-DX-

 マルスが乱闘で初舞台を踏んだのは、次の日のことだった。
 第二回大乱闘大会も開会からしばらくが経ち、ずいぶんと落ち着いて来ていたようだ。悪く言えば、中だるみの時期に差し掛かってしまっている。
 これは開催前から想定されていたことだった。乱闘を重ねれば重ねるほど、観客の目は肥え、熱に慣れ、やがては飽きてしまう。それ故に、試合内容とは別のところから刺激を与える必要があった。
 そこで当初から予定されていた通り、まさに中だるみしているこのタイミングで、マルスの他数名が追加メンバーとして華々しいデビューを飾り、大会を再度盛り上げる算段になっているそうだ。それを聞いた時には責任ばかりが重い、損な役回りを押し付けられたものだと嘆いたが、始まってしまったものは仕方がない。実際のところ、マルスたちがこの世界に来た時点で、お披露目の舞台の全てがお膳立てされた状態だったので、逆らいたくても逆らえなかったというのが正しいのだが。
「緊張します……」
 新たな参戦者の発表に湧き上がる歓声は、ステージに隣接する控え室にまではっきりと届いている。顔を強張らせて呟いたのは、マルスと同じく今日がデビュー戦となる赤毛の少年だ。
 ロイと名乗ったその少年も、マルスと同じく剣のみを扱うタイプのファイターだった。試合前にストレッチを兼ねたトレーニングで手合わせをしたが、お互いによく似た剣技を使うので驚いたものだ。
 身体を動かした後に緊張を紛らわすべくした雑談で、どうやらロイが高貴な身分であることは容易に想像出来た。似ているのはお互いに、貴族階級に於いて最低限の嗜みとされる剣技を根底として鍛えたものであるからだろう。似ているのは剣技だけではなく、身に着けた鎧の材質や構造もマルスに馴染み深いものだった。まったく異世界の存在であるリンクと違い、ロイはマルスと共通項の多い世界からやって来たようだ。

 トレーニングを程々で切り上げ、こうして待機している間にも歓声はますます高らかに響き渡り、今や二人がいる控え室を軽く揺らすほどになった。ロイほど緊張していなかったマルスもこうなればさすがに落ち着かない。遂に交わす言葉も尽き、壁を揺らす大歓声の中で沈黙に耐える。しばらくしてともすれば聞き逃してしまいそうなノックの音が響き、扉の向こうに細身の女性が姿を現した。
「マルス様、ロイ様。準備はお済みでしょうか」
 豪奢な装飾品が目を引くドレスに身を包んだ彼女は、室内で控えるマルスとロイに声を掛けた。慌てて椅子から立ち上がろうとする二人を軽く手を上げて制する仕草は、気品に溢れて優雅だ。上げかけた腰を大人しく下ろしたロイとマルスを交互に見やり、彼女は唇の端に微笑を乗せた。
 彼女については前日の夜、就寝前に行われた簡単な顔合わせの場で紹介があった。マルスやロイと同じく今大会が初出場だが、彼女は第一回目のメンバーと共に開会と同時にお披露目されていたようだ。主催のマスターハンドとしては初手のインパクトは欠かせなかったようで、彼女ともう一人、二人のお姫様の衝撃参戦が開会式の売りだったと聞いている。
 その時を振り返り、とても緊張したと溜息を吐く彼女をマルスはよく覚えていた。個性豊かなメンバーを一気に紹介された中でも、彼女は特に印象的だったのだ。もっとも見ていたのは彼女の見目麗しい顔立ちでも均整のとれた体つきでもなく、腰まで届くその美しい金の髪で、目を引いたのはリンクの髪の色と似ているからという、マルス自身にもよくわからない理由だった。
「間もなくお二人の試合が始まります。簡単に流れを説明しますので、ロイ様はここから出てすぐ左のお部屋へどうぞ」
「出てすぐ左、ですね。わかりました」
「えぇ。ピーチ姫がいるお部屋ですので、お間違えのないように」
 ロイは戸惑いながらも言われた通り、足早に部屋を出て行った。その背中が完全に扉の向こうへと消えるまで見送ってから、彼女は一人残されたマルスに向き直る。真正面から見る彼女は、やはりリンクによく似ているとマルスは思った。髪の色もそうだが、目も同じだ。リンクと同じものを見ている、厳しい目だった。
「そのように見つめられては、照れてしまいます」
 小さく笑い声さえこぼしながら、彼女は小首を傾げた。どうやら無意識に凝視してしまっていたようで、マルスは慌てて視線を逸らす。普段であれば決して有り得ない失態だった。恥ずかしさで顔から火が出る思いだが、彼女は特に意に介したようではなく、マルスの謝罪にも軽く微笑むだけだった。
「少しは緊張がほぐれたことでしょう。では、僭越ながら私から、本日の予定をお伝えいたします。まずこれから行われるマルス様の試合につきましてですが、時間制のタッグマッチを予定しております」
「タッグマッチ、ですか」
「はい。マルス様、ロイ様のお二人でチームを組み、ベテランメンバー二人と闘っていただきます。ステージは障害物等のない終点、アイテムスイッチは全てオフとなっておりますので、ご自身の実力を出すことに専念してください。お二人の紹介を兼ねたデモンストレーションですので、本日の勝敗は戦績に反映されません。ここまでで何か質問はございますか」
「彼だけを隣の部屋にやったのは、何か理由があるのですか」
 試合の内容に直接関係することではないが、気になってマルスは尋ねた。ここまでの説明で、わざわざ自分とロイを引き離す理由が見当たらない。タッグマッチというのなら、尚更同室にいた方が作戦も立てやすく有利になるはずだ。
「ロイ様は緊張しておられましたから。私から話すより、彼女にお任せした方が肩の力が抜けるだろうと判断いたしました。出過ぎた真似をして、申し訳ありません」
「いえ、そのようなつもりは。気になっただけですから」
 マルスは首を横に振った。彼女の話は明朗で、他は特に疑問はない。
 彼女とのやり取りの内にも、歓声は更に大きくなっていた。一度は落ち着いたはずの緊張が再び身体にまとわりつく。大会が始まる時に、目の前の彼女が味わったという緊張も同じだったのだろうか。内心の疑問に当然答えはなかったが、彼女はずっと浮かべていた微笑を少しだけ深めて言った。
「本日のステージである終点に、この歓声は届きません。それでなくても、ステージに立てばその緊張すら忘れることでしょう。あなた方のお相手をする二人は、恐らく一切の手加減をいたしません。今の内に、どうぞお覚悟を」
「胸を借りるつもりで、というわけにもいかないのですね」
「マスターは今のあなた方にとって最も手強い相手を選んだ、と。一つ助言をいたしましょう、どちらも思いもよらない攻撃手段を持っています。奇襲には十分にお気を付けくださいませ」
 そう言う彼女は実に楽しそうで、この世界は曲者揃いだと言った誰かの言葉を痛感する。苦笑いをするマルスを柔らかな視線で見やり、彼女はおもむろに手を差し出した。
「まもなく開始時間です。御武運をお祈りしております」
 女性から手を差し伸べられたことに一瞬の戸惑いが生じたが、ここはマルスの世界とは違う大乱闘の場だ。素直にその手を取って立ち上がる。ほっそりとした指は意外なほどに力強く、彼女が見かけ通りのか弱いお姫様でないことが窺えた。
「ありがとうございます、ゼルダ姫」
「覚えていて下さったのですね。光栄です」
 彼女――ゼルダは悠然と微笑み、マルスを扉の外へと促した。
 導かれるままに部屋を出ると、ちょうど左隣の部屋からロイと、その後ろから桃色のドレスに身を包んだいかにもなお姫様が出てきたところだった。場違いに明るい表情の彼女に肩を押されたロイは、ゼルダが目論んだ通りに大分緊張が和らいでいるようだ。
 視線は交わしたものの、声を掛け合う時間はなかった。二人の姫に追われるようにして向かった先は、少し開けただけの袋小路だ。
 その中心に、淡い光を放つ不思議な床があった。サークル状に何色ともつかない光が立ち上っている。ゼルダが光の傍らに立ち、戸惑うマルスとロイを手招いた。
 示された通りに、二人並んで光の輪の中心に立つ。光が強まり、瞬く間に中にいる二人の身体を飲み込んでいく。全身を緩やかに解されていくような感覚は、ワープの杖を使った時の浮遊感に似ているとマルスは思った。
 徐々に視界は光で埋まり、壁を揺るがす歓声が遠くなっていく。
 ふいに、隣に立つロイの気配が消えた。指先一本の自由すら奪う見えない拘束が、拡散していく光と共に消滅する。光の向こうに気配を感じ、マルスは緩やかに瞼を上げる。
 深遠を思わせる群青の空間、遥か彼方のようでいて目と鼻の先のようでもある距離に、マルスは確かに赤と緑の影を見た。
 いつの間にか剣を握っている手に、自然と力が入る。盗み見たロイの横顔には、控え室にいた時とはまた違う緊張があった。視線をロイから前方へと向ける。彼らが相手なのだろう、低めの身長に小太りの、髭を蓄えた団子鼻の青年。それから御伽噺のような出で立ちに似合わない、鋭い目つきの少年。
 どちらも見間違えようがない。曲者揃いの参戦者を圧倒的な実力で纏め上げる生きた伝説、マリオ。そして昨日、マルスがこの世界に来て初めて言葉を交わした参戦者である、リンクだった。

 昨晩行われた就寝前の顔合わせには、全員が揃っていたわけではなかった。そもそも顔合わせが予定されていたわけではなく、たまたまほとんどのメンバーが揃ったからとマリオが独断で簡単に自己紹介をしようと言い出したのが切欠だったからだ。リンクはその場にいなかった。当然彼について、聞かれてもいないのに言及する無粋もなかった。だが、こうしてマリオと共に目の前に立ち塞がるリンクの姿を見て、今更ながらに気が付いた。昨晩、誰もリンクの名こそ出さなかったが、彼の存在は確かにあらゆる人の口が仄めかしていたのだ。
 マリオ、カービィ、ピカチュウ。それから、今はここにいないもう一人。参戦者でありながらこの大会の基盤でもある、抜きん出た才能を持つ実力者。この世界を支える四つ柱。マリオは大袈裟だと笑ったが、彼らがいなければそもそもこの世界は生まれなかったと誰もが口を揃えてそう言った。昨晩姿が見られなかった最後の一柱、それはきっと、このリンクだったのだ。
「マリオさんの隣にいる人、知ってますか」
 前方に据えた視線はそのままに、ロイが低い声で尋ねた。
「昨日少し話しました。名前はリンク。めぼしい情報はありませんが、この場に出て来るからにはマリオさんと同等の実力者かと」
「でしょうね。名前だけは僕も知っています。ハイラルという王国に伝わる勇者だそうです。マリオさんと同じく第一回の発足当時からいることを考えると、恐らく連携も上手いはず。初対面の僕たちが素直に二対二で闘って勝てる相手とは思えません。ここは何とか二人を引き離して、一対一に持ち込んだ方が良いと思います」
 ロイは強い口調で断定した。一見大人しい印象すら与える彼だが、采配を振るい慣れているようだ。奇しくもまったく同じことを考えていたマルスは彼の提案を一も二もなく受け入れる。次の議題はどちらがどちらの相手をするかだが、それについてもロイの決断は早かった。
「ではマリオさんを僕が。あなたはリンクさんをお願いします」
 言いながら剣を構えるロイの目は、まっすぐにマリオを見据えていた。どうやらこの場限りではない因縁があるようだが、それについて聞いている暇は当然ない。鋭く風を切る音に顔を上げれば、前方でマリオとリンクがそれぞれ拳と剣を構えている姿が目に入った。
「覚悟は出来たか」
 しっかりと帽子を被り直しながら、マリオがどこか愉しげに唸る。ステージ外で見せる温厚で陽気な印象は鳴りを潜め、その全身から肌が痺れんばかりのプレッシャーが放たれていた。対峙するロイの喉が鳴るのを聞いて、マルスも改めてリンクを見つめる。
 リンクは一言も発さず、ただマルスを見つめ返した。その顔には一切の感情が見当たらない。昨日確かに見た笑顔が嘘だったかと思うほどの無表情だ。射竦めるように向けられた視線はひたすらに冷たく、青空の色だと思ったその目が、今は氷を連想させた。

 張り詰めた空気の引き裂くかのように、試合開始の号令が響いた。
 それと同時に動いたのは三人だ。ロイは真っ直ぐにマリオへ向かい、それに続いてマルスがリンクを目指す。マリオは拳を構えて待ちの姿勢だが、その前で誰より早く飛び出したリンクが突っ込んで来たロイの脇腹を狙って剣を振った。
 鋭い風切り音とともに、ロイのマントが引き裂かれた。間一髪身を捩って剣先を避けたロイだったが、まともに喰らっていたら戦場では間違いなく致命傷だ。まるで容赦のない攻撃に冷や汗が流れるが、彼は果敢にも勢いを殺さず、そのままマリオへ向かっていく。横を駆け抜けるロイを一瞥したリンクの視線は、次の瞬間にはマルスを捉えていた。
「なるほど、二手に分かれる気か。さすがは軍の大将コンビ、良い判断だな」
 恐ろしいことにロイの剣戟を素手で軽くいなしながら、マリオは上機嫌に叫んだ。信じ難い光景に目を疑ったが、いつまでも見とれていては目の前に迫るリンクになぶられるのは想像に容易い。矛先をロイからマルスへと変えたリンクは、迷いのない足取りでこちらに向かって来ている。
「リンク、乗ってやろう。そっちは任せた」
 マリオの軽やかな指示にもリンクは無言だった。軽く剣先を振ったのが了解の合図だったのだろうか。一瞬それに気を取られたマルスへの威嚇か牽制か、リンクの剣が青い軌道を残しながら斜め上へと切り上げられる。難なく避ければ、決してそれ以上は動きようがない最悪のタイミングで、心臓を狙った突きが迫った。人間には有り得ない精密さで動きが読まれているようだ。咄嗟に避けきれないと判断し、マルスも自分の剣を凪ぐ。突き出された剣とそれを押さえ込む剣とがぶつかり合う、耳を劈く金属音は、すぐに星がきらめく深い青の中に溶けていった。 鍔迫り合いの向こう側に見るリンクから、獣を思わせる獰猛な気配が漂っていた。昨日無言で佇む彼に感じた近付き難さなど比ではない。まるで別人だ。彼と木漏れ日の下で安穏とした会話を交わした自分の記憶すら疑いたくなる。
 そんなことを考えている内に、剣を握るマルスの手が細かく震えはじめた。予想はしていたが、やはり筋力でマルスはリンクにやや劣るようだ。このまま鍔迫り合いを続けても、いずれは力で押し切られる。時間が経てば経つほど、こちらが不利になるばかりだ。
 奥歯を食いしばり、マルスは渾身の力を込めてリンクの剣を弾き飛ばした。たまたま上手いこと不意をつけたようで、剣を取り落としこそしなかったがバランスを崩したリンクの身体が不自然に揺れる。攻撃の隙としては十分だったが、敢えてマルスは背後に飛んで距離を取った。恐らく、あのタイミングで踏み込んだところで、右手の盾に弾かれる。
「マルス! 後ろ!」
 息を吐く暇もない。ロイの焦った声と同時に、マルスは背後に向けて剣を大きく薙ぎ払った。ちょうど真後ろで剣先に何かが触れた瞬間、反射的に足を踏み込んで突き入れる。肉迫したはずの切っ先は布らしきものを裂いただけで、避けられたのを悟りすぐに剣を引く。いつの間にかもう一人の対戦相手に背後を取られていたようだ。楽しげに歪んだマリオの口元から賞賛の口笛が鳴った。
「なかなかの連携じゃないか。二対二でやりあってもいい勝負が出来そうだ」
 にやにやと笑いかけるマリオに、追いついたロイが横から容赦なく斬りかかる。
「残念ながら僕たちの作戦はあくまで一対一です。一度乗ってくれたんですから、余所見はして欲しくないですね」
「はは、ロイは情熱的だな」
 ロイから距離を取ったマリオが、たまたま近くにいたマルスにちょっかいを出して先程の奇襲となったようだ。ロイが上手く誘導しているのか、マリオがわざと挑発に乗っているのか、拳と剣でやり合いながらまた二人が離れていく。その間にも絶えず降り注ぐ弓矢を剣で打ち落としながら、マルスは弓を構えるリンクを睨んだ。距離を取れば彼の攻撃手段の幅を広げるだけだ。それならば自分に適した間合いを保つことに専念した方が良さそうだと判断する。
 マリオとロイは随分と仲良くじゃれ合っているようだった。それに比べ、自分の相手はなんともつれない。マルスが思わず苦笑を漏らしても、リンクの表情はぴくりともしなかった。
「乱闘中は別人みたいですね、リンクさん」
「あぁ、こういうのは慣れてないんだと。緊張してるんだろう」
 マルスの言葉への返答はリンクからではなく、まったくの別方向にいるマリオから返ってきた。ロイの相手をしながら呟きのようなマルスの言葉をも拾うとは、さすがリーダー格と言うべきか。それにしてもそのマリオと同じ第一回開催からの初代メンバーであるリンクが慣れていないとはよく言ったものだ。緊張しているのはこちらです、とこぼしたかった軽口は、おもむろに投げられた爆弾の噴煙に遮られた。

