認められず、こうまで彼を追い詰めなければ気付けなかった自分の浅はかさに、もはや自嘲すら浮かばない。大切に想うからこそ向き合えないと顔を背けた過去の自分に、後悔が滂沱と溢れ出す。
 リンクの晴れ晴れとした表情が胸を抉る。とても直視は出来ず、かと言って目を逸らすことはもっと出来ない。それはかつてマルスのために死地へと赴く仲間が見せた、永訣の笑みと同じものだったのだ。

 大切な仲間を犠牲にしなければならなかった戦禍の中と今は違う。あの時はそうしたくとも出来なかったが、今は何に憚ることもなく、行かなくていいと手を伸ばして止められる。

 それなのに、浮かぶ言葉のどれもが彼の献身に相応しいとは思えなかった。ごめん、馬鹿なことをするな、嫌だ、そんなふうに言わないでくれ。溢れ出る感情に、思考がまったく追いつかない。口は何度も開閉し、意味のない呼吸を繰り返す。

 そんな顔をするなよ、とリンクが困ったように笑ったが、自分がどれだけ情けない顔をしているかなど考えたくもない。すっかり俯いて唇を引き結ぶマルスから、リンクもそっと視線を逸らした。

「お前が言う通り、普通そんなことは出来ないって、いくらオレがバカでもそれくらいはわかってる。でも神殿ならなんでも出来る気がするから」

 それはどこかマルスの記憶に引っ掛かる、聞いた覚えのある言葉だった。いつどこで聞いたのだったかと思い出す前に、更に言葉が重ねられる。

「子供を大人に、大人を子供に――ここは時を渡ることだって出来る場所なんだ。だからオレのささやかな希望くらい、叶えてくれそうな気がしてさ」
「――思い出した。前の大会で最後に手合わせした時もきみは言ってたね――『ここならなんでも出来る気がするから』って」

 突然声を上げたマルスに、リンクの目が驚きで瞠られる。それはすぐに遠い昔を振り返るように、懐かしげに細められた。

「そうだったな。あの時は勝てたら、お前に好きだって言おうと思ってた。大会が終わったら『更新』されることが決まってたから、それでこの気持ちが消えないか不安で、それならいっそ言おうって。結局負けて言えなかったけど――でも殺すのなんて告白するよりは簡単だから、今回はなんとかなるんじゃないか」

 からからと笑うリンクは平静なようでいて、やはりどこか箍が外れてしまっているようだ。物騒なことを平然と口にする彼に、マルスの中で沸々と苛立ちが湧き上がる。それはリンクに向けたものではなく、彼にそうさせている自分に対する感情だった。

「頼むからそんなこと言わないでくれ。もうきみがリンクじゃないなんて思ってない。そのジンクスにしたって変わってないんだから――」
「これは前のリンクの基になってた、時の勇者とか呼ばれてたやつの要素だよ。いろんなリンクを寄せ集めて出来てるのがオレなんだって、言っただろ。自分じゃない誰かの信念、誰かの嗜好、誰かの趣向。ジンクス一つまで借り物で、オレ自身のものなんて何もない」

 ただの寄せ集めでしかない、ハイラルの人の形。元々歪なそれに余計なものを付け足したからおかしくなったんだと、リンクは言う。自分の望みはその余計なものを削ぎ落とすだけの簡単なことだと、事も無げに笑う。

 億劫そうに思えるほど緩慢に姿勢を整えながら、彼は自分の無価値をマルスに説く。その存在が、その成り立ちが、最初から出来損ないだった。簡単にパーツを継ぎ足せるなら、それをもぐことも簡単だ。そんな大したことでもないことでお前が望む自分になれるのなら、腕をちぎるぐらい、首を刎ねるくらい、造作もなく詮無きことだと。

 浮かべられた穏やかな笑みと、その語り口のちぐはぐさに背筋が粟立つ。頭の中でけたたましく警鐘が鳴り響く。本能的に距離を取ろうとした瞬間、さっと伸びたリンクの手が、マルスの腰から素早く剣を引き抜いた。

「――なん、で」

 それ以上ないほどに目を見開いて、掠れた声で呟いたのはリンクの方だった。マルスはといえば握り締めた拳から血を流し、遅れてやって来た痛みに顔をしかめている。
 リンクの手から力が失われ、取り落とされた剣の柄が石の床を鳴らす。ちょうどその反対側――刃先を掴むマルスの手もだらんと開き、持ち手を失った剣は血を滴らせながらその場に転がった。

