1回目と同じように、2回目も閉幕の告知は唐突だった。初期を思うとファイターも増え、随分と賑やかになった第二回大乱闘は長く続いたが、それも遂に終わるようだ。
今大会が初参加のメンバーが不安そうな顔をする横で、既に一度終幕を経験している初期のファイターは暢気なものだ。マリオなどは特に気が早く、既に次の大会の話をしている。まだ開催するかどうかもわからないはずの話だが、ファイターたちのまとめ役である彼だけに知らされている情報でもあるのだろうか。
そこまで考えて、それはないなとフォックスは思考を打ち切った。仮にマリオが機密に値するような情報を知っていたとして、それをベラベラと喋るわけがない。あれは希望的展開を語ることで、場がしんみりし過ぎないようにしているのだろう。単にマリオの優しい気遣いだ。
「今回はやたら長いと思ったけど、いざ終わりってなるとあっという間だった気がしてくるな」
真横から声がして視線をやれば、いつの間にやって来たのかリンクが隣に立っていた。その言葉は独白のようにも思えたが、フォックスが向けた視線に彼は応えるようにして顔を覗き込んでくる。自分に向けられた言葉だと判断し、フォックスは「そうだな」と頷いた。
「今回も最終日は自由にしていいってさ。ステージも施設も全開放だって。フォックスはやりたいこととか、予定とかは?」
「最終日って言っても、普段とそう変わらないしな。今のところ特には」
「良かった。じゃあフォックスの最後の1日、俺が予約しとく」
弾んだ声でそう言われ、フォックスは思わずリンクの顔を見返した。周囲のざわめきが遠のき、大人数で集まっているはずなのにまるでこの場にリンクと二人きりのような錯覚に陥る。
困惑するフォックスを見て柔らかく目を細め、リンクは一歩踏み込むと自然な動作で耳元に口を寄せてきた。
「最後にデートしよう」
咄嗟に半歩引いて面食らうフォックスに、リンクは悪戯っぽく笑いかけると人差し指を口元に立てた。静かに、とも内緒で、とも取れるジェスチャーにハッとして周囲を見渡すが、幸い皆歓談に夢中のようで、見られている様子はない。リンクの声は至近距離でようやく聞き取れるくらいに小さかったため、誰にも聞かれてはいないだろう。
そこでようやく碌に返事もしていないことに気付いたが、リンクはいつになく上機嫌に笑っており、フォックスの態度などまったく気にしていなさそうだ。
どう返すべきか口ごもるフォックスに、リンクは一言「約束したからな」と念押しすると、何事もなかったかのように背を向けてマリオやピカチュウの元へと向かっていった。
一時期、フォックスはリンクと付き合っていたことがある。第一回目の大会の半ば頃、ようやくこの世界に慣れたファイターたちが各々の人となりに触れ、それぞれの交友関係を深め始めた時のことだ。
ある時リンクと二人きりで話す機会があり、それがきっかけで二人はなんとなく付き合うことになった。最初はお互いに冗談のつもりだったのだが、二人一緒にいるのは思ったよりずっと心地良く、いつの間にか関係が発展していた。少なくとも、フォックスはそう認識している。
最後のデートの待ち合わせ場所に指定されたプププランドステージで、フォックスは一人ウィスピーウッズを見上げていた。
陽光と緑が溢れ、優しい風が吹くこのステージは乱闘の舞台としても人気だが、それ以上に憩いの場としても多くのファイターに愛されている。はっきりとそう聞いたわけではないが、どうやらリンクにとってもお気に入りの場所らしい。思えばフォックスとリンクが付き合うきっかけとなったのも、このステージで交わした他愛もない雑談だった。
「あれ? 早いな。誘ったのは俺なのに待たせたな、ごめん」
春めいた空気の中でぼんやりとするフォックスは、背後に近づく気配に全く気付いていなかった。掛けられた声に振り返り、思ったよりも至近距離にいたリンクに驚いて、跳ねそうになる身体を咄嗟に抑える。
「ああ、いや、大丈夫だ。少し考え事をしててな」
「尻尾が膨らんでる。びっくりさせちゃったな」
苦笑交じりに指差された尻尾を後ろ手で押さえつけながら、フォックスは気まずげに目をそらした。普段ならどうということもない会話なのに妙に意識してしまうのは、偏にリンクがこれをデートなどと言うからだ。