 剣、弓、爆弾。昨日聞いていた攻撃手段はこれで一通り出揃ったが、油断は出来ない。煙の向こうから突き出される切っ先を避けては弾き返しながら、後手に回る悔しさにマルスは唇を噛み締める。何せ相手の攻撃の隙をつく形でしかまともに攻められておらず、これでは逃げ回っているのとそう変わりない。かと言って視界の隅に見えるロイのように、蛮勇と紙一重の猛攻を仕掛けるのが正解だとは思えなかった。マルスの性格とその行動は合わない。無理のある作戦には大きな隙が生まれ、恐らくリンクはその隙をつくのが異常に上手い。ロイの奮闘は作戦と、本人の性格と、相手であるマリオの闘いのクセが噛み合っているからこそなのだ。
 一対三で闘っているような気分だった。最初から上手くやれるなどと甘いことは考えていなかったが、自分の立ち回りに感じる不安が徐々に焦りへと変わっている。好くない傾向だ。焦りが好機を生むことはないと、マルスは戦場で嫌と言うほど思い知らされている。
 ロイとマリオはマルスの死角に入っていた。踏み込むロイの雄叫びと、それを煽るマリオの嘆賞を背中で聞き、膨らむ焦りにまた焦る。先程から気合の声一つ上げないリンクの無表情を見るだけで、心臓が変に脈打つようだ。
 ステージに立つ者もそのステージを見る者も、同じ熱を共有して楽しむのが大乱闘だと、そう熱弁していたのは主催者であるマスターハンドだった。なるほどその通りなのだろう。ロイとマリオが心底からこの闘いを楽しんでいることは、ぶつかり合う音を聞くだけで十分に伝わってくる。だが、リンクはどうだろう。彼はこの試合を楽しめているのだろうか。人形のようなその顔からは何も窺うことが出来ない。能面の向こう側に失望が潜んでいそうだと、一度考えてしまえば不安の中にごまかしようのない恐怖が混じる。
 つまらないなどと思わせたくなかった。少しでも彼にとって手応えのある相手でいたかった。無邪気に笑ってマルスの参戦を喜んでくれた彼を失望させるくらいなら、この世界にいる意味などないと思うほどだった。
 マルスが一歩踏み込んで掴みかかろうとしたのを察知してか、リンクは素早く剣を引き真後ろへと跳躍した。着地とほぼ同時に投げつけられたのは爆弾ではなく、ブーメランだ。マルスが知る子供の玩具とは比較にならない大きさに、怯んでしまったのも無理はない。咄嗟に避けきれず先端が肩当てを掠めただけで、肩を関節ごと根こそぎ持っていくような衝撃が走る。狙われた右肩が痺れ、剣を握る手から力が削ぎ落とされた。
 まずい、と思った瞬間に、次いで迫り来る何かの気配を感じた。反射的に喉を庇った左腕に、冷たい重さが突き刺さる。衝撃に顔を歪めている間に、リンクから伸びる鎖はマルスの腕を完全に拘束していた。
 ――捕まった。右手の感覚が正常に戻るのと、この鎖を振り払うのと、どちらが早いだろうか。考えかけて、無駄な思考だと放棄する。どちらを選んでも、成す前にリンクは追撃して来るに決まっている。
 潜考するマルスの耳に、遠くロイの悲鳴が聞こえた。場違いに冷静な脳が、ロイが撃墜されたことを結論付ける。先程少し近付いたからとついでのように攻撃を加えて来た辺り、マリオはロイの復活を悠長に待っているほど甘い男ではないだろう。高速回転する思考の中で、にじり寄ってくるリンクだけでなく、背後から殴りかかってくるだろうマリオの対処も考えなくてはならなかった。左腕の拘束は未だ強固で、右腕は万全とは言い難い。まともに剣を振るえるのは一度が限界で、そのたった一度で二人を同時に相手にするのがどれだけ無謀な試みであるかなど、言われるまでもなくわかっている。
 それでもやるしかなかった。焼き切れた神経に無理やり命令を下すのは、戦場で部下を死地に向かわせることより、ずっと容易い。
 マリオはどのタイミングで来るだろうか。昨日今日と言葉を交わし、その闘いぶりを間近で見て、彼は抜け目がなく慎重な性格だと読み取れた。大仰な仕草や陽気な口振りの印象が強いが、相手の隙をつき最小限の動きで仕留めに掛かる。
 その点でリンクとマリオはとてもよく似ていた。彼はロイの撃墜をその目でしかと見届けた後、すぐにこちらに向かってくるだろう。リンクと連携することで一切の無駄なく確実に、マルスを仕留められるこのタイミングで、必ず。
 敵である彼に対しておかしな言い方ではあるが、信頼しているからこその確信があった。
 背後に向かって剣を振ろうかと、迷う前にやめる。同じ攻撃が土壇場でマリオを捉えられるとは考えられない。一度失敗しているのだから尚更だ。迷っている時間など最初からありはしなかった。

 マルスは自身の左腕に絡む鎖を掴み、力任せに引き寄せた。あれだけの武器を隠し持っているのだから当然だが、自分より体重が勝るリンクと綱引きをするのは至難の業だ。らしくもない力技に出たものだが、それが功を奏したか虚をつかれたリンクがバランスを崩した。その一瞬を見逃さず、渾身の力で更に引き寄せる。伸ばした鎖に引き摺られ完全に転倒したリンクをクッション代わりに、マルスはほぼ倒れこんだ状態で身を翻した。振り返ったそこには予想通り、脳天を狙ったらしいマリオの拳がある。空中を跳ぶ彼が避けることは出来ないと確信し、ちぎれそうな右腕を振るい、剣を切り上げた。確かな手応えを感じたが、恐らく撃墜には至らない。だがマリオが戻るまで数秒の猶予があれば、それで十分だ。
 組み敷いたリンクに、改めて全体重をかけた肘を入れる。中に鎖帷子でも仕込んでいるのか見た目以上に守りが堅く、マルスの体重では服の下の筋肉まで十分に刺しきれない。完全に固められる前に何とか起き上がろうともがくリンクが、マルスの右肩を剣の柄で殴りつけた。利き腕の違いが、マルスにとって不利に働いた瞬間だった。
 とんだ泥仕合だ。大乱闘におけるルールを逸脱こそしてはいないが、まったくもって自分らしくない。
 思いきり殴られた右肩は今度こそ完全に麻痺したようで、手から滑り落ちる剣を見つめ、マルスは敗北を覚悟した。
 リンクの剣が、至近距離にいるマルスの喉を狙っている。どんな攻撃を受けたところで死ぬことはないと言われたがさすがにこれは痛そうだと他人事のように考える最中、高らかにホイッスルが鳴り響いた。
 試合終了の合図だった。

2

 突然場を包んだ大歓声に、マルスはいつの間にか閉じていた目をゆっくりと開けた。試合が終わったことで遮音が解除されたのだろう。割れんばかりの拍手と、四人それぞれの名を呼ぶ声が洪水のように湧き上がる。温かな賞賛の声が、ステージに惜しげもなく向けられていた。

 終わったと頭が実感しても、身体に力が入らなかった。胸当てを小突かれる感覚に、放心状態からようやく我に返る。見れば未だ半身を下敷きにされていたリンクが苦笑を浮かべながら、上にいるマルスをつついているところだった。

「す、すみません!」

 慌てて飛び退いたマルスに、リンクは大丈夫だと手を振った。最初に話した時と同じ、人懐っこい笑顔を浮かべている。それを見て首をもたげた安堵と疑惑に胸が軋むより先に、背後からの衝撃に驚いた。背中にロイの頭が押し付けられ、何やら悔しげな呻き声が響いている。
 背中にロイを抱え、今日は背後を取られることが多いなと頭を掻くマルスの肩を軽く叩いたのはマリオだった。にっと笑う彼の顔は試合の余熱のためか、ステージ外で見るよりもずっと溌剌としている。

「いつまで座り込んでるんだ。表彰までが試合だぞ」

 そう言いながら差し出された大きな手に、素直に縋って立ち上がった。マルスに続き、リンクもマリオの手を借りている。何やら二人で一言二言交わしていたようだったが、未だ鳴り止まない歓声にかき消され、彼らの会話がマルスの耳に届くことはなかった。

 来た時と同じように光の輪に入ってステージを出た先は、控え室が並ぶ廊下ではなく観客席に囲まれた円形の会場だった。先程までとは比にならない歓声が、空気をも揺らしているのがよくわかる。これではすぐ隣にいたとしても会話が出来そうにない。戸惑い顔を見合わせるマルスとロイに対して、マリオとリンクはさすがに慣れているらしく、会場の中空に現れたモニターに向かって歩いていく。彼ら二人を追いながら見たモニターには、試合の結果が表示されていた。マリオがロイを撃墜し、一対ゼロでマリオとリンクの勝利だ。

「すみません、マルスさん。足を引っ張りました」
「僕の方こそ、戦績を見れば何もしていないに等しいので――力及ばず申し訳ありません」
「いやいや、お前ら二人とも、よく手こずらせてくれたよ」

 互いに頭を下げて謝り合うマルスとロイを、マリオが快活に笑い飛ばした。その隣でリンクも満足そうに頷いている。

「まずロイな。結果だけ見りゃ撃墜されたが、それはお前が積極的に攻めて来たからこそだ。がむしゃらのように見えて、冷静な判断で攻撃してきたしな。守りに入られたら、俺にはちと荷がきつかったかも知れん。落とせたのは俺の方が慣れてた分有利だったからに過ぎない。何よりお前とは闘っていて楽しかったよ、ロイ。ありがとう」
「いえ、そんな――こちらこそ、ありがとうございました」

 真摯でまっすぐなマリオの賞賛に、ロイが言葉を詰まらせる。固く握手を交わしながら俯きがちだったのは、もしかしたら涙を堪えていたのかも知れない。

「マルスへは全部奇襲になって悪かったな。一対一に乗るって言いながら騙し討ちしたみたいになったし」
「この試合はあくまでタッグマッチでしたから。それは僕も理解しています」
「物分りが良くて助かるよ。そうなんだよな、現メンバーと新メンバーでタッグマッチ、ってのがこの試合の宣伝文句だったから、どっかでそれらしく連携入れた方が客も楽しめるだろうと思ったんだ。でもまさか、ロイの合図にお前があんなに早く反応するとはな。あの時は撃墜を狙っていたんだが、してやられたよ」
「考えて動いたわけではないので、こちらこそ避けられて肝が冷えました。リンクさんの弓矢は容赦ないし、まともに二対二でやり合っていたらと考えると怖いです。お二人はよく組んでいるのですか?」
「いいや、言うほどじゃないな。リンクはフォックスやピカチュウと組むことの方が多いくらいだろ。っと、そういやリンク、お前からは何かないのか?」
「えっ。その、オレはマリオみたいに上手く伝えらんないですし」

 急に話を振られ、リンクは慌てて両手を振った。そんな言い訳をマリオが聞くはずもなく、いいからいいからと強引にリンクの背中を押す。これで言うほどタッグを組んでいるわけではないというのだから恐ろしい。

 先輩として偉そうにアドバイスすりゃいいんだよ、と適当なことを言うマリオに苦笑いしていたリンクだが、それなりに臍を固めたらしい。改めてマルスに向き直る彼の目は、試合中の無表情を忘れてしまいそうな穏やかさだった。

「えっと、その。正直侮っていました。少なくとも筋力で負けることはないと思ってたんですけど、マルスさんはたぶん瞬発力がすごいんですね。結果的に競り負けることが多くて、悔しかったです」
「最初の慢心がなければ、落とせてたかも知れないのにな」
「あんまり意地悪しないでくださいよ、さっき謝ったじゃないですか」

 にやにやと茶々を入れるマリオに、リンクは力なく項垂れる。さっき謝った、というのは歓声にかき消されたあの会話でのことだろう。あの時も今も彼らが交わす言葉には冗談の色が濃く、マリオの叱責も落ち込むリンクも、どちらも本気ではないようだ。

 一頻りマリオとじゃれ合いながら、リンクが気恥ずかしそうにマルスから視線を逸らした。が、目ざとく気付いたマリオに小突かれ、すぐに顔を上げる。少し笑みが薄まった彼の顔からは少年らしい無邪気さが消え、差し出された手も相まって精悍な印象が強まった。

「最初は侮ってたかも知れないけど、手は抜いてませんから。初めて闘う相手に手の内全部見せたのなんて、マルスさんが初めてです」
「扱う武器はあれで全部ですか?」
差し出された手を握り返しながら尋ねると、リンクは即座に頷いた。
「はい、全部です。乱闘では、ですけどね。縛りがなければ他にもいろいろ使いたいところなんですけど」

 つまり他にも扱える武器は多様にあるというわけだ。つくづく制限があって良かったと、マルスは心底安堵する。あれ以上に攻撃手段が幅広くなればそれだけ対処も煩雑になり、さぞかしやりにくくなるだろう。
 互いに礼を言い合って、固く握った手をどちらからともなく解く頃には、歓声も大分落ち着いてきていた。改めてマリオとリンク、マルスとロイのチームに分かれてお互いの健闘を称え合う。観客席から響く拍手も温かく、会場は和やかな熱気に包まれていた。

「面白いですね、大乱闘」

 観客席に手を振って応えながら、ロイが小さく呟いた。
 今ならマルスも確信をもって頷ける。この世界はきっと、知れば知るほどに面白い。

「最初に組んだのがあなたで良かった。またトレーニングに付き合ってください、マルスさん」
「マルスでいいよ。さっき、そう呼んでくれただろう」
「――バレてました? 咄嗟に呼んじゃったけど、あの時はごちゃごちゃしてたから大丈夫だって思ったのにな」
「背を預ける仲間、って感じがして嬉しかったからね。僕もロイって呼んでいいかな」
「もちろん。これからもよろしく、マルス」
「うん。よろしくね、ロイ」

 握手代わりに鞘同士を軽くぶつけ合う。観客席に手を振りながら、マリオとリンクは嬉しそうに、その光景を見守っていた。

3

 数日後のある夜、マリオはこの日を振り返り、何度も頷きながら目を細めたものだった。

 数多の世界から集められたファイターは、それぞれが異なる背景を持っているために最初はどうしても戸惑い、時に衝突する。しかしそれも、ステージに上がり拳を交わす間には些細なことだ。そしてひとたび試合を終えて向き直る時、不思議なことに誰もが笑顔を浮かべている。だから大乱闘は面白いのだと、マリオは酒に浮かされるまま熱っぽく語っていた。
 確かにその通りだと頷きながらも、マルスはどこか釈然としない自分をごまかすことが出来なかった。

 あれからマルスも何度か乱闘を重ね、現存メンバーとは一通り手合わせを済ませていた。
 あまりに幼い容姿にマルスには考えられない軽装、そして超能力という不可思議な力を行使するネスや、そもそも言葉による意思の疎通が不可能なドンキーにピカチュウ。どう接すれば良いのか見当がつかない彼らとも、マリオの言う通り一度闘えばすんなりと打ち解けることが出来た。パワードスーツという金属の塊に身を包んだサムスや、獣人種であるフォックス、ファルコなど、マルスにとっては異形な彼らもすっかり見慣れたものだ。

 このようにほぼ全てのメンバーと乱闘を通じて打ち解けていながらマリオの言葉に心底から同意出来なかったのは、ロイと挑んだ初舞台で闘ったリンクのせいだった。

 デビュー戦から数日が経っても、マルスがリンクと再戦する機会は訪れていない。新たな参戦者であるマルスやロイは格好の宣伝役として何かと駆り出されてはいるものの、同じ場にリンクが出てくることはなかった。

「あいつはあいつで忙しいんだよ。なんだかんだでお人よしだからな」

 リンクの姿を探すマルスをそう言って宥めたのはフォックスだった。今回が二度目の参戦となる初代メンバーで、リンクと親しいという彼なら、マルスが抱く疑問に答えをくれるかも知れない。乱闘中にリンクが見せた、あの能面のような無表情の理由を。

 そう思いつつも、マルスはフォックスにその理由を尋ねることはしなかった。リンクと仲が良いという彼がマルスに対して真実を言うとは限らない。何より、リンク本人の口から聞きたい気持ちが強かった。乱闘中、何故あんなにも冷たい目を向けたのか。試合が終わって見せてくれたあの笑顔に、嘘はなかったのか。悔しいと言った彼はあの試合を、少しでも楽しんでくれたのだろうか。

 晴れない気持ちを抱えたまま、忙しなく時間が過ぎていった。マルスとロイを筆頭に、新たなメンバーの紹介のため大々的に行われていたキャンペーンも好評のまま終わり、ようやく肩の荷が下りる。息を吐く暇もない日々から解放され、人心地がついたことでロイは随分と気が緩んでしまっているようだが、それはマルスも同じだった。

「――それ、ずっと気にしてたの? あの日から?」

 メンバーに宿舎として与えられた建物のバルコニーでワイングラスを傾けながら、マルスは口を滑らせたことを少しばかり後悔していた。今や気の置けない友人となったロイが隣で柵にもたれ、含み笑いでこちらを見ている。

「僕はあの試合、リンクさんとは殆ど接触がなかったからなあ。マルスが気にし過ぎなだけっていう可能性は?」
「気のせいで済む程度なら僕だってここまで引きずらないよ。本当に別人みたいな顔をしてたんだ。他の人との試合でもそうなのか確認したいのに、観戦出来る試合にことごとく出てないしさ」
「避けられてるんじゃないですか」

 思い至ったが考えたくはなかったので敢えて言わずにいたというのに、ロイは実にあっさりと口にしてくれる。他人から見てそう思うのなら実際そうなのだろうかと、マルスは本格的に落ち込みはじめた。ワイングラスを持っているのも億劫で、このまま下へ放り投げてやりたい気分になる。

 どうやら予想以上に重篤な様子で、ロイが慌ててフォローを入れた。冗談だと言い募るが、すっかり沈んでいるマルスにはまるで効果がなく、まさに覆水盆に返らずだ。

「きみはいいよね、マリオさんに相手してもらっているからさ」
「僕に当たらないでくださいよ。マリオさんだってあれからずっと忙しそうだったし、リンクさんもただ忙しいだけだって。たぶん」
「今にして思えばロイ君さ、最初随分マリオさんのこと意識してたよね。あれ、何か面白い理由でもあるのかい?」

 酔っ払いには半端に絡むものじゃない。予想だにしなかったところを突っ込まれ、ロイは一瞬言葉を詰まらせた。アルコールが入っているからと言ってマルスがその隙を見逃すはずもない。据わった目で見つめられたロイが、両手を挙げて降参する。