 自分の得物に対して手前味噌ではあるが、さすがは神剣だ。柘榴のようにぱっくりと割れた己の手のひらを見やり、マルスはその切れ味に感嘆する。

「止血、しないと」

 今も尚溢れ出る血を揺れる目で見つめ、震える声でリンクが言う。それを制して、マルスは静かに首を振った。

「後でいい。そんなことより、自分には何もないなんて馬鹿なことを言わないでくれ。言わせたのは僕だし悪いと思ってる。だけどもう一度聞いたら、僕はたぶんきみを殴る」

 はっきりと怒りを滲ませて、マルスはリンクを睨みつけた。怯えたように後ずさるリンクを無傷な右手で引き止めて、激情を露わに言い募る。

「ハイラルに何人のリンクがいようと、僕が知るのはこの世界のたった一人だけだ。きみだけしか、僕は知らない。その僕を、きみは好きだったと言ってくれたよね。その気持ちも、誰かからの借り物だとでも言うつもり? 僕はきみ以外のリンクなんて誰一人として知らないし、僕のことを知ってるリンクだって、きみ以外にいないはずなのに」
「それは――確かに、思い出とか気持ちとか、そういうものはオレ自身のもんだって思ってたけど、だけどそれだってあの手袋に作り変えられてる可能性が――」
「何度言えばわかるんだ、マスターハンドがそんなことするなんて思ってないくせに。慣れない責任転嫁はするものじゃないよ、きみみたいなお人よしには向いてない。どうせ後になって『関係ない手袋に濡れ衣を着せてしまった』とか言って必要以上に落ち込んで自己嫌悪するのは目に見えてるんだから」

 軽い口調で皮肉たっぷりの冗談を大真面目に言うマルスに、リンクは弱り顔で開きかけた口を噤んだ。マルスの言葉からは以前によく交わした懐かしい談笑の雰囲気を感じるが、先程からこの場に立ち込めている神妙な空気だって変わらず広がったままだ。笑っていいものか、真剣に怒るべきなのか。所在なく視線を泳がせるリンクを見つめていたマルスの表情が、ふっと緩む。

「――ごめんね」

 片手でリンクを抱き寄せて、その頭を子供にするようにくしゃくしゃと撫でて、マルスはその耳元に真摯な声で囁いた。
 左手が使えないのがもどかしいが、リンクまで血まみれにするわけにはいかない。その分だけ、無事な右手に力を込める。

「僕がきみの話を聞こうとしなかったから、外側ばかりに気を取られていたから、きみに辛い思いをさせてしまったね。きみは話し方も努力して変えて、近付こうとしてくれてたのに。本当に、ごめん」
「いや、オレだって避けてたから。それより手の傷――」
「後でいいって言ったよ。言っとくけどこれ、リンクのせいじゃないからね。僕が勝手にやったんだから。それに僕がきみに言った色々に比べたら、全然痛くない」

 空気が触れただけで抉られるように痛む傷を厭わず、マルスは首を振った。ずっと強張っていたリンクの身体から力が抜けて、マルスの肩にその顔がおずおずと埋められる。

「いいのかよ。オレ、自分が変わってない証拠なんて、何も出せないのに」
「熱っぽく告白してくれたじゃないか。それで十分だよ」
「マスターハンドは今回もハイラルの歴史を切り離して、オレとは違う『リンク』を作ろうとしてる。そっちの方が、お前が好きだった『リンク』に似てるかも知れない」
「だとしても、僕のことを好きって言ってくれたきみを信じる」
「――そいつもオレと同じで、記憶引き継いでてお前のことが好きだったら?」
「その子の気持ちを聞いて、考える。本当に好いてくれているのなら、ちゃんと応える。どっちもリンクだって思ったら、二人とも全力で大切にする。どっちか選んで片方に淋しい想いなんて、させない」
「お、お前なぁ……。さすがに、それはどうかと思う……」

 呆然と呟いたリンクが、軽くマルスの胸を叩いた。ささやかなその抗議が本気ではないことくらい、聞かなくてもわかっている。

「僕の方こそ、証拠は何も出せない。これまで散々疑って来たんだ、きみが僕を信じられなくても無理はない。本当に悪かった。謝って済むことじゃないし随分虫のいい話だってわかってるけど――許してくれ」

