夜明け:1180年 天馬の節
今が冬だということを忘れそうなくらい、寝台の上は暖かかった。掛布の中にこもる熱は未だしっとりと濡れ、同じ枕を分け合って向かい合わせで横たわる二人の肢体を覆っている。ぬくもりが連れてくる微睡みを今ばかりは振り払いながら、リンハルトは文字通り目と鼻の先にある、瞼を下ろして微動だにしないベレトの顔をじっと見つめた。
薄暗い室内には時折、微かにパチパチと小さく弾ける音が響いている。蝋燭の木芯が燃えていく音だ。寝台脇の棚の上に置かれた手燭からのその音は、野営で起こす焚火の音を思い出させる。戦いが苦手なリンハルトは野営や夜番につきものである焚火の音も戦いに結びつけてしまっていたのだが、そのうっすらとした苦手意識が上から塗り変えられていくような気がした。芯も残りわずかとなったささやかな灯火に照らされたベレトの顔は、こうして暗がりで見るといっそう作り物めいている。
ベレトの目元を隠す乱れた髪の一房を、リンハルトはそっと手に取った。つい先程、熱に浮かされながら触れた時には「欲しいなら後でいくらでもやるから」と揶揄われたことを思い出す。いつもよりゆっくりと囁く低い声が耳の奥で蘇り、手にした髪の毛にあるはずもない熱を感じた。ようやく落ち着いてきたはずの余韻が身体の奥でまた燻りだしたのをごまかすように、リンハルトは手にした髪をそっと彼の耳にかけて手を放す。そうしている間も、ベレトは目を閉じたままだ。口や鼻、それからむき出しの肩などを間近で注意深く観察しても、呼吸の気配が感じられない。だが不思議と、そこに『死』を連想させるものはなかった。リンハルトがその顔を作り物めいていると評した通り、目を閉じたベレトは人形のようだった。人形は生きていない。だから死なないし、特段に死の印象も与えない。なるほど、道理ではある。
そんなとりとめのないことを考えながら、リンハルトは淡い色をしたその髪を一房、また一房と悪戯に掬いあげた。毛先はさらさらと乾いているが、根元に近づくにつれしっとりと潤っている。その理由に思い当たるとどうにも気恥ずかしい気分になったが、羞恥は彼に触れたい気持ちを上回りはしなかった。
乱れた前髪がリンハルトの手によってすっかり整えられてしまっても、ベレトは目を開けない。一見深く寝入っている彼が、その実覚醒していることにリンハルトは気付いている。リンハルトの指先がベレトの肌を掠める度に、ほんの一瞬睫毛の先が震えるのだ。それに未だ傭兵時代の習性が抜けきらない彼が、他者の気配が色濃い寝台で熟睡できるわけがないことくらい、少し考えれば誰でもわかる。ベレトがどうして頑なに空寝を貫くのか、その真意まではリンハルトにもわからないが、こうして好きにさせてもらえるのならこの時間も悪くない。
翠髪に包まれた頭の輪郭をなぞる手を耳の後ろへ、それから首筋へと滑らせる。素肌はうっすらと汗ばんでいて、手のひらで触れればやわらかく吸いついてきた。髪の毛に感じた潤いとは比較にならない生々しさが、触れた手のひらを伝って熱に変わり、背筋を駆け上って脳を焦がす。おもわず「先生」と動かしたつもりの口からは、上擦った吐息しか出なかった。
ベレトが着ていた純白の外衣は一度床に脱ぎ捨てられ、すっかり冷え切った頃に拾い上げられて、今はリンハルトに着せられている。「身体を冷やしてしまうから」と言ってリンハルトを着替えさせたベレトは優しい教師の顔をしていたが、気怠い身体を満足に動かすことも出来ずにされるがままの自分は決して生徒の顔ではなかっただろう。まだ鮮明な記憶が脳裏を過り、ついでのようにその時二人の間にあった声を、息遣いを、湿度を連れてくる。明瞭過ぎる感覚が頭の芯をまた蕩けさせそうで、リンハルトはぞわりと震える身体を竦ませた。咄嗟に襟元にうずめた鼻先でベレトの匂いを感じてしまい追い詰められた気分になったが、全裸に近い彼がすぐ目の前にいるこの状況に、そもそも逃げ場など存在しない。リンハルトを気遣って自分の外衣を譲り渡したベレトは、今も何も着ていなかった。さすがに下穿きくらいは身に着けているだろうが、少なくとも隣で横たわるリンハルトの視界に入るベレトの身体は、どこもかしこも惜しげもなく曝されている。