「ここに招待されて初めて会ったのがマリオさんだったんですよ。場所がトレーニングルームで、ちょっと話したついでに肩慣らしでもしていくかって誘われて。で、ちょっと、いろいろあって。初っ端で惨敗したから、あの時はリベンジに燃えてたっていうか」
「ちょっと、いろいろ?」

 マルスが目を輝かせて更に追求する。ロイの前だけでも三杯ほどグラスを空けているが、むしろ頭は冴え渡っていた。酔っているように見えるのは演技かとぼやいて視線を泳がせていたロイだったが、しばらくして諦めがついたようだ。

「来たばかりで何もわかってなくて。その、マリオさんに、丸腰の相手に剣は向けられない、と言ってしまいました……」
「うわぁ」

 わざとらしい棒読みで、マルスが驚嘆の声を上げた。今でこそ馬鹿なことを抜かしたものだと笑い飛ばせるが、いざロイの状況に置かれたなら自分だって同じことを言ったと思う。しかし実際返り討ちに遭ったのはロイなので、所詮は他人事だ。

「それで、剣を構える間もなくボコボコにされたのかい?」
「ううん。絶対に当たらないから遠慮なく向けろ、って挑発されて僕から仕掛けた。それからボコボコにされました」
「うわぁ」

 一辺倒で芸がないが、他に言いようもないので仕方ない。聞けばその後ロイはマリオに非礼を平謝りしたらしいのだが、そもそもマリオはロイの言葉を全く気にしておらず、まともに取り合ってもらえなかったそうだ。それならばせめて一矢報いるのが筋だろうと意気込み、マリオとの一騎打ちを目論んだ結果があの一対一作戦の真相だったという。普段はいかにも良家の御子息然とした温厚さが目立つロイだが、こういう時は意外なほどに頑固である。

「そういうマルスは、なんでそんなにリンクさんを気にするのさ」
「きみと同じような理由だよ。この世界に来て初めて話したのが、彼だったから。その時の印象とステージ上での印象が違い過ぎるから気になるのだと思う」

 自分自身に確認しながら、慎重に言葉を舌に乗せる。これ以上なく端的にまとめられたと自負するマルスだったが、対するロイは些か腑に落ちない顔をしていた。何かしら引っ掛かるところがあるものの異議を唱えるほどではなかったのだろう、彼は「そうですか」と言ったきり、特に口を挟もうとはしなかった。

夜風が一筋、マルスとロイの間を吹き抜けていく。バルコニーから見える広い空には無数の星が輝き、澄んだ空気が満ちていた。降りた沈黙さえ心地良く思える、綺麗な夜だ。それだけに、どこか物悲しささえ感じてしまう。

 隣のロイに倣い、マルスはバルコニーの手すりにもたれ掛かった。手にしたグラスはとっくに空いていたが、屋内に戻って置いて来るのも面倒だ。かと言ってその辺りに置いておく訳にもいかず、仕方なしに少し掲げて手持ち無沙汰に揺らしてみる。空のグラスは夜の闇によく馴染み、透かし見ると星屑を注いだような風情があった。

「ロイ君、見てよ。こうすると綺麗じゃないかな」
「綺麗ですけど、さっきまで持ってるの面倒だからいっそ放り投げて捨てたいって言ってた人の発想とは思えないです」

 なかなかに辛辣なことを言って、ロイはおざなりな拍手をマルスに送る。

「あれ。僕、口に出していたかな、それ」
「顔には出てたよ」
「あぁ、そう」

 言葉にしなくても汲み取ってもらえるとは、便利な間柄があったものだ。グラスを持った手を手すりの外へとぶら下げて、マルスは深く溜息を吐いた。

 考え過ぎだという自覚はある。気になるのは仕方ないにしても、考えないように努力することは出来るはずだ。事実、今までは宣伝活動への協力やらメンバーへの挨拶やらで忙しなく、そこまで思い悩む暇さえなかったのだ。だからこそ、様々な事柄の任を解かれ、明日から落ち着いた生活を楽しんでください、とお膳立てされていることに不安を覚える。まだ忙しさの余韻が冷めやらぬ内からこの様では、結果だって知れているだろう。

 遂に手すりに突っ伏して、マルスは小さく呻いた。隣のロイも釣られたように苦笑を漏らす。先ほどまでの辛辣さはそこになく、純粋に心配してくれているのが伝わった。

「ここまですれ違うと、本当に避けられてる気がしてくるよ」
「偶然だってば。明日探してみたらどうですか。さすがにリンクさんだって少しは時間が出来るだろうし」
「そうかなぁ。最初の試合で自分でも知らない内に無礼を働いていたのかも」
「いえ。そんなことはないです」
「だってそうじゃないと乱闘中のあの無表情の意味がわからないよ。他に考えられるとしたら、最初の挨拶で何か失礼なことをしてしまったとか」
「いえ。それもないです」
「なんでロイが断言出来るのー……って、あれ?」

 何かがおかしい。違和感を覚えて顔を上げる。
 隣には変わらずロイがいた。先程までマルスと同じく天端に肩肘をついていたはずだったが、何故か今はこちらに背を向け、肩を震わせて半ばうずくまっている。その状態ではあのように淡々とした相槌は打てない。答えの見当は付いていたものの、マルスは首を傾げたまま視線を横にずらした。案の定、ロイの隣にもう一つ、想定していない人影があった。

「すみません。盗み聞きするつもりはなかったんです。マリオにロイさんを呼んで来いって言われて、それで」

 トレードマークの緑衣こそ脱いでいるものの、そこに立っているのは間違いなくリンクだった。噂をすればなんとやらとは言うが、まさか突然本人が登場するとは思ってもみなかったため咄嗟に反応出来ず、マルスは不自然な表情で硬直する。

 眉間に皺を寄せるリンクは怒っているのではなく、どうやら困っているらしい。こんな時にも冷静に動く脳だけが、何かまずいことを聞かれていないかと自分の発言を振り返っている。一方で傍らにうずくまるロイは一頻り笑った後、目に浮かんだ涙を拭いながら立ち上がった。

「リンクさんが声掛けてるのに、マルスってば全然気付かないし。もっと喋ってくれたら面白かったのに」

 今にも取り落とされそうなグラスをマルスの手から引き抜いて、ロイはリンクに向き直った。茫然自失のマルスはそっちのけで、何やら二人で話しはじめる。元々リンクはロイを捜してやって来たようだから別段不自然ではないのだが、この状況で放って置かれるのは解せない。

「はいはい、僕はもう行くから拗ねないで。ではリンクさん、後はよろしくお願いします」

 気安くマルスの肩を叩き、ワイングラスを遊ばせながらロイは背を向け去っていった。彼が向かう先、屋内の会場は未だ盛り上がっているようで、扉の隙間からは煌々とした明かりと賑やかな声が漏れている。
 バルコニーと屋内を繋ぐ扉が閉まり、ロイの姿はその向こう側へと消えた。洪水のような喧騒が納まると、夜の静寂が瞬く間に広がっていく。その中でリンクはじっとマルスを見つめていたが、マルスはと言えばその視線から逃げるようにして、消えたロイの背中を未練がましく追っていた。

 気まずい。先程までの、沈黙すら心地良いと思った瞬間はなんだったのかと勘繰ってしまうくらいに、気まずい。
 沈黙が全身をチクチクと刺して痛いが、この状況を打開する第一声が思い浮かばない。扉を見つめて現実逃避に励むマルスに助け舟を出したのは、この気まずさの元凶といえば元凶であるリンクだった。

「すみません。そこまで気に病んでるなんて全然、考えてなくて」
「いや、僕が勝手に考え過ぎていただけなので。リンクさんが謝るようなことは、全く。むしろ僕の方こそ、何か失礼があったのではないかと――」
「さっきも言いましたけど、それはないです。言い訳したら、聞いてもらえます?」

 小首を傾げて尋ねられ、マルスは一も二もなく頷いた。リンクは小さく笑い、ロイがいた場所で同じように肩肘をつく。星を眺めながら口を開くリンクの横顔を、今度はマルスが見つめる番だった。

「新しい人と闘うのって緊張するんです。おまけにあの時は大会のデモンストレーションがどうとか、ちょっとややこしかったでしょう。オレ、そういうのわかんないし苦手だから、余計に緊張しちゃって。マスターハンドに出ろって言われた時も嫌だって突っぱねたんですけど、マリオにフォローするから付き合えとまで言われたら逆らえなくて」

 乾いた笑い声を上げながら遠い目をするところに、逆らえないという言葉の重みをひしひしと感じた。マリオは面倒見の良い兄貴肌気質のリーダーだと思っていたが、実際あの試合を振り返るとフォローすると言ったリンクを一人放り出してロイに付きっきりだったのだから、むしろ自由なワンマンなのかも知れない。

「あの試合の前日でしたっけ、マルスさんと初めて話したの。あの時はまだ、オレが洗礼役やるって決まってなかったんです。同じ剣士タイプの人が来たから嬉しくて、どんな闘い方するんだろうって試合見るの楽しみにしてたのに、まさか自分が相手することになるなんて思わなかったからめちゃくちゃ焦ったんですよ。マルスさんたちの初試合ってことは、こっちとしては予備知識もなく探り探りの闘いをしなくちゃいけないわけだし。負けられないってプレッシャーもあって、相当顔が強張ってました」
「緊張すると、無表情に?」
「それだけなら多分、マルスさんも気にならないくらいだったと思うんですけど。オレは故郷で魔物ばっかり相手にしてたんです。言葉通じないから喋る必要ないし、音に敏感な魔物も多いので気配や息を殺す癖が染み付いてて。で、緊張もあって乱闘ってよりボス戦――大物の討伐のノリで行っちゃって、それで」

 本当にすみません、と頭を下げるリンクを制止するのも忘れて、マルスはほっと安堵した。彼のいう魔物とやらがどのようなものであるかは想像するしかなかったが、意思の疎通が出来ない異形相手ならあの表情も頷ける。自分がその異形と同じように見られていた、という事実は置いておく。

「でもオレからしたら、マルスさんだって相当無表情でしたけど。何も喋らないし」
「えっ。そうでしたっけ?」

 リンクから指摘を受けて慌てて思い出してみるが、確かに声を上げた記憶はあまりなかった。細かい呻きなどはともかく、はっきりと言葉を発したのはマリオと会話したあの一度きりだ。仲間であったロイとすらまともに話していない。

「さっきちょうど、あの試合のリプレイをみんなで見てたんですよ。マリオとロイさんは正統派の楽しい乱闘、って感じでやり合ってるのに、オレたちはどっちも無言の真顔で斬り合ってて。熱血派とクール派できれいに分かれた試合だったなって、フォックスに笑われました」
「それは――お恥ずかしい限りです……」

 試合中、リンクの様子が気になって自分のことに手が回っていなかったらしい。見ず知らずの観客は仕方ないにしろ、仲間であるメンバーに改めて見られるのは気恥ずかしかった。格好をつけていたつもりはなく、むしろ必死過ぎて無様を晒していないかが心配だったのだが、自分で見返すには勇気が足りそうにない。

「でも八百長を疑われるくらいに出来の良い試合だったって、マスターハンドからは褒められましたよ。ロイさんの初乱闘とは思えない攻めの姿勢もそうですけど、オレたちも涼しい顔で斬り合ってたと思ったら最後は肉弾戦でしたから。客を飽きさせない試合が出来たのはあなたたちのおかげです」

 晴れ晴れとした顔で、リンクは笑う。ありがとうございます、と差し出された手に、今度こそ何の憂いもなく応えられるのが嬉しかった。握り返したリンクの手はあの時と違ってグローブを装着しておらず、夜風で冷えたのか少し冷たい。空を見上げると雲が出てきている。風も徐々に強まっており、早めに屋内に入った方が良さそうだった。

「そろそろパーティもお開きになるでしょうから、僕たちも中に戻りましょうか。申し訳ありません、付き合わせたばかりに身体が冷えてしまいましたね」
「そこまで柔じゃないからそんな気遣わなくても。むしろもっと気楽に接してくれると助かります、丁寧に扱われるのは慣れてないので」

 そのようなことを言う割に、リンクは誰に対しても敬語である。そこをつつくと、彼は照れくさそうに「内緒ですよ」と人差し指を口に当てて話しはじめた。
 根っからの庶民を自称する彼は、そもそも敬語が苦手らしい。しかし成り行きでお姫様やらそのお付きやら、やんごとない身分の方々と話すことが多くなり、敬語を使わざるを得なくなったのだそうだ。だがどうしても使い分けることが出来ず、いっそのこと練習ついでにずっと敬語で話そうと思いついたある日からこの話し方が癖づいたのだという。

「適当に喋ってるので、マルスさんや姫たちからすれば雑過ぎて敬語なのか疑わしいだろうなって思うし。そんなワケで、あまり畏まられるとオレの方でボロ出るんで、その――無理じゃなければ、ロイさんに話すみたいにしてくれると有り難いです」

 そう言いながらもあくまでマルスの意思を尊重しようとする気持ちが、弱々しくなっていく語尾に現れていた。視線を逸らして俯きがちなあたり、もしかしたら照れているのかも知れない。
 マルスとしても、彼の提案は願ったり叶ったりだ。丁寧に話すことが苦手なわけではないが、せっかく対等な仲間として肩を並べられるのだから、気さくに話したい気持ちが強い。

「わかったよ。ありがとう、楽させてもらうね。ああ、僕のことも呼び捨てで構わないし、敬語ではなくてもいいから」
「だから使い分け出来ないんですってば。一度素で喋ったら二度と戻らなさそうだし、オレはこのままで」
「なんか距離を感じるなぁ」
「ちゃんとマルスって呼びますから」
「うん。それなら、いいかな」

 マルスが満足げに頷いたところで、一際冷たい風が吹いた。隣で身震いするリンクに、やっぱり寒いんじゃないかと苦笑が漏れる。
 二人連れ添うようにして向かった屋内のパーティ会場は、宴もたけなわの盛り上がりを見せていた。喧騒は止む気配もなく、どうやら今夜は長くなりそうだと、二人で顔を見合わせて笑い合った。

4

 この世界での生活を振り返ると、ただ純粋に楽しかったことばかりだ。
 マルスがリンクと無事に打ち解けられたと知り、ロイはそれを自分のことのように喜んでくれた。それから何かと三人で行動することが多くなり、いつしか他のメンバーから『仲良し剣士組』と愛情をもって冷やかされるまでになっていた。

 この世界での生活については、主催者であるマスターハンドが一般居住区にメンバー各々の家を用意してくれていたが、それを利用する者は少なかった。居住区のある街は乱闘会場から少し離れており、通えない距離ではないものの毎日乱闘のために行き来するのは面倒だという者が殆どだ。また、大きな娯楽施設がこの大乱闘会場くらいにしかないこともあり、出場メンバーが街を歩くと瞬く間に囲まれることも多い。中には手合わせと称して絡んでくるやつもいると、笑いながら語っていたのはキャプテン・ファルコンだった。筋肉隆々で見るからに荒事慣れしていそうな彼ですら狙われるほど、街の人間は血気盛んなのだ。
 そのためステージ外では平穏な生活を望むほぼ全員が、会場に直結した宿舎を利用している。リンク、ロイ、マルスの三人も例に漏れない。リンクは第一回の開催から今まで一度も宿舎以外で寝泊りしたことはないらしく、彼の人混み嫌いは筋金入りだ。

「最初の開催では皆慣れてなかったからな。知らないやつと同じ空間にいるよりはいいって街に住んでるメンバーも多かったんだが、リンクは最初から絶対に嫌だって駄々こねて、オフの日も街には出ようとしなかったんだ。この宿舎がここまで立派になったのは、こいつのワガママのおかげだな」

 にやにやと笑いながらフォックスがはじめた暴露話を、その場にいた全員が身を乗り出して聞いていた。午後三時の少し前、談話室に集まっていたのは午前中に今日の乱闘スケジュールを消化してしまったメンバーばかりで、要するに皆、暇だった。

「フォックス、黙ってください」
「じゃあ、ぼくが喋ろうかな。リンクってば機械に慣れるのも遅くってさ、最初はサムスに近づけなかったんだよ。こわくて」

 フォックスを睨みつけるリンクを前に、涼しい顔で続けたのはネスだった。
 十を少し過ぎただけの、まだ幼い彼に対して大人気ない真似はさすがに出来ない。ネス、と大声で制止しかけた口を中途半端に開けたまま、リンクは困った顔をして隣に座るマルスを見た。助けを求められているのはわかるのだが、面白そうな話なので是非聞いておきたい。好奇心丸出しのマルスからの助力は早々に諦め、リンクはロイに縋ろうとしたが、またすぐに視線を逸らした。ロイもロイで、実に野次馬根性丸出しの顔をしている。

「リンクさんは自然の方が好きなの?」

 必死に自分の味方を探していたリンクだが、雪山専門の登山家であるポポとナナの二人から期待に満ちた目を向けられてあっさりと諦めたらしい。まぁ、と実に煮え切らない返事をするが、すぐにナナから「どっちなの?」と容赦のない追撃を喰らっていた。

「自然が好きっていうか、街は落ち着かないっていうか――だってあれ、無駄なギミックだらけのダンジョンみたいなものですよ。見ててイラつくんですよね。あとネス、別にオレはサムスが怖かったわけじゃないです。警戒してただけです」
「スーツ着てる時はわからないけど、サムスさんは見るからに優しそうじゃないか。警戒する要素があったの?」

 素朴な疑問を口にするロイに、フォックスが苦笑する。

「サムスもサムスで警戒心が強いからな。あいつが俺たちに素顔を晒したのは前の大会も終盤に差し掛かってからだったんだ。リンクとサムスが打ち解けたのなんて、閉会前夜パーティの時くらいじゃなかったか」
「さすがにもう少し前に慣れてましたってば。大体、オレの話なんてしなくても」
「話のタネがたくさんあるんだから仕方ないでしょ。ぼく、フォックスの匂い嗅いでたリンクのことは一生忘れない自信あるなぁ」