 最後の言葉は、情けなく掠れてしまった。心臓が見えない手に掴まれているような、言い知れぬ息苦しさが喉を締め上げる。
 躊躇いがちに背中に回されたリンクの両手が、そんなマルスを宥めるようにぽんぽんと叩いた。しょうがないな、とでも言いたげな温かい溜め息が、耳に優しく吹きかかる。

「大袈裟だな。ちょっと喧嘩してたけど、仲直りしようってだけの話だろ」
「――いいの?」

 存外あっさりとした言葉を受けて、信じ難い気持ちで尋ねる。それにもやはりあっさりと頷いて、リンクはマルスの肩に額をすり寄せた。人懐っこい猫みたいだ、と思う。

「オレも悪かった、ごめん。だからもう、お前も謝んなくていいから」
「――うん。ありがとう、リンク」

 だから大袈裟だって、と耳をくすぐる笑い声が心地良い。マルスの記憶にある声よりは幾分か低いその声の中に、今ははっきりと、違和感ではなく愛しい面影を感じられた。

 鈍い金髪を梳く手に力を込める。鮮やかなあの色を懐かしく思うのは仕方ない。ひとまずは陽に焼けて痛んだのと思うことにしよう。彼に知られたら憤慨されそうなので、心の中でそう決める。
 この容姿に慣れるまでに、何度も昔を振り返ってしまうかも知れない。けれどもう、迷って戸惑うことも、逃げて傷付けることもないだろう。そしてすっかり見慣れる頃には、触れ合った身体のこの熱にも、気恥ずかしさを覚えずにいられるだろうか。

 未来のことはわからないが、今はこの距離感で十分だ。きつく強くは抱きしめられなくても、緩く片腕に抱くくらいでちょうどいい。そう思えばこの血まみれの左手も、きっとなるべくしてこうなった。

「おい、そろそろ離せ。ものすごく恥ずかしくなって来た」
「奇遇だね、僕もだよ」

 気まずそうに身じろぐリンクを改めて抱き寄せて、マルスは声を立てて笑った。

9

「――まぁ、そんだけザクッといけば止まらないよな」

 あまりにも場当たり的な応急処置が施された手を眺め、リンクは呆れたように呟いた。
 あれからそれなりの時間が経つが、マルスの左手からの出血が止まる気配はない。心なしか全体的に血の気が失われているのを見て、リンクは強硬にマスターハンドのところに連れて行くと主張した。が、せっかく和解したんだからもう少し、などと子供のような理屈をつけて動こうとしないマルスに業を煮やし、リンクが自分の服を破いてその手に巻き付けたのが数分前。確かに木賊色だった布は既に、ほぼどす黒い茶褐色に染まっている。

「やっぱりこれ、早いとこ診てもらった方がいいだろ。死ぬぞ、お前」
「大丈夫だよ。本当に危なければ、マスターハンドがとっくにサルベージしてるだろうし」

 よく言う。座り込むマルスの傍らに立ち、リンクは聞こえよがしに深い溜め息を吐いた。力が入らないため自力で腕を上げていることも出来ず、人に支えさせておいて危なくないとでも言うつもりなのだろうか。最早怪我した箇所を心臓より高い位置に、などと悠長なことを言っている場合ではないと思うのだが。

 第一マスターハンドも怪しいものだ。あれは悪い手袋ではないのだろうが、色々と好き勝手にされているリンクからすれば、彼の判断や価値観は時々おかしい。今だって下手をすれば「面倒だから気絶したらサルベージするとしよう」だとか、変に気を遣って「邪魔すると悪いから放っておこう」だとかでそもそも見ていない可能性だってある。そんな場合じゃないだろう、という人間の感覚をあれに当てはめるのは土台無理な話で、そもそも神と人は相容れないものだとリンクは事ある毎に思い知らされている。