「……せんせい」
今度は辛うじて声は出たが、発したリンハルト自身が驚くほどその声音は甘ったるい。掠れた小さな声は声変わり前の子供そのものの舌足らずさで、まだ自分はこんな声が出せるのかと他人事のように感心してしまう。
リンハルトの呼びかけにも、ベレトは目を開けなかった。なにを意固地になっているのか知らないが、どうやら夜明けまで空寝を続けるつもりらしい。腹の熱を思うさま吐き出して、もう心まで冷めきってしまったのだろうか。それとも、自分は彼にとって期待外れだったのだろうか。そんな不穏な考えがリンハルトの中で一瞬湧いて、すぐに消えた。もしそうなら、ベレトの片腕が今もリンハルトの腰を抱き寄せている理由に説明がつかない。逃がさない、離してやれないとの言葉通りの力強さに、つまらない不安が太刀打ちできるはずもなかった。
リンハルトが手遊びに整えたベレトの前髪は重力に従って耳から落ち、はらりはらりと再度彼の目元を覆いつつある。その一束を指に絡ませ遊ばせながら、リンハルトは閉ざされたままの瞼を見つめる。
「……先生、寝てますよね。だから僕が何を言っても、聞いてませんよね?」
言外にそのまま空寝を続けてくれと含ませて、リンハルトはベレトの髪を撫でつけた。
大樹の節に初めて彼と出会ってから一年弱もの間、リンハルトの心の一部をずっとしこりのような感情が占拠していた。確かにあるのに色も形もよくわからなかったそれは、寝台の熱に融かされたのか固体が液体に、液体が気体になるように昇華して、今はリンハルトの内側を満たしている。色も形も更にわからなくなってしまったその想いを吐き出して、ベレトに聞いて欲しかった。同じくらいに、自分の中だけで大切にあたためていたかった。そんな相反する欲求をぶつける先として、今のベレトはたいそう都合が良かったのだ。
来節の卒業式を迎えると同時に、リンハルトの『猶予期間』は終わってしまう。アドラステア帝国へ戻ったが最後、変事でもない限りもう二度とガルグ=マク大修道院を訪れることはないだろう。傭兵上がりの臨時教師である彼の今後が教団上層部でどのように裁定されたかは知らないが、教師を続けるにしろ傭兵に戻るにしろ、リンハルトとベレトの路は卒業を契機に分かたれて、恐らく二度と交わることはない。彼の「機会を作るなら生徒と教師でいられる今しかない」という弁は、倫理的な是非をさておけばまったく正しい。
「正直に言うと、先生がどうしてこんなことをしたがるのか、僕はわかりませんでした。今はちゃんとわかってますよ、先生は思い出が欲しいんだって。来節には会えなくなってしまうから、僕を惜しんでくれたんですよね」
褥を共にして肌を重ねて、それが何になるのだろう。ほんの数刻前まで、リンハルトは本気でそう思っていた。単なる知識として、生殖を目的としない交合の存在自体は知っている。市井において『愛し合う』といえば時に交合を密かに指し示す隠語であり、そのような言葉が選ばれるくらいに愛情表現の一種であると広く認知されていることも。だがリンハルトにとって、交合の主目的はどこまでも生殖である。茶会や遠乗りといった他者との交流と並び立つものではなく、ましてや子を成す可能性が微塵も存在しない同性との行為など、訓練用の重しや狩猟用の短剣と同じ価値しか見い出せない。誰かにとってどれほど大切な営みであっても、自分には不要なものだ。