 悪ガキの顔をしたネスが思わせぶりに呟いた。顔色を変えて立ち上がろうとしたリンクを、両隣のマルスとロイが見事なコンビネーションで抑えつけたその横で、フォックスが「あぁ、あれな」と頷きながら、当時を思い出してか含み笑いをしている。なんの話かと揃って首を傾げるポポとナナに、ネスがけらけら笑いながら話し始めた。

「リンクね、ずっとフォックスのこと気にしてたんだよ。恋でもしてるみたいにそわそわして様子窺っててさ。でもいつも厳しい顔してあまり人と話そうとしなかったから、誰も理由を聞けなくて。そしたらある日廊下でね、リンクがフォックスの尻尾に抱きついて顔を埋めてたの。ぼくさ、偶然それ見ちゃって」
「ネ、ネス、その話はやめませんか」
「確か朝飯食いに食堂に向かってた時だったんだよな。後ろから誰か来たなと思ったら思いっきり尻尾掴まれてさ。驚いて振り向いたら、うずくまって人の尻尾に埋もれてんのがまさかの無口クールキャラのリンクだろ。驚き過ぎて声出なかったもんな、あの時」
「フォックスまで!」

 情けなく眉尻を下げ、リンクは悲痛に叫んだ。彼にしては珍しく、頬もうっすらと紅潮している。どうやら相当触れられたくない話題のようだ。少し気の毒な気持ちになって助け舟を出そうかと考えたマルスだったが、リンクを挟んだ向こう側でロイは遠慮もなくフォックスに続きを促している。何より話の顛末が気になって落ち着かないのはマルスも同じだったので、結局黙って成り行きを見守ることにした。

「まあいいじゃないか、この際。俺はあれがあったから、お前と仲良くなれたんだしさ」
「あぁもう。好きにしてください」

 半ば自棄になったらしく、リンクは全身から力を抜いてソファの上で丸まりだした。無口ではなくなったものの、未だ顔立ちなどからどこかクールな印象の強いリンクは、時々こうして驚くほど子供じみた行動を取る。感情表現がいちいち素直というか単純なところをみても、素の彼に近いのはこちらなのだろう。フォックスが宥めるように伸ばした、頭を撫でる手を軽く振り払うところなどはむずがる幼子のようだった。

「あーあ、拗ねた。人の尻尾に顔突っ込んで、上目遣いで『なんで狐なのに森の匂いがしないんですか』って訊いてきたお前はガキみたいでかわいかったのにな」
「尻尾にリンクぶら下げてオロオロするフォックスも、傍から見たら相当面白かったよ」

 しみじみと懐古するフォックスに、ネスが楽しげに横槍を入れた。そうだったかととぼけるフォックスの視線は完全に泳いでおり、ネスの言う通り愉快な狼狽振りだったことは想像に難くない。仲が良いリンクや相棒であるファルコ相手には底意地悪い物言いもするが、基本的に真面目で実直なフォックスはあまり嘘が上手くもない。

「ねぇリンク。きみ、フォックスさんの何を気にしていたんだい?」

 お互いに首根っこを引っ掴んでじゃれ合いはじめたネスとフォックスには、これ以上の話を望めそうもなかった。隣でますます丸くなっているリンクの背中をつついて、マルスが尋ねる。
 億劫そうに振り返ったリンクは、意外にもすんなりと話しはじめた。彼は子供っぽいところも目立つが、それ以上に諦めが早い。

「フォックスがバラした通りの理由ですよ。見た目は親しみ持てるけど、なんか違和感があるなって思って。ハイラルとは違って機械文明が発達した世界の人だから自然の匂いよりも機械の匂いの方が強くて、よく知らないうちはそれがずっと不思議だったんです」
「あぁ、確かに。僕も最初、ドンキーとフォックスさんを同じタイプと見ていたから銃を向けられたときは焦ったよ」

 パワータイプのドンキーに対してのスピードタイプだと見当付けたところまでは良かったのだが、ドンキー同様の近距離タイプだと考えたのは完全に失敗だった。初動を見誤ったおかげで散々だったフォックスとの初試合を思い出すマルスに、ロイも同調しながら口を挟む。

「で、尻尾に抱きついてそれからどう仲良くなったんです? そっちの方が気になるんだけど」
「その時からフォックスが何かと世話を焼いてくれるようになりました、何故か」
「フォックスさん、その頃から面倒見が良かったのね」

 ネスの応援をしていると見せかけて、ちゃっかり耳をそばだてていたらしいナナがしみじみと呟いた。まだ幼い彼女の大人びた語り口は、少し背伸びをしているようでとても愛らしい。そうみたいだね、と答えるロイにマルスを加えた三人で盛り上がっている内に、ネスとフォックスの二人も落ち着いたようだ。ネスは上機嫌にポポと話しており、フォックスはそれを穏やかな面持ちで見守っている。

「ねぇねぇ、そういえばさ」
 フォックスとのじゃれ合いで満足したかと思えば、むしろヒートアップしていたようだ。標的をリンクとフォックスからマルスとロイに変えたらしいネスが、爛々と輝かせた目を二人に向けた。
「ロイもマルスも王子様なんでしょ? 街じゃなくて宿舎にいるのはなんで?」
「マルスはそうだけど僕は王子じゃないよ、そこまで偉くない。僕たちが宿舎を利用しているのは変?」
 貴族と王族では大きな違いがあるが、本人曰く『現代っ子』なネスにとってはどちらも似たようなものらしい。この少年がどんな王子像を抱いているのか定かではないが、どうもロイにもマルスにも共同生活をするイメージがないような口ぶりだった。
「街にある豪華な家で、ひょろひょろした渋いおじいさんとか、おっちょこちょいだけど可愛いメイドさんとか、そういう人にお世話してもらってそうだもん」

 妙に具体的な使用人のイメージが気になるが、そのような生活スタイルならもっと似合う女性がいる。ピーチだ。
 彼女が笑顔でマスターハンドを脅して――彼女としてはあくまで「お願い」して――作らせたと実しやかに囁かれているのが、この宿舎の北西にある小さな別棟である。ピーチは友人であるゼルダと共に、お付きのピノキオに一切を任せて優雅な生活を送っているらしい。姫である彼女を基準に考えれば、宿舎の一室でこじんまりと暮らしているロイとマルスの方こそ変わっていると言えるだろう。

「僕の国は小さくて清貧を美徳としていたから、王族の生活もそこまで華美ではなかったよ。ここの生活は慣れないことも確かにあるけれど、特に不便は感じていないかな」
「僕もマルスと同じ。それに賑やかな方が楽しいからね」
「ふぅん、そっかぁ」

 ネスはこくこくと頷きながらリンクを一瞥した。一人でいるよりはと宿舎を選んだマルスとロイに対して、リンクはかつて一人でいることを望みながらも宿舎にいたのだ。調和を重んじるネスとしては今はどうなのかと聞きたいところだろうが、肝心なところで一歩引いてしまう彼は結局そのまま黙り込んだ。

「そういえば、今でも街に住んでる人っているんですか?」

 切れてしまいそうだった話題を、自然な流れでロイが繋ぐ。リンクがその隣で丸めた身体を伸ばし、ソファに座り直しながら言った。

「サムスとファルコン、それからミュウツーですね」
「ミュウツーは自力でワープが出来ると聞いたけれど、サムスさんとファルコンさんはどうしてわざわざ街に?乱闘の度に会場まで通うのは結構な手間が掛かるだろう?」
「やだなぁマルス、野暮なことを言わないでよ。宿舎にはぼくやポポとナナみたいな、いたいけな子供がいるからに決まってるでしょ」

 首を傾げるマルスに、ネスが満面の笑みで言い放った。その隣でポポが首を傾げ、ナナは顔を赤らめて下を向いている。フォックスは呆れ顔で肩を竦め、ロイは微笑を湛えたまま何を考えているのかわからない。リンクに至っては溜息を吐いて、また丸まり出す始末だ。そんな中でマルスはといえば、ネスの言葉の真意が掴めずにとぼけた表情で更に首を傾げた。

「あれ、意外。そんだけ格好良ければ不自由してないと思ったんだけどなぁ」
「おっと。耳年増も過ぎると毒だぞ、ネス」

 クッションの上で舟を漕ぎながら言うネスの身体が、ふわりと浮いた。いつの間にか談話室に入って来ていた話題の中心人物、キャプテン・ファルコンが、抱き上げたネスを爽やかに嗜める。

 試合を終えてすぐこちらに来たらしい彼は乱闘用の正装のままで、ジェットタイプのマスクの赤も鮮やかに、緩みきった空気の中で異常な存在感を放っている。更にその後ろにはパワードスーツを脱いだサムスが無表情で佇んでいた。

「キャプテン、おかえり!サムスさんもおつかれさま!」

 ファルコンの肩によじ登り、ネスは無邪気に笑顔を振りまいた。二人に聞かれていた会話を考えるととても笑っている場合ではないような気がするが、無邪気さは子供の特権である。何よりファルコンもサムスも、子供の戯言に目くじらを立てるような大人ではない。談話室には先ほどと変わらず、和やかな雰囲気が立ち込めていた。

「お前たちが終わったってことは、もうそんな時間か。で、ネスの言ってること、実際どうなんだ、ファルコン?」

 じゃれ合いでヒートアップしたのはネスだけではなかったようだ。にやにやと笑って尋ねたフォックスに、ネスを肩車したままファルコンが口の端を釣り上げる。

「どうかなってたらとっくに自慢しているさ」
「えー、そうなの?」
「残念ながらな。ほらネス、マルスが困ってるだろう。そういう話はまた今度、な」

 器用にもネスを片腕に抱え直し、ファルコンは腕の中の少年に軽くデコピンを喰らわせる。弾かれた額を押さえながら、ネスは嬉しそうな笑い声を立てた。
 今でこそマルスやロイを冗談交じりでからかうネスだが、ほんの少し前まではまったく懐いてくれなかった。ネスは誰に対しても平等に、人見知りが激しかったからだ。そんな彼が比較的早く慣れたのがこのファルコンと、ミュウツーなのだという。父親のようで安心するのかも知れないねと推察していたのはマリオの弟であるルイージで、言われてみれば確かにネスに対する二人からは父性愛に似たものが感じられる。こうしてファルコンがネスを抱き上げているところなど、まさに仲の良い親子そのものだった。

 擬似親子のやり取りで微笑ましい気分にはなったが、結局何故サムスとファルコンが街に住んでいるのかはわからないままだ。喉に小骨が刺さったような気分で成り行きを見ていたマルスに、それまで黙っていたサムスが肩を竦めて口を開いた。

「街を選んだのは、その方が性に合っているからだ。私もファルコンもバウンティハンターだからな。物騒であればあるほど退屈せずに済む」
「バウンティハンター?」
「賞金稼ぎのことです。サムスもファルコンも元々それを生業にしていますから、この世界でも乱闘がない日は街でお尋ね者を追っているんですよ」

 マルスにロイ、それにポポとナナが揃って首を傾げたのを見て、リンクが身体を丸めたまま補足した。休みの日まで本来の稼業に勤しむとは、果たして彼らはきちんと休めているのだろうか。それも言われ慣れているのだろう、サムスは髪をかき上げながら問題ないと首を振った。

「休みだからと怠けていてはすぐに身体が鈍ってしまう。一人二人しょっ引くくらいが軽い運動になってちょうどいいんだ」

 逞し過ぎる彼女のその言葉に、頑固なまでの努力家であるロイは何度も何度も頷いていた。これに影響されて、明日から毎日トレーニングに誘われそうな勢いだ。
 サムスは試合中もステージ外でも妙に隙がないが、それはやはり日頃からの努力の賜物であったらしい。そんな彼女の隣で、ファルコンは苦笑しながら肩を竦めた。

「サムスはこの通りワーカーホリックだからな。デートに誘うのも一苦労さ」
「えー、そうなの?サムスさん、たまにはキャプテンと遊んであげてよ。お仕事以外にも楽しいことはたくさんあるよ」

 ぼやくファルコンに抱えられたネスが、サムスの顔を覗き込んで無邪気に言った。緩く弧を描く彼女の唇から、小さな笑い声がこぼれる。
 リンクと同じく眼光が鋭い彼女だが、その顔立ちはとても穏やかで、生来心優しい性格なのだと窺えた。ネスのような子供にはもちろん、ピカチュウやピチューなどポケモンたちに対しても物腰が柔らかだ。こうしてファルコン、ネスの二人と並んでいると、幸せな家族を彷彿とさせる。もっともそんなことを口にしてはサムスが照れ隠しに何をして来るかわかったものではないので、その場にいた誰もが笑顔で見守るだけに留めておいた。

「そうだな。ネスがその『楽しいこと』を教えてくれるなら休むのも良いかも知れないな」
「本当?じゃあ今度いっしょに遊ぼうよ!キャプテンもお休み合わせてさ」

 サムスの色好い返事に、ネスが手を叩いてはしゃぐ。落ち着かない彼を取り落とさないように抱え直し、ファルコンもにっと笑って頷いた。

「あぁ、それは良いアイデアだな。ポポにナナ、お前たちもどうだ?」

 諸手を挙げて賛成するポポとナナの口から、それならピチューも、ピカチュウもと、次々に友人の名が飛び出した。どんどん増えていく子供の数に、ファルコンが「おいおい」と大袈裟に額を押さえて嬉しそうに嘆く。

「こりゃ引率役が足りないな。フォックス、付き合わないか?」
「遠慮しておくよ。俺は俺で、でかい子供の世話があるからな」
「フォックス。それ、誰のことですか」
 マルスとロイの間で丸まっていたリンクが、突然飛び起きてフォックスに突っ掛かる。
「自覚があるようで何よりだよ、リンク」

 しかしどうしたところでフォックスの方が上手のようだ。笑いながらぽんぽんと頭を撫でられて、リンクは悔しそうに唇を噛んで黙り込む。ふて腐れて俯いた彼の横顔はまんざらでもないように思えて、マルスは微笑ましいようなどこか引っ掛かるような、微妙な気持ちでそれを見ていた。

5

 マルスが宿舎での共同生活にすっかり慣れた頃、今大会の出場メンバーも出揃い、日々の乱闘はますますの盛り上がりを見せていた。

 ロイは最近になってずっとクッパとトレーニングに励んでいる。ヒーローの代名詞のようなマリオのライバルということもあり、見た目も相まってどうしても悪役の印象が強いクッパだが、実際話してみると情が厚く気の良い亀である。炎を扱う乱闘スタイルや思い込んだら一直線な性格の一致もあり、ロイとは意外にも上手くやっているようだ。

 マルスはといえば相変わらず、トレーニングの相手にはリンクを誘うことが多かった。やはり剣の使い手同士、やりやすさが他のメンバーの比ではないのだ。個性派揃いの乱闘を勝ち進む練習には足りないが、癖の強いメンバーを相手にする内に忘れがちな基礎を思い出させてくれるため、リンクとのトレーニングはマルスにとってなくてはならないものになっている。

 この日も午後からの乱闘に備えて軽く運動をしておこうと、マルスは朝食の席でリンクを誘った。マフィンサンドを頬張りながら、彼は二つ返事で了承する。マルスの誘いを受けるリンクは、いつだって心底嬉しそうに顔を綻ばせる。彼のこの顔が見たいがために、声を掛けているようなものだった。

 朝食を終えて早速トレーニングルームへと向かう途中、廊下のどこかから聞こえる電子音に気付いたのはリンクだった。マルスやリンクにとっては不思議と懐かしいピコピコ音を辿った先にいたのは思った通り、Mr.ゲーム&ウォッチである。個性豊かなメンバーの中でも目立って風変わりな彼は、丸みを帯びた人型のシルエットをしている〝絵〟だ。平面世界からやって来た彼はこの世界でもやはり平面で、厚みはまったくない。今も廊下の壁に貼り付いて、動かなければ落書きと間違えてしまいそうだ。

 言葉を話さない上に生来寡黙気味の彼が、こうして声――と思しき音を立てるのは珍しい。ピコンピコンと忙しなく警告音を出していた彼はリンクとマルスの姿を認めると、どこからか取り出した白旗をパタパタと振りはじめた。どうやら困っている様子だが、すぐ側でうずくまって泣いているピチューが関係しているのだろうか。

「どうしたんです、ミスター」

 律儀にも腰を落として尋ねるリンクだが、電子音言語が理解出来るはずもない。壁の絵が身振り手振りと時々電子音で何かを必死に説明するのをじっと見つめ、それらしく頷いてからおもむろにマルスを振り返った彼は、困った顔で首を振った。そんな顔をされたところで、マルスにだって理解出来ないのだからどうしようもない。

 このままでは埒が明かないとリンクが泣き喚くピチューを抱き上げたところで、廊下の奥から小さな足音が聞こえてきた。マルスが目をやると、ちょうど曲がり角の向こうに見知った顔が覗いていた。こちらに気付いた彼女と目が合い、軽く会釈を交わす。ゆっくりと近付いて来た彼女は、ピチューを囲んで途方に暮れる二人の前で首を傾げた。

「マルス様に――リンクまで。お二人ともこのような場所で、何をしておいでですか」
「あぁ、ゼルダでしたか。その、ミスターが困ってるみたいなんですが、何言ってるかわからなくて」

 リンクの言葉で初めて彼女は壁のMr.ゲーム&ウォッチに気付いたようだった。口に手を当て、非礼を詫びる。誰に対しても丁寧な彼女らしい行動だが、傍から見ると壁の落書きに頭を下げるお姫様というのは相当にシュールな光景だった。

 彼女の誠意は伝わっているのかいないのか、彼は左右に揺れながらピコンピコンと音を立てる。さしものゼルダも困惑を隠せず口を噤む中で、壁の絵はバタバタと手足を動かして文字通り壁伝いに去っていった。
 未だぐずっているピチューを囲んで、三人は顔を見合わせる。結局、彼は一体何がしたかったのだろうか。