フォックスとリンクは今でも特別仲が良い。本人たちはもちろん、他のファイターからもそう思われている。だがそれはあくまで仲間としての話だ。二人は付き合っていたことを他の誰にも明かさなかったし、恋人としての関係はとっくの昔に終わっている。
破局というには穏やかな別れを経て今の関係を築いた二人に、デートというのはなんとも今更な行為だった。一方的に約束を取り付けられてからというもの、フォックスは散々これはどういう意味なのかと頭を悩ませてきたのだが、今日に至ってもリンクの意図は分からずじまいだ。
「それで考え事って、どんな?」
「……お前と付き合ってた頃のこととか。付き合ったきっかけ、覚えてるか?」
「もちろん。懐かしいな、あの酷い会話」
リンクが顔を綻ばせて笑い、フォックスの横に立って倣うように巨木を見上げる。過去を懐かしむその表情は、出会ったばかりの頃と比べてずいぶんと柔らかくなったものだ。
陽光に照らされてきらきらと輝く青い瞳を横目に見ながら、フォックスもまた過ぎ去った過去に思いを馳せる。あの日もこのステージには同じように、緑風の香りが満ちていた。
*
「暖かいと身体が春と勘違いするせいか、どうしてもソワソワするんだよなあ」
どういう流れでこんなことを言ってしまったのかは覚えていないが、相手に聞かせる言葉ではなく、思わずこぼした独り言だったのだと思う。心地よい木漏れ日の温度につられた世迷い言は、フォックスの想定では問題なく聞き流されるはずだった。
「ソワソワ? なんで?」
だから隣のリンクにそう尋ねられた時、フォックスは変に動揺してしまったのだ。どうも無口な性質なのかそれまで聞き役に徹していたのに、突然食いついてきたように思えたせいもある。
もしかしたら分かってからかわれているのかも知れないと考えて、フォックスは横目でリンクの顔を盗み見た。その甲斐なくばっちりと目が合ってしまった上に、彼は表情が薄くどうにも感情が読みづらい。ただ、こちらをじっと見つめてくる目には純粋な疑問だけが浮かんでいるように思えて、フォックスはいよいよ返答に窮した。
「え、えーと……俺の種族は発情期が冬から春にかけてだから、暖かいと、その、闘争心が疼くというか……」
「フォックスって発情期があるんだ?」
ごにょごにょと言葉尻を濁した努力も虚しく、リンクは一切表情を変えないまま更に突っ込んできた。あろうことか、とんでもなくセンシティブな方向に。
咄嗟に目を逸らそうとして、ろくに首が動かないことに気付く。硬直したフォックスの身体は、どこもかしこも音を立てんばかりに軋んでいた。
この世界に集められた面々は異世界からやってきた、異文化を持つ異種族ばかりだ。カルチャーショックを受けることなどしょっちゅうだが、もういい加減慣れてきたと思った矢先にこれである。リンクがおかしいのか、単に文化や感性が違うのか。まっすぐにフォックスを見つめてくるリンクの真顔からは、何も読み取ることが出来なかった。
「そりゃあ……大体の生き物にあるだろ……」
「俺たちみたいな人間にはないよ、確か」
「は? ウソだろ?! じゃあお前らどうやって繁殖するんだよ?!」
目の前のリンクをはじめ、マリオやルイージ、それからファルコンにネス。フォックスから見て『スベスベした連中』には特に驚かされてばかりだが、まだ上があったとは。
驚愕のあまりフォックスが大声を上げるが、リンクは全く動じなかった。表情も長い耳もピクリともしない。
「季節とか関係なく、いつでも出来ると思うけど。たぶん」
「え、ええ……。お前らってみんなそうなのか……? というか、さっきから確かだのたぶんだの、なんでそんなに曖昧なんだ」
「俺は経験もないし、よくわからないんだよ。マリオやファルコンみたいな大人だったら詳しいかもな」
「そ……そうか……」
開けっぴろげにも程がある内容に反して淡々と進んでいく会話に、フォックスもすっかり毒気を抜かれてしまった。
ファルコンはまだわかるとして、マリオもリンクより大人なのか。スベスベした彼らの年齢が見ただけではよくわからないフォックスにはそれすら初耳だ。ネスくらい小さいと子供だとわかるんだが、とそこまで考えて、フォックスはふと首を傾げた。