その認識自体は、今も変わっていない。愛情を確かめ合う手段なら他により手軽なものが山程あるし、それで十分に幸せだ。吐精に伴う快感は確かに他では得難いが、知識欲が赴くまま謎を解き明かした瞬間に脳裏で弾ける絶頂には及ばない。上位互換の代替手段がある以上、わざわざ危険と面倒が伴う行為に耽る必要はなかった。そんな冷めた認識を持つリンハルトが逃げるどころか腕を広げてベレトを迎え入れたのは、彼を知りたい、彼に喜んでほしい、そんな相手と自分との関係を想う一心だった。押し付けられた義務感からではなく、心の底から共寝を望んだ。無欲な彼が自分を欲しがってくれるのなら、どれだけでもあげたいと思った。
赤子をあやす大人は、時として自ら進んで道化になる。我が子に笑ってほしい一心で乳母車におどけた顔を向ける親をリンハルトも見たことがあるが、今まで考えもしなかった彼らの気持ちが今なら少しだけ理解できる気がした。彼らはおどけるのが好きなわけではなく、そうすることで引き出される笑顔が好きなのだ。目の前にいる愛しい者にただ笑っていて欲しいから、恥も外聞もなく道化の真似事すら厭わない。それは今のリンハルトが知る中で、もっとも無垢な愛だった。ベレトに向かって伸ばした自分の手も、それと同じだと思いたかった。
「……僕はちゃんと、先生の思い出になれましたか? 気持ちいいって、幸せだって感じてくれましたか? 僕の顔や声や体温を、先生はいつまで憶えていてくれますか?」
散々指に絡ませて緩く癖づいた髪の一束を、ベレトの耳に掛け直す。手遊びの合間に溢れた言葉は問い掛けの体を成していたが、リンハルトは答えを求めてはいなかった。ベレトの口がうっすらと開かれようとするのを見るなり先んじて、閉じた瞼の上に自分の唇を押し付ける。それだけで起きているのはわかっているが眠っていてほしいというリンハルトの複雑な心中を察したわけではないだろうが、ベレトは結局何も言わずに口を噤んだ。静かに唇が引き結ばれる気配と共に、リンハルトの腰に回った彼の片腕が微かに強張った。
こうして無理やり相手の口を塞いでいる時点でわかりきった話だが、自分の中に満ちるベレトへの感情が綺麗なものではないことを、リンハルトは痛いくらいに自覚している。これは我が子のために道化を演じる親のような、無垢な愛にはなり得ない。心の何処かで「そうだったら良かったのにね」と囁く声はリンハルトと同じ声をしていたが、素直に頷く気にはなれなかった。確かに、この想いがもっと澄み切って清らかなものだったなら、こうして彼の目と口を塞いで一方的な言葉を投げかけるような真似をせずに済んだだろう。これから言おうとしている、ベレトを凄まじい後悔で苛む言葉だって、彼を想ってそっと胸に沈められたかもしれない。けれどリンハルトはどうしても、嘘をつくことが出来なかった。ベレトにも、そして何より自分にも。
閉じた瞼に緩く落とした唇はそのままに、リンハルトは気怠さの残る腕を持ち上げて、ベレトの頭をそっと抱いた。後ろ髪を指に絡ませて梳きながら、浮かんだ言葉をぽつりぽつりと吐き出していく。
「僕は紋章学が好きです。当たり前みたいに世界の機構に組み込まれているのに、その全容は杳と知れない。自然発生したものか、何らかの作為や人的関与があったものか、それすらわかっていないんです。その得体の知れなさに、幼い頃から惹かれてやみませんでした。他と異なるもの、未知のもの、説明がつかないものが徹底して忌避される貴族社会で、明らかに異物で未知の要素が多い紋章が、ろくな説明もないまま何より重要視されているという矛盾が、僕には面白くて仕方ないんですよ」
自分の耳で聞いていてもあまりに脈絡のない話で、リンハルトの口から自然と笑い声が溢れた。ベレトは望んだ通りの無反応を貫いてくれているが、内心では「一体何を聞かされているんだ」とさぞかし困惑していることだろう。髪を梳いて遊ぶ手は止めないまま、リンハルトは言葉を続ける6。