「ピチューさんが泣いているので、誰かを呼んでいたのかも知れませんね」

 微妙な表情で黙り込むマルスとリンクに、ゼルダが少し無理のある明るい声を上げた。それは要するに、あの壁の絵に体よくピチューを押し付けられたのではないかと思ったが、さすがにそれは口にしない。助け合いは基本で、美徳だ。恐らくは。

「確かにピチューとウォッチさんでは、会話が成り立たないでしょうからね」

 もっともらしく頷いてはみたものの、ピチューの言葉がわからないのはマルスだって同じである。どうしたものかと腕組みをする彼の横で、ゼルダが優雅に微笑んだ。

「大丈夫ですよ。リンクはピチューさんの言葉がわかりますから」
「えっ」

 驚いてリンクを見る。ようやく泣き止んだらしいピチューは腕の中からリンクを見上げ、必死になって何事かを訴えていた。マルスの耳には「ぴちゅ、ぴちゅ」としか聞こえない鳴き声に、リンクは相槌を打ちながら真剣に耳を傾けている。程なくして鳴き声が止み、リンクはしゃくり上げるピチューの頭を撫でながら、マルスとゼルダを振り返った。

「虫を追っかけてるうちに、ピカチュウとはぐれたそうです。ひとりになっちゃって不安だったみたいですね」
「リンク、動物と話せたの?」

 決して浅い付き合いではないはずだが、リンクにそんな特殊能力があるなどとは聞いた覚えがない。驚きに軽く目を瞠るマルスに彼は曖昧に笑うと、首を横に振った。

「そういうわけじゃないんです、ドンキーの言葉はわからないし。なんでか知らないですけど、ポケモンたちの言葉はわかるんですよ。ゼルダもそうでしたよね?」
「えぇ。ただ、言っていることはわかるのですが、言語を理解しているわけではありませんので、こちらから何かをお伝えすることは出来ないのです」

 どうやら意識して耳をすました時に限り、鳴き声に混じって微かに、理解出来る言葉を聞き取れるのだという。マルスにはいまいちピンと来ない説明だったが、ゼルダとリンクにとっても感覚的なもので説明がし辛いのだろう。ポケモン限定というのも、不思議な話だ。

 ゼルダはリンクの腕の中でまた泣き出しそうなピチューを覗き込むと、そのつぶらな瞳にそっと手を伸ばした。赤く腫れてしまった目元に軽く指先が触れると、淡い光がきらきらと舞って涙の跡を拭っていく。彼女の癒しの魔法はその奥にも届いたのだろう、ピチューがゼルダの指先を甘えるように軽く食んだ。まだいつもの元気さには足りないが、少なくとも涙は引っ込んだようだった。

「私たちハイリア人の耳は、神の声を聞くためにこのように長くなったのだと言われています。この耳に言葉が届くということは、ポケモンとは神に近い存在なのかも知れませんね」

 小さく呟いたゼルダの手は、ピチューの耳をくすぐるように軽く一撫でして離れていった。撫でられ足りなかったらしいピチューが不満げな目でゼルダを、それからリンクを見る。わかったわかった、と苦笑しながら耳を撫でてやるリンクはどこか嬉しそうだ。ポケモンに限らず、生きものが好きな彼らしい。

 一頻りピチューを撫で回した後、リンクは改まってマルスを見つめた。申し訳なさそうに眉尻が下がっているのを見れば彼が言いたいことはわかったが、マルスは敢えて何も言わずにリンクの言葉を待つ。

「マルス、すみません。オレ、ピチューをピカチュウのところに連れていってやりたいんですけど――」
「うん、リンクならそう言うと思ったよ。ピチューをよろしくね」
「はい! ありがとうございます」

 あっという間に笑顔を広げ、リンクは元気よく返事をして腕の中のピチューを抱え直した。服を引っ張って何かを訴えるピチューにうんうんと頷きながら踵を返し、来た廊下を戻っていく。ゆっくりと弾むような足取りの背中を見送っていたマルスだったが、隣にいたゼルダの衣擦れの音で我に返った。目をやれば彼女も穏やかな眼差しを、小さくなっていくリンクの背中に向けている。

 リンクの姿が曲がり角の向こうに消えてしまえば、静かな廊下にマルスはゼルダと二人きりで残された。思えばステージの上以外で彼女と相対するのは、マリオとリンクを相手にした、あの初試合前の控え室以来である。

 初めて彼女を見た時にも思ったものだが、今改めて見てみても、彼女の髪はリンクのそれとよく似ている。偶然でも気のせいでもないと知ったのは、リンクと打ち解けてしばらく経った時だった。ゼルダはリンクと同じ世界の出身であり、身分こそ違えど同じ人種だ。金色の髪は彼らハイリア人にとっては少し珍しいもので、栗毛や赤毛に比べて大きな個人差がないので似た印象を与えるのだろう、とリンクがいつか言っていた。

 リンクもゼルダもあまり自分のことを語らない。リンクに至っては元の世界で顔見知りであるゼルダについてすら、聞かれても曖昧にかわすことが多かった。考えてみれば随分と不可解な態度だが、仲が悪いわけではないようだ。並んで話しているところなどは可憐なお姫様とそれを守る騎士といった風情で、何を聞かなくても二人の間に言い表せない絆があることは知れていた。

 彼女を見ると、マルスの胸中はいつだってさざ波立って落ち着かなかった。畏れているわけでも嫌悪しているわけでもないのに、不思議と心が揺れるのだ。リンクと一緒の時は気にならない沈黙が、今は肌に突き刺さって少し痛む。
 国の象徴であるという点で自分とよく似た彼女は、まるで鏡を見ているように思わせることが度々あった。きっと、だから気になるのだろう。そう結論付けたマルスを見上げ、ゼルダは柔らかく微笑んだ。彼女が使う魔法と同じ、リンクがピチューに見せた優しさと同じ、こぼれた光を思わせる笑顔だった。

「こうして二人でお話しするのは久しぶりですね。この世界には慣れましたか?」
「はい。おかげさまで楽しく過ごしています」
「それは何よりです。あの人もあなた方が来て以来、より活き活きとしているように思います。あまり口数の多くないあの人が、あなたのことは楽しそうに話すほどですから」

 一旦そこで言葉を切り、彼女は僅かに顔を曇らせて続ける。

「私たちの世界でも、この世界でも、リンクは他者と少し異なる自分にいつも悩んでいます。マルス様と初めて闘った試合では、人には見せたくない顔を見せてしまったと言っていました。あの人が私にそのような弱音をこぼすのは珍しいので心配していましたが――どうやら杞憂だったようですね」

 安堵にまた顔を綻ばせ、ゼルダはふいに窓の外へと視線を向けた。近くの窓から一望出来る中庭を、ピチューを抱えたリンクが歩いているのが小さく見える。きょろきょろと辺りを見回しながら、ピカチュウを捜しているようだ。
 彼のどこが悩むほど変わっているのか、その時のマルスにはわからなかった。人の悩みなどそれぞれで、他人にとっては大抵が瑣末事だ。誰もが笑い飛ばしても、本人にとってはそれどころではないことなど、誰もが一つや二つ抱えている。

 そう考えてみるが、マルスはリンクが「見せたくなかった」と語る顔を見てロイが呆れるほど動揺していたのだから、言えた義理ではない。

「本人からも聞きました。確か大物の討伐のつもりでステージに上がってしまったと。さすがの迫力でしたが、言うほど見られない顔をしていたわけでは――」
「大物の、討伐? あの人がそのような言い方を?」

 口に手を当てて、ゼルダは不思議そうに言った。もう一つ言っていたのはボス戦、という表現だったかと思い出しながら、彼女の思わぬ反応にマルスは咄嗟に言葉をなくす。リンクは嘘でも吐いていたのだろうかと、不信感が首をもたげる。

 ゼルダは「嘘ではないと思うのですが」と煮え切らない返事で逡巡していたが、マルスの目をまっすぐに見つめて重たげに口を開いた。

「実はあの日、マリオ様とリンクには対戦相手があなたたちであると伝えられてはいませんでした。新しいメンバーが相手である、ということ以外、彼らは知らなかったのです。ですので出場が決まってから、あの人はずっと殺気立っていたと聞いています。あの時まだ姿を見せていない新規メンバーの中には彼が――ガノンドロフが、いましたから」

 ゼルダの口から飛び出したその名前で合点がいった。ガノンドロフ。浅黒い肌に鮮やかな赤毛が特徴の、険しい顔つきの大男だ。リンクやゼルダと同じ世界を故郷とし、彼女を象徴とする王国ハイラルを手中に納めんとした大魔王。彼はリンクとゼルダの前に立ち塞がった、最後の敵だと聞いている。ボスという表現も生温いほどに、凶悪な敵だと。

「あぁ、だから様子がおかしかったのですね」
「はい。憎むべき相手に見せる顔であなたと相対したことを後悔していました。あのように落ち込むリンクを見るのは初めてでしたから、私はマルス様が今もあの人に良くして下さることがとても嬉しいのです」
「いえ、そんな大それたことはしていません。そのような事情があったなどと思いもしなかったくらいですから」

 ボス戦と言ったリンクの言葉に素直に納得していたのだ。まさか宿敵相手の殺気を向けられていたなどとは考えていなかった。改めて思い出してみてもリンクの目はただ冷たいだけで、憎しみの色などは見当たらなかったと記憶している。彼の心境を思えば、自分であればもっとどす黒い感情が滲み出てしまうだろう。観客の目もあるので必死に抑えていたのかも知れないが、少なくとも剣を交えたマルスにも彼の殺意はわからなかった。

 そう伝えると、ゼルダは軽く目を伏せ俯いた。悲しみと辛さが綯交ぜになった己の瞳を隠すように、マルスの視線から逃れるように。

「――そうですか。実のところ、リンクとガノンドロフの間に個人的な因縁はありません。ガノンドロフは力でハイラルを征服しようとし、リンクはその魔の手から私を守る剣に選ばれました。私とハイラルの存在が、彼らを宿命で繋げているに過ぎません。――リンクはいつだって、少し変わり者ではありましたが、平穏で幸せな人生を送れるはずでした。彼自身が『見せたくなかった』という顔を、させているのは私です。ですから、私は時々考えてしまうのです。あの人はガノンドロフを、本当は憎みたくなどないのではないかと。彼は本来、動植物に寄り添って静かに日々を過ごすような――そんな穏やかな人ですから」

 搾り出されたゼルダの声は、苦しげだった。マルスの視界の隅に見える窓の外には、もうリンクの姿はない。
 黙り込むマルスを見上げ、彼女はまた俯いてしまう。つまらない話をしてしまったと詫びる声は、ひどくか細い。

「このような話など、ピーチ姫にもしたことはありませんのに。申し訳ありません、感傷的になってしまって。いけませんね、相手が同じ立場にあるあなただと思うと、つい甘えてしまいました」

 自嘲じみた笑みは、彼女には似つかわしくないと思った。いいえ、とマルスは緩やかに首を振る。
 彼女の言う通り、リンクには剣を持たず争いと無縁の場所で長閑に暮らせる未来だってあったのかも知れない。宿命を捨ててそれを選ぶことも不可能ではなかっただろう。それでも彼が選んだのは退魔の剣を握る道で、そうでなければマルスとリンクはこの世界で出会うことは出来なかった。

「事情を知らない私が言うのも差し出がましいかと存じます。ですが、リンクは己の意思に反することをするような人間ではありません。彼はきっと、あなたを守りたいから剣を取ったのでしょう。あなたに危害を加えるから、魔王を敵だと憎むのでしょう。ですからゼルダ姫、あなたが憂うことはありません」

 本心だった。この世界で付き合っていく中で知ったリンクの実直さからしても、ゼルダの心配は杞憂だと思った。自分を偽り、疑問を胸中で膨らませて、他人に押し付けられた憎しみで剣を振るえるほど、リンクは器用でも愚かでもない。第一、そもそもそんな小難しいことを考えているようには見えない。その証拠に、彼をもっともよく知るゼルダ本人が言っているのだ。悩み落ち込むリンクの姿は珍しい、と。

 嘘偽りのない言葉だというのに、言いながらマルスの胸が何故か軋んだ。顔を上げたゼルダが浮かべた切なげな微笑を見て、軋む音は高くなった。そんなマルスに気付かないまま、彼女は祈るように頭を垂れた。

「ありがとうございます。願わくばこれからもずっと、あの人の良き友でいてください。勝手な話で恐縮ですが、それが私の救いにもなりますから」

 彼女の嘆願に、マルスは頷いた。応えたかったはずの言葉は、何故か声にならなかった。

6

 目を閉じると、この世界で得た思い出が次から次へと洪水のように溢れ出す。初めて話した時のリンクが、ファルコンの肩で遊ぶネスが、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるフォックスが、本心を吐露したゼルダが、マルスの脳裏に次々と浮かんでは消えていった。

 幸せな世界だった。ここでならあり得ない夢を見ても許されると、そう思わせてくれる世界だった。

 眠れない夜、マルスは窓から夜空を見上げて思い出したものだ。敵同士として刃を交えることしか出来なかった竜の国の王子を。己の存在を殺してまでただ一人を守ろうとした誇り高き黒騎士を。憎悪に囚われ暗黒に堕ちた、かつて共に草原を駆けた盟友を。

 血反吐を垂らし、口を噤み、目で懺悔を訴えながら、彼らはマルスの前から去っていった。もう二度と会うことは叶わない彼らと再び会える日が来るのなら、場所は地獄でも天国でもなく、ここが良い。この世界でならきっと、手を取り合うことだって出来るだろう。そう思わせてくれる、世界だった。

 始まればいつかは終わるものだ。本のページを無限に繰ることは出来ないし、永劫に続く命はない。出された料理は食せば腹の中に消え、飾っておけば皿の上で腐って朽ちる。万物はいつか終わりを迎える。それが世の理で、当然の必然だ。
 楽しかったこの大会も、世界とともにいつかは閉じる。始まる前から、それは誰もが知っていた。

 マスターハンドが今大会の閉会を告げたのは、メンバーと観客の盛り上がりで大会がますます盛況を博す最中のことだった。選手の休養のためとして臨時休業のお知らせを街にまで配り、大乱闘の会場は完全に閉鎖された。その日は真っ青な空に綿菓子みたいな雲が浮かぶ、絶好の乱闘日和だった。

「皆、ご苦労だった。ありがとう」

 宙に浮かぶ巨大な白い手袋は、集まったメンバーにそれだけを言った。臨時休業の時点で薄々勘付いていた者も多く、誰もが無言のままその言葉を受け容れた。特に第一回からの参戦者は来るべき終演を確信していたらしく、実に落ち着いたものだった。

「おいおい、しんみりするには早いぞ。有終の美ってやつを飾った覚えはあるか?」

 立ち込めた神妙な空気を破ったのはさすがリーダーと言うべきか、マリオだった。大きな音を立てて手を叩き、俯きがちなメンバーの顔を順繰りに見渡してはっぱをかける。

「おい、マスター。それで、今回の閉会式はどうするんだ?」
「お前たちの好きなようにするといい。すまないね、私はやらなければいけないことがあるから後は任せる」

 マリオに向かって短くそれだけを告げると、マスターハンドは身体を翻し、瞬く間に小さくなった。そのまま宙に溶けるようにして消える主催者を見送って、マリオは髭をいじりながら低く唸る。

「だそうだ。目下の問題は閉会式だな。方向としては観客巻き込んで盛大にやるか、このまま臨時休業の体で身内だけでひっそりとやるか、ってところか」

 マリオが意見を求め、視線をぐるりと巡らせるとあちこちから小さな声が上がりはじめた。
 内輪でやればいいよ、前回もそうだったしな、でもたまには派手に終わってもいいんじゃないの。――皆好き勝手言うばかりで、どうもまとまりそうにない。

「よし。多数決――は俺があまり好きじゃないんでな。コイントスで決めるが、それでいいか?」

 口々に任せたと言うメンバーに一つ頷き、マリオはポケットから取り出したコインを隣にいたルイージに渡した。当然コインを弾くのはマリオだと誰もが思っていたが、彼は驚くルイージに肩を竦めて言い訳をする。

「俺は身内だけでひっそり派だ。やらせたらたぶんイカサマするんでな。ここはお前に任せる、弟よ」
「兄さん、横暴過ぎるよ……」

 溜め息をつきながら、ルイージが渡されたコインを指で弾く。どうも彼はコイントスが苦手のようで、一発目は何故か真横に飛んでガノンドロフに当たり、あまりの間抜けさに場の空気が一気に和んだ。それから三回失敗してようやく成功したと思ったら裏表の宣言を忘れており、改めて「表なら盛大に」「裏ならひっそりと」と決めてからも二回トスに失敗する不器用さだ。手で受けずに地面に落とせば良かったんじゃない、と終わってからネスが言い、待ちくたびれたメンバーから一斉に「先に言え」と突っ込まれていた。

 ともあれ結果が出る頃には、それまで散々コインによる狙撃を受けたカービィとプリンが怒り心頭でルイージを追い掛け回していた。辛うじてキャッチされたコインは裏を向いており、閉会式はここにいるメンバーだけでひっそりと行われることになった。

「そっか。ホントに終わるんだ」

 マルスの隣で、リンクがぽつりと呟いた。
 この大会に『リンク』は二人参戦している。一人は言うまでもなくあのリンクで、もう一人は今寂しげに呟いた、十になるかならないかの幼い少年だ。便宜上、書類などでは『こどもリンク』と呼ばれている彼は、正真正銘リンクと同一人物だという。確かにあの特徴的な帽子をはじめとして服装はリンクとよく似ており、顔立ちもそのままリンクを幼くした印象だ。

 同一人物の幼少期と少年期、それぞれの姿が同じ空間に存在する奇妙な現実に、戸惑ったのは最初だけだった。小さなリンクとはあまり関わりがなかったこともあり、彼の存在の特異さについては考えずに流していた、というのが正直なところだ。