「……ん? 俺はお前のことを大人だと思ってたんだが、もしかしてまだ子供なのか?」
「大人だよ。ただちょっと色々あって、寝て起きたら七年経っててさ。知らない間にこの身体になったから、慣れてないこともあるだけ」
「つまり精神的には子供ってことじゃないか!」
半ば悲鳴じみた絶叫と共に、フォックスは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。何があれば七年もすっ飛ばすことになるんだとも思ったが、そこまで突っ込んでいる余裕はない。
どうしたんだ?とでも言いたげに覗き込んでくるリンクの両肩をがっつりと掴み、フォックスは眉間に皺を寄せて低く唸る。
「悪かった、今の話は全部忘れてくれ。子供にする話じゃなかった」
「大丈夫だって、そこまで子供じゃない。意味もちゃんとわかってるし」
「だから問題なんだろ……。お前らの倫理観じゃどうか知らないが、そもそもこんな話はパートナーかチームの仲間にしかしないんだ……」
「俺とフォックスは大乱闘の仲間だろ?」
「お前そんな、仲間意識なんてあったのか……じゃなくてだな、生死がかかった任務では個人のプライバシーよりも優先されるものがあるっていうのはわかるか? 同じ作戦に参加する仲間には自分のコンディションを開示して共有し、チーム全体の生存率を上げる義務がある。だけど大乱闘は競技であって、戦争ではないだろ?」
「命を預けてるわけじゃないから、俺にはそこまで言う必要がない、って言いたい?」
「……お前、物分りはいいんだよなぁ……」
大真面目な顔をして首を傾げるリンクは、フォックスの言うことをしっかりと自分で噛み砕いて理解している。それだけに、これまでの発言に一切悪意がないこともよくわかった。彼は単に疑問に思ったことを、素直に口に出しているだけなのだろう。それこそ、純粋無垢な子供のように。
一気に疲れが押し寄せてきて、フォックスはげんなりと肩を落とした。名のある隊を継いだ者としてコンプライアンスには気をつけていたつもりだっただけに、自分の失態が許せない。この世界での感覚と元の世界での感覚が入り混じり、一般人の子供に血腥い場面を見せてしまったような、罪深い気分だった。
真横で同じようにしゃがみ込んだリンクが、気落ちするフォックスをじっと見つめている。相変わらず表情は読めないがなんとなく、心配してくれているのは伝わってきた。
「フォックス、落ち込んでる?」
「お前のせいじゃない。年齢確認を怠った俺が悪い。すまない、変なこと訊いたし聞かせたな」
「だーから子供じゃないって。って言ってもフォックスは聞かないよな、頑固だから」
微かな笑い声混じりのリンクの言葉に、フォックスは思わず顔を上げる。リンクが相好を崩して笑っているのが、スベスベした彼らの表情に疎いフォックスにもはっきりとわかった。
「さっきの話ってパートナーになら、しても問題ないんだったな?」
「……ん? あぁ、まあ、そうだな……?」
「じゃあ、俺をパートナーにしたらどうかな。そしたら問題なくなるだろ?」
――何を言ってるんだコイツは。
半開きの口を開くことも閉じることも出来ずに固まるフォックスを、リンクは微かに笑ったまま見つめている。
冗談だろう。さすがに冗談に決まっている。あまりにも視線がまっすぐで気圧されるが、まさか本気のはずがない。
スベスベしてるとジョークも滑るんだな、などと笑い飛ばしてやりたいフォックスだったが、口からこぼれたのはなんとも弱々しい愛想笑いだけだった。
*
思い返せば思い返すほどリンクが言った通り、酷い会話である。
更に輪をかけて酷いのが、これがきっかけで本当に付き合ってしまったことだろう。もちろん最初は冗談だろうと流したのだが、それから妙に意識するようになってしまい、気付けば冗談ではなくなっていた。
改めて「お付き合いをしましょう」といった甘ったるいやりとりがあったわけではない。一線を超えたわけでもない。明確に変わったことといえば、フォックスのパーソナルスペースの中にリンクがいるのが当たり前になったことくらいだ。だが仲間にも友人にも許さない距離を拒む気持ちが湧かないならそういうことだと、フォックスは悩みながらも納得せざるを得なかった。