「紋章の研究は面倒なこともたくさんありますが、僕にとっては面倒以上の価値があったんです。紋章学者になりたいと言ったのも本気でした。……でも、家族や家や領地や国、全てを捨てる面倒には及ばなかった。貴方に指摘された通りです。僕は好きに研究を続けられる途轍もなく面倒な道と、自由はなくつまらないけれどあまり面倒ではない道の叉路に立って、後者を選ぼうとしていました。自分がどれだけ恵まれた環境にいるか、これでも知っていますから。出奔して独りで労働に励み糊口をしのぐなんて高度な真似が、自分に出来ると思うほど自惚れてはいません。ここでドロテアやレオニーと話して痛感しました。僕の本気は、その程度のものだって」
でも、と続く言葉を一旦飲み込んで、リンハルトはベレトの瞼から唇を離すと彼の頭を胸にそっと抱き直した。さらさらとした髪の中に顔をうずめて、陽だまりを思わせるベレトの匂いを深々と胸一杯に吸いこむ。鼻先を擦り寄せればわけもなく胸がぎゅっと詰まり、彼を抱く腕に力が入った。
「でも、僕はもう知ってしまったんですよ。紋章学でも敵わなかった途轍もない面倒すら苦にならないくらい魅力的な、貴方のことを。先生、知ってますか。記憶って不可逆なんです。人は一度知ってしまったら、知らなかった頃には戻れません。忘れたとしても、知ったという事実までもがなくなるわけじゃない。だから人は思い出でしばらく生きられるし、辛い体験がいつまでも心身を蝕んだりもするんです。先生はどうですか。今日の僕との思い出は貴方が生きるこれからに、どこまで連れて行ってもらえますか?」
この期に及んでも、リンハルトはベレトの返答を求めてなどいなかった。頭を抱いた手を下の方へと滑らせて、あたたかく脈打つ首筋に指先を這わせる。腕の中の身体がびくりと一度跳ねて静まった後、ベレトは何か言いたげに身じろいだ。それすら聞く気がないリンハルトは、近くにあった丸い耳をおもむろに甘く食んで、ベレトのささやかな抵抗を黙殺する。
「……貴方はとても優しいから、この思い出をきっと大事にしてくれるでしょう。でもそれは永遠じゃない。さっき記憶は不可逆だと言いましたが、風化や上書きで変質することはあり得ます。貴方が望んでくれたこととはいえ、たった一夜の思い出がずっと先生の傍にいられるとは思いません。だから先生の中の僕の居場所は、何もしなければ遠からずなくなってしまいます」
リンハルトは滔々と語りながら、濡れてしまったベレトの耳を、引き寄せた掛布でそっと拭った。意図せず耳の裏に触れてしまった指先に、思いがけない熱さを感じる。この暗がりでは判然としないが、耳朶までほんのり赤く色づいているようだった。ベレトは表情こそ豊かになったが、その顔色は依然として鉄壁だ。それを崩せたかもしれないと思うと、リンハルトの胸に名状しがたい優越感が湧き起こる。だがその歓喜は話の続きを頭の中に見つけてしまった瞬間、しゅんと萎んで消えてしまった。胸に穴が空いて寒風が吹きすさぶ錯覚を覚える。ひりついた喉から絞り出す言葉は、小さく掠れて上擦った。
「いつか僕を忘れた頃に、貴方は僕の知らない誰かと、僕としたように抱き合うんですかね。……嫌ですよ、そんなの。絶対に嫌です。だって貴方が教えてくれたんですよ、貴方のことも僕のことも、僕が知らなかったことを、たった一晩でこんなにたくさん。もう昨日までの僕には戻れません。先生は知ってますよね、僕が知識欲に溺れがちなこと。思い出一つでいつまでも大人しくしていられるほど清貧な人間じゃないって、わかってますよね」
苦しさを思いつくまま吐き出していくリンハルトは、こんなことなら知りたくなかった、とは言わなかった。嘘ではないが本心でもなく、口にしてしまえばきっと酷い誤解が生じて彼を傷つけることがわかりきっている。
リンハルトの腕の中で、ベレトが咎めるように首を振った。背に回された手も服越しの肌に爪を立て、無言の抗議を伝えてくる。それでも足りないと思ったのか、顔を上げて目を合わせ、口を開こうとする気配を間近で感じた。
リンハルトは咄嗟にベレトを抱く腕に力を込めた。自分の非力さで彼の動きを封じられるなどと夢見てはいないが、彼を抱え込んでいるこの体勢なら少しくらいは優位を取れるかもしれない。ベレトの頭を自分の胸にきつく押し抱いて、何か言いかけた口を物理的に塞ぐ。突然呼吸を奪われて驚いたらしいベレトが上げるくぐもったうめき声が、リンハルトの胸に直接響いた。背中の手は今や服を引っ掴んで、より強い抗議の意を示している。