 ふいに裾を引かれ、マルスは視線を落とした。あどけないリンクの大きな双眸が、上目遣いでこちらを覗き込んでいる。

「マルス、あのさ」

 小さな手で裾をぎゅっと握ったまま、リンクは何かを言いかけて口を噤んだ。どうしたのかと尋ねてみても、さっと視線を逸らされてしまう。

「――やっぱいい、皆いるし。マルスに言いたいことがあったんだけど、きっと大きなオレが言うから」
「でも、きみとあっちのリンクは違うだろう?」
「同じだよ。マルスは別人扱いしてたけどさ」

 どこか遠い目をマルスに向けて、リンクは乾いた声で笑う。大人びたその仕草に、マルスはぎくりと身を竦ませた。
 リンクの指摘通り、マルスは二人のリンクを全く別の人間として見ていたし、そのように接していた。最初こそ子供扱いに不服そうな顔をしたものの、早い段階で彼は兄に甘えるような態度を見せるようになったと記憶している。接する機会こそ少なかったものの、彼とは良好な関係が築けている――マルスはそう思っていたのだが。

「ごめん。嫌な思いをさせていたかな」

 もしかしたら今までずっと、彼は『リンク』と明確に区別されるのを厭っていたのだろうか。それを思うと、マルスの背中を嫌な汗が伝った。
 未だ裾を握っているところをみると、嫌われてはいないと信じたい。腰を落として、小さなリンクの頭を撫でる。わざわざ視線を合わせて真剣に謝るマルスに、彼は慌ててかぶりを振った。

「違うんだ、嫌だったわけじゃない。むしろ役得っていうか、嬉しい時の方が多かったよ。こっちこそごめんね、変な言い方したから」

 子供らしからぬ落ち着いた声音で、彼はマルスに言い募った。声だけ聞けば淡々としたものだが、向けられた視線は懸命で、ここまでまっすぐに見つめられれば、必死さは十分に伝わった。胸を撫で下ろしながら「わかった」と頷けば、リンクも安心したようでホッと口元を緩ませる。そのまま自然に逸らされた視線が今度は、少し離れた場所でカービィとプリンを宥めている大きなリンクへと向けられた。

「ただ、マルスがどう思ってても、ここにリンクは一人しかいないよ」

 それは聞けば聞くほどに不思議な言葉だった。マルスの隣には小さなリンクがいて、その視線の先には彼が成長した姿がある。大人になった自分を見つめながら、まだ幼い彼は憂いさえ帯びた顔をする。

 やはり彼は『リンク』として扱われたかったのではないかと、マルスは思った。彼がもう一人の自分を見る視線には、羨望が色濃く滲んでいたからだ。
 マルスは大人と子供、それぞれのリンクを区別することで、双方を尊重していたつもりだった。それは返って、彼の自尊心を傷付けていたのかも知れない。
 リンクは一人しかいないと断言する彼に、マルスはそれ以上何も言えなかった。今更接し方を変えたところで所詮は付け焼刃、彼がそれを喜ぶとは思えない。気付いたのが遅過ぎた。もう時間は、残されてなどいないのだ。

 神妙な顔で考え込むマルスを見上げ、彼は困ったように笑ってみせた。

「この大会は終わるけど、また会えるといいな。もしその時が来るなら、今度はオレも大人の姿でいたいと思うよ」
「――僕は今のきみも好きだから、それは少し淋しいね」

 どう言えば彼を満足させられるだろうか。迷った末に、マルスは素直な気持ちを口にした。望まれた答えではないかも知れないが、嘘を吐くよりはずっと良いはずだ。
 見上げるリンクの目が、ぱちくりと瞬いた。

「オレが変わったら、淋しい?」
「そうだね。成長したら喜ぶべきだと思うけれど――やっぱり少し、淋しいと思うな」
「そっか」

 何やら思案顔で何度も頷いているが、何を思っているのだろう。
 不安に駆られるマルスに、彼はにっこりと満面の笑みを見せた。

「ありがと。出来るだけ、がんばってみる」
「何のこと?」
「まだ内緒。だから――またね、マルス」
 一足先に別れを口にした彼は、ずっと握っていた裾を手放すその瞬間も、にこにこと笑顔のままだった。

7

 観客のいない試合が絶え間なく繰り広げられたその日の夜、閉会式とは名ばかりの宴会がマリオ主体で催された。

 孤高を好むガノンドロフやミュウツーなどは参加を渋っていたが、笑顔のピーチに「最後なんですもの、みんなで楽しくやりたいじゃない?」という圧力をかけられては頷くしかなかったようだ。無事に全メンバーが揃うとさすがに壮観で、宿舎で一番広いホールが手狭に感じるほどだった。

 普段は街で暮らすサムスやファルコンも今日ばかりは家には帰らず、宿舎で過ごすことになった。これにはピーチが大はしゃぎで、サムスに「今夜はいっしょに寝ましょうね」と言いながら抱きついている。クールなサムスもさすがにたじたじで、女性同士の華やかな光景は皆の笑いを誘っていた。

「なんか、あっという間でしたよね」

 隅で壁にもたれたロイが、グラスを傾けて誰ともなしに言った。マルスもその横で騒ぐ仲間を眺めながら頷く。確かに、共に初舞台を踏んだあの試合が昨日のことのようだ。

「楽しかったなあ。最近マリオさんに勝てるようになってきたのに、悔しいなあ」
「ロイ君、こんなところで管巻いてていいの? 貴族のきみならパーティなんて慣れているだろうに」
「その言葉、王子にそっくり返して差し上げます。僕はいいんですー、今はゆっくり飲みたい気分だから」
「そう。僕も退散しようか?」
「ホールに出るならマルスもグラスをもらっておいでよ。ついでに僕がつまめそうなものもお願いします」
「はいはい、わかりました」

 顔色こそ変わらないが、既に相当酔いが回っているようだ。いつになく陽気なロイに苦笑しながら、マルスは豪勢な料理が並ぶテーブルへと足を向ける。

 今回はカービィ、ヨッシー、ドンキーの三大食漢対策で避けられがちな立食形式が珍しく採用されている。マスターハンドが最後だからと奮発し、ありったけの食材をかき集めた上に調理までして出してくれているのだ。だが問題の三人が最後だからと遠慮をするはずもなく、マスターハンドの健闘もむなしくテーブルが空になることも度々あった。しかし数秒後には料理が補充され、このテーブルはもはや大食いトリオとマスターハンドの意地の張り合いの場になっている。

 カービィに吸い込まれる前にと、マルスはトレイを片手に素早く料理を確保した。ロイの好物は思い当たらなかったので、適当にバランスよく盛り付けていく。近くを通りがかったファルコンが「王子様手ずからか、相手は誰だ?」とにやにやしながら尋ねてきたが、その相手がロイだとわかるとつまらなそうに去っていった。ファルコンのあの切り替えの早さが、マルスは嫌いではない。
 グラスに白ワインを注ぎ、ついでに水のグラスも二つ用意する。それなりの重さになったトレイを慎重に持って、マルスはロイのところへ戻った。ホール中央の喧騒も、ここまで来ると少しだけ遠のく。

「料理が多すぎて選べなかったよ。自分で見てきた方が早いと思うけど」
「ん、これでいいよ。ありがとう」

 サラダ、肉、魚と並ぶ色とりどりのワンプレートを受け取るなり、ロイは早速プチトマトをつまんで頬張った。フォークを動かすスピードはいつもより速く、どうやらずっと空腹を我慢していたらしい。空きっ腹にアルコールだけを入れれば酔うのも当たり前だ。お節介で持ってきた水を差し出すと、ロイは素直にそれを飲んだ。

「マルスも飲んだら?」
「水を?」
「ちがうよ、そのワインを。で、早く酔っ払ってくれないかな。僕が言いたいこと言えないじゃないか」
「きみも僕に何か言いたいことがあるの?」
「きみも? ってことは、リンクに何か言われた?」

 脈絡なく飛び出したリンクの名前に、マルスは一瞬硬直した。普段のロイであれば見逃してくれなかっただろうが、今は陽気な酔っ払いだ。マルス自身理由がわからない動揺を、彼に気付かれることはなかった。

「うん、小さい方のリンクにね。結局『大きなオレが言うから』って言って黙っちゃったから、肝心なところは聞けなかったけど」
「あぁ、そっちか。あー、そうか、言うつもりなのか」

 ロイは一人でうんうんと頷きながら何やら納得しているようだ。理由を聞いたところで話してはくれないだろうと直感し、マルスは敢えて何も聞かないことにする。その代わりに気になっていたことを、これを期に尋ねてみようと思った。

「あのさ。ロイは大きなリンクと小さなリンク、同じ人間として見てるかい?」

 デミグラスソースのステーキを咀嚼しながら、ロイはじっとマルスを見つめた。言い知れない沈黙が数秒続いただろうか。ステーキをすっかり嚥下して、彼は小さく頷き、言った。

「年齢が違うしまったく一緒だとは言わないけど、どっちも同じリンクだと思ってるよ」
「そうなんだ。小さいリンクもそう言ってたよ、同じだって。僕はずっと、別人だと思って接していたけれど――それはあの子を傷付けていたのかな」
「気にしてないと思うけどなあ。リンクだし」
「ロイはなんで同一人物だって思えたの?確かに似てるけど、並んだらせいぜい兄弟にしか見えないじゃないか。二人いる人間を一人の人間として見るって、難しくないかい?」
「それはマルスが難しく考えすぎなんじゃないのかな。僕はそこまで深く考えてなくて、共通点を見つけて『ああ、どっちも同じリンクなんだなー』って思っただけだしさ。そうそう、共通点多いんだよあの二人。同じ人間だから当たり前だけどさ、兄弟じゃ説明つかないくらいに多い」
「なるほど。参考までに聞きたいのだけれど、ロイが二人のリンクを同一人物だって確信できたきっかけの共通点って、ある?」
「あるよ。でも、マルスには言わない」

 ロイは言いながら、最後に残ったフィッシュフライに齧りついた。既にその目はマルスの方に向いていない。
 この話は、ここでおしまい。穏やかなロイだが、こうと決めた彼が自分を曲げることは滅多にない。言わないといったなら、ロイは言わない。それでも無性に気になって、マルスは駄目で元々と食い下がる。

「僕には言わないって、僕が関係しているから? それとも僕には聞かれたくないから?」
「見え透いた誘導には乗らないよ。気になるなら、リンクに直接訊けばいいじゃないか」

 ロイのつれない返事を聞くなり、マルスは黙り込んだ。ロイの中で確信に至るきっかけとなった共通点を訊いているのに、リンクに直接訊けばいいというのは不自然だ。リンク本人にとっても、同一人物である何よりの証明になるという自覚があるようなことなのだろうか。そうだとすれば、ロイの発言が失言なのかそうでないのかが気になってくる。
 そこまで考えて、マルスは彼が酔っていることを思い出した。普段の用心深く頭の回転も速いロイならいざ知らず、今の彼を見るかぎり深く考えるだけ無駄かもしれない。

「じゃあさ、ロイの言いたいことってなんなの?」
「別に大したことじゃないよ。また会えたらいいね、って言いたかっただけ」
「本当に?」
「本当に。しらふで言い合ったらしんみりしちゃうじゃないか」
「なんだかもう会えないみたいに言うんだね」

 先程からロイは頑なに視線を向けようとしない。一抹の寂しさが過ぎり、マルスの物言いはつい拗ねて子供じみたものになる。対するロイは「まぁ、絶対に会えるとは言えませんよね」と実に淡々としたものだ。

 お互いに沈黙すると、ロイの希望に反してしんみりとした空気が広がった。ホールのあちこちから飛び交う声が明るいのがまだ救いだ。同じ空間、目の前で繰り広げられる宴会風景をどこか遠く感じながら、マルスはグラスを傾ける。話し込んでいる内に、ワインはすっかりぬるくなってしまっていた。

「なんだお前ら。妙にしけたツラしやがって」

 声を掛けられて、マルスとロイがほぼ同時に顔を上げる。見るまでもなく口の悪さでわかってはいたが案の定、そこにいたのはファルコだった。隣には相棒であるフォックスの姿もある。

「珍しいな、一匹足りねぇ」
「リンクのことですか? さぁ、どこで何やってるんでしょうね」

 きょろきょろと辺りを見回すファルコに、ロイが苦笑しながら言った。実際のところ、頻繁に連れ立って行動していたのはマルスとロイがこの世界での生活に慣れるまでの短い期間だったのだが、最初のイメージはやはり強いようだ。

「ロイ、お前の皿からっぽじゃないか。何か取って来ようか?」

 ロイが手にした皿を覗き込んでフォックスが言った。年齢も乱闘歴も先輩である彼をぱしりに使うわけにもいかず、ロイが満腹を主張して全力で遠慮をしている姿がおかしい。フォックスはといえばそんなことを気にする性格ではないため「じゃあその空いた皿片付けておくよ」とロイから皿を取り上げている。その横でファルコがとがったくちばしを更にとがらせて「過保護過ぎだ」とぼやいていた。

 確かに、フォックスの世話好きは時々度を超している。今大会ではリンクのついでか、マルスやロイもフォックスの世話になることが多かった。乱闘の基本など先輩らしいアドバイスももちろんあったが、思い出されるのは「きちんと食べているのか」を皮切りに「昨日はよく眠れたのか」などと身体を気遣われる場面で、フォックスはマルスにとって先輩というよりは兄で、兄というよりはお母さんだ。もちろん、本人に知られたらさすがに怒られそうなので言わない。ファルコが聞いたら羽毛が抜けるまで床を叩いて笑いそうだ。

 マルスはフォックスを一瞥した。この宴会がはじまってすぐ、リンクはフォックスと一緒にいたはずだ。傍にはマリオとサムスもおり、今夜の進行について話し合っているようだったので声を掛けられなかったのだから、間違いない。それから一時間も経っていないのだ、てっきりまだフォックスと一緒にいると思っていたのだが、今見える範囲にリンクの姿はなかった。

「あの、フォックスさんはリンクと一緒ではなかったのですか?」
「ん? リンクなら宴会始まってすぐどっか行ったぞ。お前らのところに行ったんだと思ってたんだが」
「僕もマルスもずっとここにいましたけど、リンクは一度も見ていません。本当に、どこで何をやってるんでしょうね」
「どこで何してようがいいだろ。あいつだってまるっきりガキじゃねぇんだからよ」

 ファルコはそう言ったが、マルスは途端に心許なくなった。この宴会は閉会式で、今夜を限りに閉じるのは大会と、この世界そのものだ。今になってようやくここにいる仲間たちにもう会えないかも知れない、と実感した。足元からじわじわと這い上がる喪失感が、マルスの膝を小刻みに震わせる。ロイが言った『絶対に会えるとは言えない』という言葉が脳裏で不気味に反響する。

「僕、リンクを捜してきます」

 飲みかけのグラスをロイに押し付け、マルスはいかにも落ち着かない早口で言った。おいおい、と呆れた声を上げたのはファルコだ。

「どっか行ってるにしてもそのうち戻ってくるだろ、他のやつらは全員ここにいるんだしよ。お前はあいつを捜すより、なんか食ったほうがいいんじゃねぇか」

「着痩せするだけです、きちんと食べていますので問題ありません。それよりリンクがどこに行ったか、心当たりはありませんか?」
「俺が最後に見たときはホールを出て右に行ったと思ったけど、あっちはステージしかないからな。捜すにしても範囲が広すぎるし、待っていた方が良いと思うぞ」
「すみません。気になるので、少し見てきます」

 フォックスやファルコの制止を振り切って、マルスは足早に扉を目指す。後ろでファルコが「どいつもこいつもリンク相手だと過保護だな」と溜め息交じりにぼやいたが、それを気にしている余裕はなかった。

8

 ホールから一歩出てしまえば、恐ろしいくらいの静寂が薄暗い廊下に満ちていた。明かりがないだけで、見慣れたはずの廊下が牙をむく獣の口腔に思える。ステージに続く道を足早に進み宴会の喧騒が遠のくに従って、胸に湧く焦りも激しくなった。
 終わるのか。

 とっくに理解していると思ったはずの事実が、重石のように心臓を潰す。マリオとルイージがあまりにいつも通りだったから、安心してしまっていた。小さなリンクが不思議な物言いをするから、気を取られてしまっていた。ロイもファルコンもフォックスもファルコも、自由に飲んで食べて、悲壮感などまるでなかったから、明日も会えるのだと心のどこかで信じてしまっていた。けれど、あの宴会は閉会式なのだ。ピーチが明るく言ったように、今日が最後の夜なのだ。マスターハンドがこの閉会をどのように処理するかは知らないが、皆と一緒にいられる時間がもう残り少ないことだけは確かだった。

「リンク、いるの?」

 突き当たりが見える位置まで来て、マルスは声を張り上げた。むなしく暗闇に吸い込まれ、当然のように返事はない。近くに並ぶ扉は控え室だが、明かりは点いておらず鍵がかかっている。ステージへの転送装置は主電源が落とされており、動作していない。

 ここが突き当たりで、転送装置が動いていない以上、リンクがいるはずがない。入れ違いになった可能性もある。ホールに戻った方がいい。頭ではそう考えても、何故か足が動かなかった。何もない行き止まりの壁を見つめ、マルスはその場に立ち尽くす。このまま、リンクに会えないまま、世界が終わってしまったら。心臓が不穏に脈打ち、息苦しさを覚える。どうしようもなく、怖かった。

「何してるんですか?」

 ふいに後ろから声をかけられ、マルスは文字通り飛び上がった。息を詰めて無言のまま飛びのきながら振り返るという彼らしくもない過剰反応に、声を掛けた方も驚いたようだ。白いシャツにからし色のバギーパンツというラフな格好にはまったく見覚えがなかったが、目を丸くしてマルスを見つめる顔は見間違えようもない。

「リンク? こんなところで何をして――」
「それ訊きたいのはオレの方なんですけど。こんなところで物音立てて、不審者が入り込んだのかと思ったじゃないですか」
「ごめん、きみを捜していたんだ。こちらに向かったとフォックスさんに聞いて、それで」