リンクと付き合っていた頃の日々は春のただ中のように穏やかだったと、フォックスは今でも時々当時を振り返ることがある。穏やかな付き合いは終わる時まで穏やかで、第二回目の大会が始まって間もないある日に、フォックスとリンクはただの友人に戻った。一切揉めることもなかったお互いに納得ずくの別れは、破局というよりは関係性の仕切り直しといった方が正確だ。
一切痛みがなかったといえば嘘になる。しばらくは少しだけ広がってしまったように感じる距離を、寂しく思う時もあった。けれどそれは日々の喧騒の中で徐々に薄れ、もうすっかり遠い感覚だ。フォックスはリンクとの今の関係も、かつて過ごした柔らかな時間も、どちらも等しく大切に思っている。
回想を終えたフォックスの隣に立つリンクは、ぼんやりとした表情で今も巨木を見上げていた。この世界で共に過ごす時間が長くなるにつれ、彼の表情をだいぶ読めるようになったと自負するフォックスだったが、今のリンクの横顔からは何も推し量ることが出来ない。
「……なあ、デートなんだろ? こんなとこで立ち話するだけでいいのか?」
沈黙がなんとも居たたまれず、フォックスは肩を竦めながら声を掛けた。なるべくなんでもないような軽い口調を心掛けたが、自分ではどうにも不自然に感じてしまう。
幸いリンクは気にした様子もなかった。フォックスの方へ視線を向けると、小さく首を振って頷いてみせた。
「うん。十分だよ」
「相変わらず欲がないなあ、お前は」
「俺は欲深い方だけど」
「どこがだよ」
握りこぶしで軽くリンクの胸をどつくと、彼は一瞬驚いたように目を見開いて、それから微かにはにかんだ。緩く伏せられたせいかどこか悲しげにも見える目線が、フォックスの手に注がれる。
「フォックスに触られるの、久しぶりだな」
「そうか? まあ、別れた直後はあんまりベタベタするのも良くないと思って控えたし、それが癖づいてたかもしれないな。すまない、嫌だったか」
「全然。……フォックスってさ、付き合ってた頃の話とか別れた時の話とか、平気でするよな」
「そりゃあ別に、嫌な思い出ってわけでもないからな。喧嘩別れとかしてたら多少は気まずいだろうけど、そうじゃなかっただろ?」
「そっか。まあフォックスは、別れた直後も普通にしてたしなあ」
「態度に出したら他の奴らに変に思われるだろ。強がってただけでしばらくは寂しかったし、落ち込んださ。むしろお前の方が平気そうだったじゃないか」
「そう見えてたか? なら良かった」
そう言って、リンクはフォックスに向き直った。一筋吹いた風が彼の帽子や服の裾をたなびかせ、乾いた笑い声をさらっていく。
真正面からまっすぐに向けられた視線を受けて、フォックスはたじろいだ。リンクはきつく眉根を寄せ、無理やり口角を上げている。いつも痛いくらいに鋭い視線が不安げに揺れ、縋るようにフォックスへと向けられていた。これまで一度も見たことがない、想像すらしたことがない表情を目の当たりにして、用意していた軽口がフォックスの喉の奥へと消えていく。
「俺は寂しかったよ。別れてからずっと、今も、フォックスが傍にいなくて寂しかった」
その一言で、こめかみをぶん殴られたかのような衝撃がフォックスを襲った。フックショットの直撃を食らった時よりも激しい眩暈で世界が揺れる。まったく予期しなかったリンクの言葉が、爆風のようにじりじりと身体を焦がしていくようだった。
脳裏にハウリングするその言葉を、悪趣味な冗談だと思えたらどれだけ楽だっただろう。だがフォックスは、リンクがそんな冗談を言う人間ではないことを知っている。泣くのを堪えているかのような表情を演技出来るほど、器用ではないことも知っている。
寂しかった、と震える声で呟いて、リンクは遂に俯いてしまった。声を掛けたくても、手を触れたくても、フォックスの身体は指先一本すら動かない。目の前で項垂れる、いつもより小さく見える彼の前で、ただ立ち尽くすことしか出来なかった。
しばらく続いた重苦しい沈黙に耐えかねたか、リンクが小さく笑い声をこぼした。わずかに窺える表情には諦観の色が濃く、目は変わらず逸らされ伏せられたままだ。それでも先ほどに比べたら、ずっと取り繕われている。