「だめです。聞きませんよ」
前から後ろからの声なき抗議をぴしゃりと跳ね除けて、リンハルトは首を振った。本当に伝えたくて聞かれたくない話は、ここからだ。リンハルトは抱きしめたベレトの髪の中に再び顔をうずめると、そっと頬を擦り寄せて目を閉じた。
「……先生、僕は卒業したら父と話して爵位の継承権を放棄してきます。これまでとこれからの親不孝に、僕なりにちゃんと向き合ってみます。納得してもらえることは、ないと思いますけど……せめて先生が不必要に心を痛めなくても済むように、最低限は頑張るつもりです」
リンハルトが言葉を紡ぐ毎に、ベレトの抵抗は弱まっていった。彼の苦しげな吐息が、リンハルトの胸元の服を湿らせる。背中に回された手は力なく、もはや縋るように添えられているだけだ。
自分は存外独占欲が強いのかもしれない、とリンハルトは思った。ベレトは思い出を胸に一人で強く生きていけるだろうが、自分はどうかと考えるとまるで自信がない。それどころか、ベレトの隣に自分との思い出が居座ることすら許せそうにない狭量さだ。惚れた弱みなどという手垢の付いた俗語が過ぎり、おもわず苦笑いが口の端からこぼれ落ちる。
好きだの愛しているだの、そういった言葉は熱に浮かされた最中でさえ、一片たりとも二人の口をつくことはなかった。言うまでもなくわかりきった情念を形にしないことが、無言で示し合わせた最後の予防線だったのだ。
「ね、先生、信じてください。僕、頑張ってみますから。頑張って、ちゃんと貴方のところに戻ってきますから」
そしてこの約束が果たされたその時は、ベレトが押し殺して胸に沈めたその気持ちを、どうか言葉にして聞かせてほしい。
心の中でそう強く願いながら、掻き抱いたベレトの髪を撫でつける。さらさらとした髪の感触を手のひらで感じながら、リンハルトは口を緩く開いては閉じ、開いては閉じを繰り返した。心臓の鼓動が速度を増して、狭くなった喉を駆ける息がひゅうと鳴く。たった一言二言を告げるだけなのに、こんなにも緊張するのは生まれて初めてだった。目を見て言うべきかと思いながらも、これだけ鼓動がうるさければ正しく伝わるだろうと都合良く言い訳をして、リンハルトは深呼吸してから一息に、胸の内すべてを吐き出した。
「先生、好きです。返事は卒業後、会えた時に聞かせてください」
これで伝わるだろうか。逃げ癖のある自分が背水の陣を敷く思いで逃げ道を自ら塞いだ覚悟を、本気を、ベレトはわかってくれるだろうか。
言ってしまってからリンハルトの中で沸き立った不安をほぐすように、ベレトの頭が強く胸に擦り寄せられる。自分を抱きしめる腕の息苦しいほどの力強さに、このまま壊されてもいいとさえ思った。
手燭の蝋燭はいつの間にか燃え尽きて消えてしまっていたが、二人してそれに気づかないほど、夜闇はすっかり薄らいでいた。分厚い窓枠から見える空は、地上近くがうっすらと白みはじめている。夜明けはもう、すぐそこまできていた。
まだ見えぬ陽光の気配を確かに感じながら、リンハルトは腕の中のベレトを見下ろした。ようやく顔を上げることを許されたベレトはその淡い双眸を開いて、リンハルトをまっすぐに見つめている。
そんなわけはないのだが随分長いこと彼の顔を見ていなかったような気がして、リンハルトは滑らかなその頬をそっと両手で包んだ。乱れた前髪の隙間に見える額に唇を落とせば、翡翠色の瞳が擽ったそうに細められる。
「夜明けがきたって離してあげられないですけど、僕は謝ったりしませんよ」
リンハルトが笑ってそう言うと、ベレトは困ったように眉尻を下げ、それから微かに顔を赤らめて目を逸らした。
どこからか鳥の囀りが聞こえる。その鳴き声はどこまでも高く遠く、薄明の空に響き渡った。