 未だ動揺から立ち直っていないマルスがしどろもどろに答えるのを聞いて、リンクが不思議そうに小首を傾げた。

「確かに一度こっちには来ましたけどだいぶ前の話ですよ、それ。なんでオレを捜してたんです? 会場で問題でもありました?」
「別に問題はないけれど、なんでって、だってリンクがいなかったから」
「あぁ、すみません。すぐ戻るつもりだったんですが、所用で少し長引いて。でもなんでわざわざ皆がいる会場を抜けてまで、オレなんかを捜してたんです?」

 改めて問われて、マルスは思わず口ごもった。もう会えなくなるかと思ったら我知らず駆け出してしまっていた、というのが本音だが、それを口にするのは気恥ずかしい。フォックスやファルコに宥められたにも関わらず飛び出してしまったくらいだ。今更になって自分がどれだけ動揺していたかをまざまざと思い知らされた気分だった。

「もしかして、心配してくれました?」

 明らかに様子がおかしいマルスを不思議そうに見つめていたリンクが、そのままの表情で尋ねる。心配だけではなかった気がするが、間違ってはいない。マルスは小さく頷いた。

「――したよ。だって、もうそんなに時間がないのに」
「それなら皆と一緒にいたほうが良かったんじゃないですか?」

 リンクの言い分ももっともだ。この世界の終わりは、リンクだけでなく他のメンバー全員との別離を意味する。共に闘ってきた仲間との別れを惜しむのなら、フォックスやファルコが勧めた通り、ホールでリンクの帰りを待っているほうがいいという意見も理解できる。あの賑やかさの中にいるのは心地良かったのだから尚更だ。

 ロイとはもっと話したいことがたくさんあった。フォックスにもファルコにも、改めて世話になった礼を言いたかった。ファルコンとサムスの仲を一度からかってみるのも面白そうだと思ったし、口の減らないネスを大人気なくやり込めてみたい気もした。ないと思いたいが再び氷竜神殿に赴くときのため、アイスクライマーには氷山を登るコツを聞いておきたい。ドンキーが絶賛するバナナも味わっておきたいし、最近ようやく懐いてくれたプリンやピカチュウ、それからピチューを思う存分撫で回したい。カービィの吸い込みで口の中に収まっておくのも変わった思い出になるだろう。そういえばヨッシーは結局オスなのかメスなのか、どちらだろうか。性別がわからないのはシークもだ。ピーチはゼルダとともに男子禁制の別棟で寝起きしていたが、ゼルダが変身した姿であるシークのことをピーチがどう解釈していたのかが気になる。気になると言えばクッパとガノンドロフもだ。部下に慕われるクッパも、ガノンドロフの自分にはない野心も、どちらも密かに憧れですらあった。他にもミュウツーの生テレポートや、Mr.ゲーム&ウォッチが上げる声が妙に懐かしく思える理由など、見たいこと、知りたいことは山とある。マリオとルイージの兄弟漫才だって、まだまだ見飽きてなどいないのだ。

 ロイと並んで壁にもたれながら、盛り上がる皆を隅から眺めているだけで途方もなく幸せだった。
 けれどそこにリンクがいないことに気付いてしまったら、いても立ってもいられなかったのだ。皆と最後にしたかったことはたくさんあるけれど、それが叶わなくても構わない、一秒でも早くリンクの顔を見たかった。

 何故そんな気持ちになったのかは、マルス自身にもわからなかった。あの場にいないのはリンクだけだったから、不安な気持ちが必要以上に膨らんでしまったのかもしれない。特に親しい相手だったから、少し特別に思うのかもしれない。

「たとえ皆と一緒にいる時間が短くなっても、リンクといられるなら、それでいいと思ったんだよ」

 頭の中で色々考え、散々悩んだ末に出た言葉が、それだった。なんとも子供じみた発言で、言ったそばからマルスは後悔した。リンクは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、すぐに俯いてしまう。わけのわからないことを言ったせいで怒らせてしまったか、呆れさせてしまったか。マルスは頭を抱えてその場にうずくまった。どうも今日は色々と自制が利かないようだ。呻き声を上げなかっただけ褒めてもらいたい。

「えっ、あの、どうしたんですか? どこか痛むんですか?」
「違うんだ、ごめんへんなことを言って。一杯も飲んでないはずなんだけど、酔ってるのかな、僕」

 この際酔ったせいに出来るならしたいくらいだ。うずくまったまま言い訳を並べ立てるマルスに、リンクが惚けた声を上げた。

「あ、あぁ、なるほど、酔ってるんですね。雰囲気に酔うとか、ありますしね。それなら、仕方ない、ですよね」
「うん、たぶんそう。ごめんね。とにかく、リンクに早く会いたくて」
「ホントですね、酔ってますね。オレもマルスが心配してくれて嬉しいです、ところで立てます?」
「立てます……けど、立ちたくない、です」
「えっ、なんで」
「今、リンクの顔、恥ずかしくて見れない」

 蚊のなくような声でマルスが言えば、それを見下ろすリンクがふいに黙り込んだ。ついに返答も面倒になってしまったかと、絶望的な心境で顔を上げる。そこにリンクの姿はなく、呆れて置いていかれたかと更なる絶望に叩き落されかけた。が、よく見れば少し視線を落としたところで、リンクはマルスと同じようにうずくまっている。肩が小刻みに震えているが、笑っているのか怒っているのか、顔が見えないのでわからない。

「リンク? ごめん、怒った?」
「やっぱマルス酔ってますよね。怒ってるように見えますか、オレ」

 顔を伏せたままのくぐもった声で言われたが、言い方からして怒ってはいないようだ。目の前でおろおろするマルスの気配を察したリンクが、少しだけ顔を上げてちらりと覗かせた目だけをマルスに向ける。暗がりの廊下ではよくわからないが、その目元が少し赤くなっているように見えた。

「あぁもう。なんかこっちまで照れるじゃないですか。オレだって飲んでないし酔ってないのに、なのに、なんでそんな――」
「リンク照れてるの? なんで?」
「知りません、自分の胸に訊いてください」
「顔赤いよ?」
「マルスがへんなこと言うから悪いんですよ!」

 勢いよく顔を上げたリンクと、おろおろと覗き込んでいたマルスの顔が至近距離で見つめ合った。お互いにしばらく硬直し、リンクが一層顔を赤くして、マルスが少し驚いたような真顔でそれを見る。実に奇妙な睨み合いの後、どちらからともなく小さな笑い声がこぼれはじめた。

「リンクっていつも飄々としているから、珍しいものを見た気がするよ」
「オレもです。マルスの世迷言なんて珍しいから、動揺しちゃったじゃないですか」
「そこまで言うかなあ。ちょっと言い方がおかしかったかも知れないけど、別に嘘は言ってないよ」
「はいはいそうですか、ありがとうございます心配してくださって」

 すっかり落ち着いたリンクが、棒読みでマルスの言葉を受け流した。顔色も常の白さに戻っている。少し残念に思いながら、マルスもリンクに倣って立ち上がった。雲で隠れていた月がいつの間にか顔を出して、廊下は先程に比べれば少し明るくなっていた。

「そういえば、リンクは何をしてたの?」
「こっちには転送装置の電源を切りにきました。その後はマスターハンドと世間話をしてたんですけど、それがちょっと長くなって。すみません」
「ううん、無事ならいいんだけど。じゃあ、その――もう戻るかい?」

 歩き出そうとしていた足を止めて、リンクはマルスを振り返った。おどおどと切り出したマルスをじっと見つめる。

「マルスはいいんですか、戻らなくても」
「いや、戻るけど。でもどうせ夜通し続くだろうし、すぐじゃなくても――あ、リンクは始まってすぐにいなくなったから皆と話してないのか。ごめん、急いで戻ろう」

 率先して踵を返したマルスの服を、リンクが咄嗟に掴んで引き止めた。リンクほどラフではないにしろマントも鎧もない軽装のため、触れた手の感触が薄手の布の上から伝わってくる。

「あの、オレも別に、急いで戻りたいわけじゃなくて。明日少しだけならマスターハンドが時間を取ってくれるって言ってましたから、挨拶はその時すればいいですし。だから、その。えっと、もう少し付き合ってくれませんか」
「僕は構わないけれど――どうする、このまま廊下で世間話でもする?」

 本人たちからすると悪くはないプランだが、傍から見れば廊下の暗がりで大の男が二人並んでお喋りというのはやや不気味な光景だ。誰かが捜しに来た時、不必要に驚かせてしまいそうである。
 思案するマルスに、リンクはステージへの転送装置を指差した。

「良ければ、最後に一勝負しませんか」
「えっ、でもステージは閉鎖されているだろう?」

 今朝マスターハンドが閉会を告げてから夕方宴会が始まるまで、ステージは自由に使えるようにと全解放されていた。観客のいない、自分たちが楽しむためだけの乱闘をフルメンバー入り乱れて存分に満喫し、誰もがへとへとになったところでマスターハンドはステージを閉鎖していたはずだ。実際、すぐそこにある転送装置は起動していない。

 しかしリンクは問題ないと首を振った。装置の脇で屈み込み、サークル状の窪みに触れる。彼が慣れた手つきで何やら操作すると、低い起動音とともに窪みから見慣れた光が立ち上った。

「問題なさそうです。システムの消去は明日以降って聞いてますし、今なら使っても大丈夫ですよ」
「すごいね。リンクって機械とかそういうもの、苦手なんだと思ってた」
「苦手といえば苦手ですけどね。マスターハンドはマリオとオレに対して人使いが荒くって。手伝わされてる内に、ある程度は慣れました。それで、どうします?」

 誘うように揺らめく光の横で、リンクがマルスを振り返る。改めて訊かれなくても、答えは決まりきっていた。

「リンクはいいのかい、そんな軽装で。転送装置くぐっても自動装着されるのは武器だけで、服装は変わらないだろう?」
「マルスだって似たようなものじゃないですか、鎧ないですし。えーと、じゃあアイテムはなしで。ステージはオレが選んでいいですか?」
「任せるよ」
「じゃあここで。オッケーです、行きましょうか。防御力ゼロだからって、手加減はしませんよ」
「僕だって。痛いところに刺さったら、ごめんね」

 軽口を叩きあい、二人同時に輪の中へ入る。そういえばどのステージを選んだのかと訊く前に、マルスの身体は馴染んだ浮遊感に包まれていた。

9

 いつの間にか視界は光に飲まれ、隣にいるはずのリンクの姿を見失ってしまっていた。ぱらぱらと解されていく指先で無意識に彼の形を探す。水の中をたゆたうような感覚が、伸ばした腕をも飲み込む。
 ふいに小さな不安が芽生えた。ステージに着いてもし、リンクの姿が見つからなかったら。今まで幾度となく転送装置を利用する中で一度として考えたこともない不安が、マルスに息苦しさを感じさせた。はやる気持ちを抑えつけ、いつの間にか閉じていた瞼をゆっくりと上げる。すっかり霧散した光の向こう、夜空の下には荘厳な雰囲気を持つ白亜の神殿が佇んでいた。

「ステージは『神殿』か。ホームを選ぶとは思わなかったな」
「最後ですし、全力で勝ちにいこうと思いまして」

 マルスの正面、およそ五メートルほど離れたところでリンクが抜き身を引き下げて笑った。おそらく寝巻きであろう服装に、自動装着された立派な鞘が浮いている。さすがのマルスも突っ込もうかと思ったが、己の軽装も大概で人のことは言えそうにない。

 ハイラルの伝統建築をモチーフとしたこの空に浮かぶ〝神殿〟は、リンクには馴染み深いステージだ。異なる世界観、価値観の人間が雑多に集まるこの大会では、自分に馴染んだ環境のステージはそれだけで有利に働く。最後に一勝負と私闘を望んだリンクの性格からして、誰にとっても有利にも不利にも働きにくい〝戦場〟や〝終点〟を選ぶものだと思っていた。

 この〝神殿〟はステージの中でも随一の広さが特徴だ。大人数で追いかけっこを楽しむには向いていても、一対一の試合に最適とは言えない。ランダムで降ってくるアイテムがあるのなら道具の使い方が上手いリンクに分があると言えるが、先程アイテムスイッチは全て切ってしまっている。こうなるとせっかくのホームステージもリンクに恩恵があるとは言えない。
 本気で勝ちを狙うなら、リンクはきっと違うステージを選んだだろう。敢えてこのステージを選んだ理由が、他にあるはずだと思った。

「リンク、どうして神殿なんだい?」

 公式の試合ではないので開始の合図はない。いつでも踏み出せるように構えながら、マルスは尋ねた。

「ここなら、なんでも出来る気がするから」

 人好きする笑みを消し、リンクが鋭い視線をマルスに向けた。剣を握る彼の手に力がこもる。

「要は験担ぎです。勝ちにいくって言ったでしょう」
「それだけ?」
「時間が惜しいので、その話は後で。準備はいいですか」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、リンクはマルス目掛けて走り出した。十分にあったはずの間合いが瞬く間に詰められ、眼前で沈んだ上体から足払いを狙って蹴りが放たれる。咄嗟に避けられないと判断し、マルスはその場で両足を踏ん張った。容赦のない蹴りが直撃した右足首から、鈍痛が全身に迫り上がる。倒れなかったのは偏に開始早々無様な姿を晒したくはないという、なけなしのプライドのおかげだった。

 転ばせられないとわかると、リンクは素早く身を引いた。剣の柄で頭を殴ろうとしていたマルスの動きを警戒しているようだ。再び距離が少し開いたが、間合いとしてはまだ狭い。痛む足を奮い立たせ、マルスも後ろに跳躍する。体勢を立て直すため露骨に逃げたマルスを、リンクは追撃する気はないようだった。最初の奇襲じみた蹴りは、彼なりの宣戦布告でしかないのだろう。

 まずいな。
 小手調べの突撃を受けて、マルスは内心で舌を巻いた。

 正装のリンクは見た目以上の重装備だ。詳しく見たことはないが、確実に着丈の長い鎖帷子を着込んでおり、ブーツにも金属を仕込んでいる。加えて携帯している武器の量もかなり多い。そのため重量級とまではいかないが、彼にはそこそこの重さがあるのだ。

 正式な試合やトレーニングのときであれば、スピードの点でマルスはリンクより優位に立てていた。乱闘を何度も重ねれば当然、それを活かした立ち回りが身についている。
 しかし、今のリンクはいつもの正装ではない。帽子もなく緑衣もなく、ブーツすら普段のものとは違うのだ。おまけに右手の盾もなく、荷物はと言えば背負った鞘くらいのものだった。身を守るものこそないが、身軽さは鎧とマントを外したマルス以上だ。
 マルスが思った以上に、リンクの素早さが増している。十分だと判断した間合いを一瞬で詰められ、一方的な攻撃を甘んじて受けなければならなかったのだから相当だ。いつもと同じ感覚で相手にしていては、先程のように容易く懐に潜り込まれてしまうだろう。距離はいつも以上に気をつけなければいけないし、剣を振るうタイミングも考えなくてはならない。

 こうなると、このステージを選んだのはリンクのお情けであるようにも思えてきた。逃げ場のないステージでは距離を掴めずに狼狽しているところを撃墜されるのが関の山だ。しかし幸いなことに、このステージは逃げの戦法が取りやすい。小競り合いでの様子見も比較的安全に繰り返すことが出来るだろう。だがもしそうだとしたら、マルスとしては面白くない話だった。いつまでも手玉に取られているばかりの新参者ではないのだ。マルスにだって、スマッシュブラザーズの一員としての誇りがある。

「もしかしてステージ選択では気遣わせてしまったのかな?」

 わざと嘲るような口調でリンクを煽った。仏心でハンデをつけたとでも言うのなら、落ち着いているようで意外と短気なリンクの性格を考えれば、高確率で乗ってくるはずだ。
 だがそもそもマルスの皮肉は伝わらなかったようで、リンクは不思議そうに首を傾げている。どうやら舐められているわけではなさそうだ。

「なんの話ですか?」
「いや、なんでもない。今日は随分と俊敏だね、リンク」
「そうですね、その代わり一撃入れればマルスの勝ちですよ」

 わからないなりに、嘲りには嘲りを返すのがリンクらしかった。その一撃が容易く入れられるなら苦労はしない。にじり寄るリンクとの距離を慎重に測りながら、マルスは取るべき戦法を頭の中で組み立てる。逃げに徹して隙を窺い、一撃必殺を狙うのが確実なのはわかっていたが、そんな消極的な闘いをしたくはなかった。

 身軽になったことで、守備力以外にもリンクが失ったものがある。爆弾、ブーメラン、弓矢といった、剣以外の攻撃手段だ。いつものリンクであればその多彩な武器により、短距離から中長距離まであらゆる間合いに対応してくるが、今の彼の武器はマルスと同じく剣一本だ。その点、長らくその戦闘スタイルを貫いてきたマルスの方が慣れた立ち回りを見せられる。隙をつくのならそこしかない。

 マルスが思考を巡らせている間に、リンクが後ろ足を踏み込んだ。段差の多いこのステージでリスクを最小限に正面突破が出来る場所など限られている。仕掛けてくるならここだと予測はしており、彼の常にない素早さも一度見てしまえば考慮出来る。
 再度距離を詰めにきたリンクへの迎撃は、初手の不意打ちをまともに食らったことに比べれば、完璧とまでは言えないにしろ上出来だった。
 繰り出された鋭い突きを、刃の根元で力任せに叩き落とす。手にした剣に引っ張られて揺らいだリンクの胸倉を掴み、下腹部を狙って蹴り上げる。刺しきる前に身を捩ってかわされてしまったが、一瞬動きを止められれば上々だ。このまま力技で地面に引き倒し、喉元に剣を突きつけて――と、そこまで考えたところでマルスもはたと動きを止めた。そういえば、勝敗についての条件をなにも聞いていない。

「どうかしましたか?」

 リンクにとってはこのまま撃墜を狙えるほど大きな隙だったにも関わらず、彼はマルスの顎を狙った拳を止めてまで尋ねてきた。どうやら相当おかしな顔を見せてしまったようだと、マルスは思わず苦笑する。