「……だから、今回の大会はけっこうキツくて。誰かさんがファルコとイチャイチャする度に、物陰から撃ってやろうかって何度も思った」
「いやファルコとイチャついた覚えはない……じゃなくて、お前、キツかったって……え……?」
「はっきり言おうか? 俺、今でもフォックスのことが好きだよ。別れてから今までずっと、付き合ってた頃のことを忘れられなくて不毛な片想いをしてる。笑えるよな」
リンクはそう言って、嘲るように顔を歪めた。一瞬だけ向けられた視線には敵意にも似た激情が込められていて、その言葉が嘘ではないことを痛感させられる。ちっとも働こうとしない頭をどうにかしようと額を押さえ、フォックスもまた逃げるように視線を地面へ落とした。
試合とも戦場とも違う緊張が、牧歌的なステージを覆う。ちぐはぐなその空気は、フォックスの全身に重くのしかかった。
「……お前、そんな素振りなんて、一度も……」
「納得して別れておいてやっぱり嫌だなんて、格好悪いだろ。フォックスは全然気にしてないように見えてたし」
「だからそれは……! ああもう、話し合いが足りてなかったのか」
「別れるってなったあの時、なにも言わなかったのは俺の方。だから自業自得だよ」
ちっとも面白くなさそうな笑い声とともに、リンクがため息をついた。張りつめていた空気がわずかに弛緩して、フォックスもつられるように息を吐く。緊張した面持ちのフォックスを一瞥し、リンクは困ったように眉尻を下げた。
「……そんな顔するなよ。恋人に戻りたいなんて言って、困らせるつもりはないんだ。フォックスが俺をそういう目で見てないことくらい、わかってる」
「あのなぁ……っ!」
否定しても肯定しても、きっとリンクを傷つける。黙っているのが賢い選択だ。頭ではわかっていながらも、フォックスは反射的に叫ぶのを止められなかった。
「じゃあどうして今更、デートだなんて言って呼び出したんだ……!?」
「最後に言いたいことがあるから。フォックスは別れた時のこと、覚えてる?」
「覚えてるよ、忘れるわけないだろ……!」
激情に任せてそうは言ったものの、実際のところ二人の別れ話は穏やか過ぎて、詳細まで強く記憶に残るようなものではなかった。それでもさして遠くない過去の話だ、どういうやりとりがあったかくらいは覚えている。
切り出したのはフォックスの方だった。
第二回目の大乱闘では参戦するファイターが増え、その中にはリンクと同じニンゲンで、同じ得物を扱うロイとマルスがいた。彼らと楽しげに話すリンクの後ろ姿を見て、フォックスはある日ふと思ったのだ。自分たちの今の関係は、リンクの枷にしかなっていないのかもしれない。これから先、どんどん人が増えて交流が広がる中、異種族である自分との付き合いはリンクの自由を妨げるかもしれない、と。
決してマルスやロイのせいで別れたわけではない。元々リンクとの種族差を意識することは度々あり、心のどこかで引っかかっていたのだ。愛情表現一つとっても、フォックスの知っているやり方がリンクに伝わるのかはわからない。関係を秘匿している以上、誰かに教えを乞うことも難しい。
恐る恐るの触れ合いは結局、最後まで友情の範囲を超えることはなかった。それ故に恋人である必要があるのかという自問は、ずっとフォックスの脳裏にへばりついて剝がれなかった。
だからフォックスは直接本人に尋ねたのだ。リンクのことは友人としても仲間としても大切に想っているから、この関係は恋人じゃなくなったとしても、きっと何も変わらない。むしろただの友人に戻った方が、今以上にのびのび過ごせるかもしれない。お前はどっちがいいと思う?と尋ねたフォックスに、リンクの答えは短く「変わらず一緒にいられるなら、なんでもいい」だった。
そうして二人は友人に、仲間に戻った。今までありがとう、というような言葉は、お互いついぞ口にしなかった。
「……フォックスはさ、俺に恋人らしいことを何もしてやれていない、って言ったよな」
「言った。だってその通りだっただろ」
「してくれてたよ。フォックスは自覚なくても、触れ方も話し方も全然違う。俺も気付いたのは、別れてからだったけど」