「ところでリンク、約束覚えてる?」
「――お前とも相容れない気がして来たんだが、実は人間じゃないのか?」

 痛む頭を抑えて半眼でマルスを睨んでみるが、彼は暢気な顔でリンクを見上げてにこにことまったく悪びれない。

「僕は人間だけど、なんの話?」
「こっちの話。で、そっちはなんだっけ。約束?」
「うん。約束したじゃないか。忘れたとは言わせないよ」

 リンクはそっと目を逸らした。まるで心当たりがない。

「ひどいなぁ。じゃあヒント。ここ、神殿だよ」
「神殿で、約束……?」

 首を傾げて考え込むと、すぐに一つだけ思い当たった。前の大会の終了間際、今と同じ星が降るこのステージに並んで寝転んで、マルスとした約束が確かにある。だが。

「いやいやいや。散々言ったし、もういいだろ」

 リンクは首と一緒に、空いた左手をぶんぶんと振った。神殿で約束といえばどれだけ考えてもあれしか思い当たらないが、あの時言いよどんだ気持ちは既に、恥ずかしいほど伝えたはずだ。自分が何度「好き」という言葉を使ったか、思い出したくもない。

 顔を赤くして突っぱねるリンクに、マルスは不満げに眉根を寄せた。納得していないのがありありとわかる表情だ。

「あれはあくまで昔のリンクの代弁でしかなかったじゃないか。昔そうだったからって、今もそうとは限らないだろう? だから僕は、改めて今のきみはどう思っているのか聞きたいのだけど」

 どういう屁理屈だと思わず笑い飛ばしそうになったが、マルスは真剣そのものだった。先程までのへらへらとした暢気さなど微塵も残さずに、彼はリンクを見上げている。血の気は更に失せて顔色は青白く、それなのに向けられた眼差しは強く真摯に射抜いてくるようで、視線を逸らすことすら憚られた。

「いや、その――別に、言わなくてもわかるだろ」
「そう、それ。リンクは照れやだから、こんな機会でもなければなかなか素直に言ってくれないじゃないか。だから今の内に、言質を取っておこうと思って」

 そこまでこちらの性格を把握しているのなら、今改めて告げるのも相当な難関だと察してくれと切に願う。先程愛玩動物の如くぎゅうぎゅうと撫で回された時も思ったが、何故自分ばかりが恥ずかしい思いをしなければならないのだと、リンクは恨みがましくマルスを睨んだ。

「だ、第一お前だって今のオレに対しては何も言ってないんだからおあいこだろ」

 ふと思い立って、リンクは早口で捲し立てた。そうだ、自分だけが恥ずかしい思いをすることはない。必死に難を逃れようと足掻くリンクを、マルスはきょとんとした顔で見つめる。そして更に言葉を重ねかけたリンクに先んじて、心底嬉しそうににっこりと微笑んだ。

「好きだよ、リンク」

 臆面もなく告げられて、うっかり掴んだ彼の腕を取り落としそうになりながら、リンクは力なく項垂れた。

「お前さぁ、そういうのは、ずるくないか」
「リンク、顔真っ赤だよ」

 そう言ってくすくすと楽しげに笑うマルスの顔は、自分とは正反対で真っ青だ。そろそろ本気でヤバいな、と内心の焦りを押し隠しながら、リンクは小さく溜め息を吐く。

「言うから、聞いたらマスターハンドのところにすぐ行くって約束してくれ」
「うん、わかった。ごめんね、心配させて」

 随分と殊勝な態度だが、謝るくらいなら最初からやるなと言いたかった。それでも、彼がらしくもなく浮かれているのはわかっているし、浮き立っているその理由が自分を想ってのことだと知っているから、出来るのはせいぜい軽く小突いてやることくらいだ。

 期待に満ちた眼差しを向けられ、リンクは腹を据える。ぐずぐずと恥ずかしがっている場合ではないのだから仕方がないと、誰ともなしに言い訳をして、固く引き結んだ唇を開く。

「――――」

 確かに震わせたはずの喉から、伝えたい想いは言葉になっていたのだろうか。リンク本人にもわからないほど頼りないそれは、声というよりは息でしかなかったのかも知れない。

 それでもマルスはそれを聞いて、心底嬉しそうに頷いた。僕もだよ、と同じように息だけで告げられる。ありがとう、とも言われた気がした。

 こんなふうに笑ってくれるのなら、もっとはっきり言葉にすれば良かったと思った。再び開きかけたリンクの口が、ふいに違和感を覚えて途中で止まる。
マルスの腕を掴んでいたはずの右手がからっぽだ。あれ、と首を傾げながら、視線を正面に戻して愕然とする。

 そこには血が染みた床が広がるばかりで、ほんの一瞬前には確かにあったはずのマルスの姿は、幻のように掻き消えていた。

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