「ごめん。ルールの確認、してないよね」
「あ。忘れてましたね」

 胸倉をがっちり掴まれたまま、リンクも釣られたように笑った。空気だけは乱闘中とは思えないほどなごんでしまったが、お互いに相手を逃がす気は更々ない。

「トレーニングで入ってるので、時間制限とかストックとか、システム側の干渉はないはずです。そのせいで撃墜数のカウントも動いていませんから、いつもと同じようには出来ませんね」
「じゃあ、わかりやすくルールを決めようか。先に撃墜した方が勝ち、とか」
「それもいいですけど、撃墜だとオレがつい逃げに走りそうです。相手の喉元に剣を突きつけた方の勝ち、とかどうですか」

 確実に相手の息の根を止めに行く、穏やかなようでまったく容赦のないリンクらしい提案だった。

「僕はそれでいいけれど、随分余裕じゃないか。元々このままきみを引き倒してそうするつもりだったから、あと数秒で勝負がついてしまうけど、いいのかい?」
「大人しく倒されてやるとでも? ここは一旦引くに決まってるじゃないですか」
「させるものか。悪いけど顎は殴らせてあげないよ」
「でしょうね。それなら、別の手段を取るまでです」

 そう言ってリンクは右手を差し出した。ちょうどマルスの顔の真横で、黒く丸みを帯びた何かが不穏な音を立てている。餓えた獣の息遣いにも似た音だ。顔にまとわりつく白煙からは、明らかに不自然な熱を感じた。

 爆弾だ。信じ難い気持ちで、マルスは目の前のリンクを見つめた。睫毛が数えられるほどの近い距離で、細められた青い瞳に己の驚愕した表情が映っている。リンクは口の端に笑みさえ浮かべ、ふてぶてしいまでの面構えでマルスを見返した。頭の横に掲げられた爆弾が、いよいよ激しい音を立てはじめる。
 冗談じゃない。飛び出さんばかりに脈打つ心臓を抑えつけ、マルスは遮二無二左腕を振り回した。衝撃を与えれば即座に爆発する可能性については、考慮している余裕がなかった。頭の横にあるこの物体を、なんとかして遠くにやらなければと、考えられたのはそれだけだ。

 肝を揺るがす轟音が、マルスの耳を劈いた。下手に抵抗をしたのが裏目に出たのか、そもそも時間切れだったのかはわからないが、無情にも爆風はマルスの全身を、そしてリンクをも巻き込んで火の粉を散らす。決して離すまいとした胸倉を掴む手も、押し寄せる灼熱の前では握り続けることが出来なかった。

「馬鹿な」

 肺の中にまで立ち込める噴煙に噎せながら、マルスは珍しく悪態を吐いた。左半身に負った火傷を庇いながら、煙が深い内にと後ずさる。爆発のどさくさに紛れてリンクを逃がしてしまったが、彼とて決して無傷ではないだろう。確かめもせずに剣以外の攻撃手段を持っていないはずだと決め付けた己の愚考が忌わしい。

「まさかサブウェポンも自動装着の対象とはね。ないと思って油断したよ。ブーメランと弓も、どうせ持っているんだろう?」

 立ち込めた噴煙は未だ晴れず、リンクの姿も見失ったままだ。慎重に気配を探りながら、一か八かの賭けに出たマルスは、煙の向こうへと語りかけた。

「いえ、爆弾だけですよ。さすがにこの服じゃ三つも四つも隠せませんから」
「まるで信用出来ないな」

 白々しい言い分を、マルスは鼻で笑って切り捨てた。張り上げたわけでもないマルスの声を正確に拾っていることから、リンクとの距離は近くはないがそこまで離れていないようだ。相手に剣以外の攻撃手段があると判明した以上、闇雲に距離を取り過ぎても足元をすくわれる。

 後退するか、それとも前進するか。どちらにも同じくらいのリスクがあるのなら、選ぶ道は決まっていた。剣を握る手に力を込めて、マルスは厚い煙霧の中を駆け出した。狭い視界の右端に人影を捉えるなり、それに躊躇なく切りかかる。一旦引き、態勢を整えるのが目的だというのなら、改めてその隙を潰していくだけだ。

 剣の風圧で、その場に漂っていた煙が僅かに晴れる。その合間に、リンクの悔しげな顔が覗いた。歯を食いしばり、マルスが振り下ろした刀身を受け止めている。青白く血管が浮き出た右手に握られているのは、彼が愛用しているブーメランだった。

「うそつき」

 マルスがにっこりと微笑むと、リンクもぎこちなく唇を歪めた。闇討ち、不意打ち、騙しあいで魔物と渡り合ってきたリンクだが、対人戦となると根が実直であるため責められればこうして揺らぐ。性分だからと開き直ればいいものを、いちいち真に受けて狼狽するところが危なっかしいが、それ以上に憎めない愛嬌を感じさせるのは彼の人徳だろう。

 気まずそうなリンクの顔は見ていて飽きないが、だからといって手心を加えてやるつもりはまったくない。左手の剣が繰り出される前に、盾代わりに使われているブーメランを叩き落とす。咄嗟に出した右手には上手く力が入らないようで、フェイントを使うまでもなく、ブーメランはリンクの手から滑り落ちた。多少の隙は覚悟の上で、落ちたそれを足で遠くに蹴り飛ばす。早々に右手を諦めていたリンクの鋭い切り上げが、間髪入れずにマルスを襲った。

 軽く受け流すには、リンクの剣筋は重すぎる。辛うじて受け止めたものの、鍔迫り合いでマルスが不利なのは今も昔も変わらない。多少のダメージは仕方がないと諦め、素直に押し負ける。これを期に切り込んでくるようならカウンターの餌食にするつもりだったのだが、あいにくリンクはそこまで迂闊な性格ではない。こと引き際に関してはマルスの一枚も二枚も上手だ。

「リンクを誘うのは難しいな」
「食われるのがわかってて、ついてくのはバカですよね」
「それは紳士的に振る舞えば油断してくれるってことかな」
「獣が紳士を装ったところで滑稽なだけですよ」
「ひどい言われようだ」

 軽口の応酬で、マルスは思わず吹き出した。どちらかといえば寡黙なリンクが饒舌になるとき、その背景には決まって口が達者な少年の姿が過ぎる。言葉遊びの上手さにかけては他の追随を許さないあの少年を先生にしているのだ、リンクの皮肉も堂に入ったものである。

「だけど今は、言葉で勝敗が決まるわけではないからね。そろそろ本戦に戻ろうか」

 少し開いた間合いをマルスが一歩踏み込んだ。得意の刃先を掠めるような剣戟を警戒し、リンクも剣を構え直して迎撃に備える。だがマルスは得物を握る手に力すら入れず、一歩、また一歩と間合いを詰めた。自分も剣が振るえないほどの距離にまで。

「え?」

 さすがのリンクも動揺したようだ。掴みかかるつもりにしては手の位置が不自然で、その可能性を消してしまうとマルスが次の瞬間どう出るつもりなのかまったく予想がつかない。迷っている彼の思考の隙間を縫うように、マルスは躊躇いもなく、左足でリンクの横腹を蹴り上げた。
 マルスが剣以外での攻撃に出ることは滅多にない。それこそ掴んだ相手に膝蹴りをかます時くらいだ。彼が肉弾戦に慣れていないことは周知の事実だが、慣れていないとはいえ日頃から鍛えている男性の蹴りは、素人のそれとはわけが違う。不意打ちで思いきり叩き込まれれば、いかに筋力で勝るリンクでもよろめいてしまう。

 呻くリンクの利き腕を、マルスがエスコートでもするかのように軽く引いた。手遊び程度の護身術でも、相手のバランスがここまで崩れていれば引き倒すくらいなら容易いものだ。うつ伏せに倒れた彼が態勢を立て直す前に、すかさず膝で右手を封じる。また爆弾で逃げられるのはいただけない。

「――っ、肉体言語とはまた、あなたらしくもないですね」
「きみも僕もこんな格好で、らしくも何もないだろう?」

 マルスは肩を竦めながら更に体重をかけようとしたが、それよりもリンクが身を翻す方が早かった。技術も何もない強引さで横に転がり、背中に圧し掛かるマルスから逃れる。完全に封じられていた右手は、折れても千切れても構わないとでもいうようだ。

 しかし、そのまま逃がしてやれるほどマルスは甘くもなかったし、余裕もなかった。仰向けで半ば上体を起こしたリンクの喉元に、すかさず神剣の切っ先を突きつける。リンクに覆いかぶさるようにして、剣をかざしたマルスが笑った。リンクもまた、緊張しきっていた表情を緩ませて、全身の力を抜いた。

「――懐かしいですね、この景色。あの時も、こんな感じであなたを見上げてましたっけ」

 リンクがいう『あの時』を、ちょうどマルスも思い出していた。

 追い詰めたと思った相手に、逆に追い詰められていた終了間際の攻防が鮮明に脳裏を過ぎる。今と同じように、マルスは泥仕合の末、仰向けに引き倒したリンクを見下ろしていた。下から見上げてくる鋭い目と、喉元を狙った冷たい剣先。己の手は剣を握ってすらいなかった。あと一秒試合終了のホイッスルが遅かったなら、確実に場外へと吹き飛ばされていただろう。あの時と違うのは、剣の切っ先が向く方向だけだ。

「オレの負けです」

 リンクが降参とばかりに両手を挙げた。マルスも突きつけた剣を引く。ただ、剣は鞘にもしまわずに側へ置き、リンクの上から動かない。下敷きにされたリンクが重いですよとぼやいても、マルスは曖昧に笑ってごまかした。

「はぁ。敗者が虐げられるのは仕方ないですね、諦めましょう」
「験まで担いだのに、残念だったね」
「まったくです。でも正直、少しホッとしてます。これで良かったんですよ」

 マルスは驚きに見開いた目をリンクに向けた。こんなにも言い訳じみた負け惜しみなど、泥仕合に走るマルスより余程らしくもない。何も言わずともマルスが言いたいことは伝わったようで、リンクは苦笑いをしながら顔の前で軽く手を振った。

「負けたのは良くないです。次は絶対に勝ちます、悔しいので」
「じゃあ、何が良かったの?」

 尋ねると、リンクは唇を一文字に引き結んだ。だが黙秘を決め込んだところで圧し掛かるマルスが逃がしてくれるはずもないと思い当たったようだ。散々視線を迷わせた挙句、彼は無防備に目を閉じた。

「勝ったら、言おうと思ってたことがあるんです」
「僕に?」
「あなたに。そのために、このステージを選びました」

 閉じていた目を億劫そうにうっすらと開き、リンクはマルスの方を見ないまま顔を横に向けた。その仕草と声音でわかってしまうのが、物悲しかった。リンクはもう、マルスがどれだけ言い募ってもそれを告げることはないだろう。

「ねえ、それってさ。小さなきみが言いかけたことと、同じ?」
「そうですね。同じことです」
「言うつもり、ないんだね」
「負けましたから」
「僕が勝ったんだから、教えてほしいっていうのは?」
「勝者への報酬は下敷きになってるオレで十分じゃないですか」
「退いたら教えてくれる?」
「もう支払い済みなので、だめです」

 にべもない。わかっていても、顔を逸らされたまま逃げられるのはなかなか堪えるものがあった。

「もしかしてそれ、ロイは知ってる?」

 軽い揺さぶりのつもりでかけた言葉だったが、思いがけず正鵠を得たようだ。逸らされたリンクの横顔が硬直し、瞳が不安げに揺れるのをマルスは確かに見ていた。リンクは横目でマルスを一瞥すると、小さく溜息を吐きながら、頷いた。

 酒を勧めて酔わせてまで言いたかったことが「また会えたらいいね」という再会への希望だったというロイの言葉を、マルスはそもそも信じてなどいなかった。きっと他に何か言うべきことがあり、あのときの話の流れからしてリンクが関係していることは間違いない。そこまで繋がれば後は簡単なもので、二人のリンクが飲み込んでしまった言葉そのものか、もしくはそれに関係するようなことを、あの時のロイはマルスに伝えようとしたのだろう。

「ひどいな。僕だけ仲間はずれか」
「いえ、むしろ輪の中心にいますけどね、オレ視点だと」
「外に一人いるのと中に一人いるのは、当人からすれば一人であるという点でなんら違いはないよ」
「やけに突っかかるじゃないですか。マルスにとっては大したことじゃないかも知れませんよ」
「きみがわざわざ験を担いで、剣に懸けるほどのことだろう?それだけで十分、僕にとっても大したことだ。だからこうして食い下がっているのだしさ」
「オレが喋らなかったらロイを締め上げかねない勢いですね」
「そうしたいのは山々だけどね、二人を敵に回す覚悟はないよ。だからこうして、リンクの口が自発的に開くのを待っているんじゃないか」

 そう言って、マルスはぐっと体重をかけた。下敷きにされた身体がみしみしと鈍い音を立てるが、おかまいなしだ。リンクは眉間に皺を寄せてマルスを睨んだが、わざと作った気難しい表情は二秒ともたず、遂には笑いながら地面を叩いて降参した。

「オレの腹と腰を潰す気ですか。いい加減退いてくださいよ、いつか必ず言いますから」
「いつか、ね。そうやってリンクはすぐにはぐらかすから」

 やっと向けられた笑顔に笑い返し、マルスは文句を言いながらも大人しくリンクの上から退いた。そのまま隣に横たわって手足を伸ばす。そびえる白亜の向こう側で、夜闇に瞬く星が眩しいほどだった。
 マルスの横で、リンクが身じろいだ。その拍子に軽く触れ合った指先を、どちらも離そうとはしなかった。そのまま並んで寝転び、二人で頭上の星空を眺める。遥かを駆ける風の音と、遠く聞こえる夜鳥の声が耳に心地よい。明日も明後日もずっと、この夜が訪れたなら。澄み切った空気が闘いでの昂ぶりを優しく撫でるけれど、どこか落ち着けないのは、これでこの情景も見納めだと知ってしまっているからだろうか。

「約束だからね。必ず言うって、リンクが言ったんだからね」

 こぼれ落ちた言葉は必死で、それなのに弱々しく、まるで子供が慣れないわがままを言いながら縋っているかのようだった。言ったマルス自身情けないと思ったほどだが、リンクは笑ったりからかったりといったことはしなかった。夜空に目を向けたまま、リンクがそっと囁いた。

「はい。いつかまた、このステージで会えた時に、必ず」

 明日には閉じてしまうこの世界の、この場所で、もしも再会出来たなら。
 暗に決して言うつもりはないと、そう受け取ってもおかしくはない状況で、それでもマルスは素直にリンクを信じられた。少なくともマルスが知る限り、彼が約束を違えたことはない。いつかこの場所で会うときに、彼は必ずこの約束を果たしてくれることだろう。

「会えるかな」

 マルスは不安げに呟いた。リンクを疑ってなどいない。それでも「いつか」が永劫にやって来ない、そんな未来を拭いきれなかった。二回目があったからといって、三回目に続くとは限らない。続いたとして、その場に自分が立てる保証などどこにもない。考えれば考えるほど、交わした約束の脆さが浮き彫りになる。

「会えますよ。大丈夫」

 穏やかに、けれど力強く、断言するリンクの声が空に溶ける。ずっと触れ合った指先が、小さいけれど確かな熱を共有している。どちらの体温ともわからない温かさが、リンクの言葉を後押しする。大丈夫、きっとまた会えるから、と。

 握手をするように握り合えば、何の憂いもなくなりそうだと思った。マルスがリンクを信頼するように、見えない未来の明るさを、無条件に信じられる気さえした。それでも偶然に触れた指先を、それ以上に絡ませることはマルスもリンクもしなかった。たぶんどちらも、出来なかった。

「オレだって、負けっぱなしは悔しいですから。会えないと困るんです」
「リンクにそう言われると、くすぐったいね」
「――マルスって時々オレを子供扱いしますよね。いいですよ、次に会うときまでに鍛えて強くなって、ファルコン並みのムキムキになって、ついでに身長だって抜かしてやりますから。マルスは意外と薄情だから、そうなったらオレのことなんてわかんないでしょうけど」
「どんなになっても、リンクはリンクだろう? 間違えないよ」

 むきになって言い募るリンクを、マルスは軽やかに笑い飛ばした。自分より長身で筋肉隆々のリンクなど確かに想像出来ないが、それでも間違えたりはしない。出来れば今と変わらずにいてほしいが、今触れている指先が二回りほどごつくなったところで、彼に抱いている友情が変わるとも思えない。

 軽口に返した軽口に過ぎないのに、何故かリンクの返答はなかった。不自然な沈黙に、マルスは何気なく横を見て、そしてすぐに視線を逸らした。見てしまったことを悟られてはいけない。本能の更に向こう側で、警鐘が鳴る。
 一瞥したリンクは夜空を見つめたまま、眉尻を下げ、何かを堪えるようにきつく唇を結んでいた。夜闇を映して深みを増した青い瞳が、小石を投じられた水面の如く揺れていたのは気のせいではないだろう。うっすらと紅潮した頬も、見間違いではないだろう。

 理由を問いたかった。何を思ってそのような顔をするのか、訊けるものなら訊きたかった。それが出来ずにただ空に顔を向け、マルスは固く目を閉じる。心臓が意味もなく早鐘を打ちはじめる。隣のリンクにまで聞こえてしまうのではないかと思うと、より一層昂ぶっていく。

 微かにリンクが、何事かを呟いた。伝えたいけれど、聞かれたくないとでもいうように。風の音も鳥の声も、遮るものは何もない中で、隣にいるマルスの耳にまったく聞こえないくらいの、か細い声で。

 マルスは聞き返さなかった。代わりに少しだけ、触れ合った指先に力を込めた。星がぱちぱちと二回瞬くほどの間を挟んで、リンクの指先が動き、マルスの強張りを宥めるようにそっと撫でた。

 また会えると信じていたから、その時はそれで十分だった。

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