そう言って苦笑しながら顔を上げ、リンクはまっすぐにフォックスを見つめた。付き合っていた頃でも向けられたことがないような、愛しいものを見る柔らかな視線だった。
「フォックスがなんで友人に戻ろうって言い出したのか、俺はわかってなかった。それも別れてから気付いたんだ。フォックスは、俺がフォックスを好きだってことを信じてなかったんだって」
「……それ、は」
「そもそも口説いたのは俺だし、あれだけ四六時中くっついてたら伝わってると思ってた。でも本当は、俺がしたいことをするんじゃなくて、フォックスがしてほしいことをもっと考えるべきだった。それが出来てなかったからフォックスは不安になって、俺のために友人に戻るって言い出したんだって……気付いた時にはもう、なにもかも手遅れだったけど」
そこで一旦言葉を切って、リンクは静かに息を吸った。変わらずフォックスを見つめたままの彼の表情が、降り注ぐ陽光に負けないくらいの笑顔に塗り替わる。
「遅くなったけど、今更だけど、どうしても言いたかった。俺、フォックスと付き合ってて幸せだったよ。初めての恋人がフォックスで良かった」
ありがとう、と目を閉じるリンクの仕草は、フォックスの記憶にあるよりもずっと大人びていた。そんな変化に今更気付くくらいに離れていたのだと、痛いくらいに思い知らされる。
俺も幸せだったよ、と抱きしめて頭を撫でてやりたいと思った。
どうして今更そんなことを、と胸倉に掴みかかってやろうかとも思った。
他にも様々な情動がフォックスの中に渦巻いたが、今もリンクとフォックスの間には、人ひとりがゆうに収まる距離があいている。お互いのたった一歩で縮まるその距離を、どちらも踏み出そうとはしない。
ない交ぜになって形も見えない感情を吐き出すことも出来ずに、フォックスは足元に視線を落とした。動く気配のない二人分のつま先が全てなのだろうと悟った瞬間、心臓に根を張る終わったと思っていた恋が、今度こそ崩れていく音がした。
それからお互い言葉を発することはなく、長い長い沈黙が流れた。どちらからともなくウィスピーウッズの根本に座り込み、今は二人並んで風の音を聞いている。
「……俺がお前を信じてやれなかったのが悪かった」
立てた膝に顔をうずめ、背中を丸めたフォックスが低い声で呟くと、すぐさま隣のリンクから笑い声が返ってきた。
「そうやってすぐ自分のせいにする。俺はそんなふうに思ってないのに」
「だけど」
「謝られるとかえってキツいんだ。本当にもうなんとも思われてないんだって、分かっちゃうからさ」
そう言われてしまっては返す言葉もない。しおしおと垂れ下がる耳を取り繕う余裕もなく、フォックスは更に背中を丸めた。あからさまに落ち込むフォックスとは正反対に、しっかりと人ひとり分の距離を保って隣に座るリンクはすっきりとした顔で空を見上げている。
「何事もさ、最後は綺麗に終わらせたいだろ。それに好きな奴にみっともなく恨み言なんて言いたくない」
「いや、言いたいことがあるなら言って欲しいんだが」
意識して軽口のように言っているだろうリンクの言葉を聞いて、フォックスは反射的に顔を上げた。驚いて目を瞠るリンクをほとんど睨みつけるようにして、勢い任せにまくしたてる。
「あのな、俺は今でもお前のことは大事にしてるつもりなんだ。……俺だって、散々耐えさせておいてまだ我慢しろなんて言いたくない。恨み言でも文句でも、言ってくれた方がずっといい。ちなみに俺からの文句は、あの口説き方は冗談にしか聞こえないから他の奴にやるな、くらいしかないからな」
「あー、あれはまあ、冗談にかこつけてあわよくばっていうか……」
「そこはいいから。……聞かせてくれ、頼むから」
フォックスが頭を下げると、リンクは「やめろよ」と露骨に狼狽え始めた。制止のためか気遣うように伸ばされた両手はフォックスに触れることこそなかったが、ぽっかり空いてしまった距離が僅かに埋まり、ほんの少しだけ溜飲が下がったような気持ちになる。
意地でも頭を上げようとしないフォックスを前にリンクはしばらく逡巡し、ひどく言いづらそうに口を開いた。
「文句なんて本当にない。フォックスをすごく傷つけるかもしれない、身勝手な願い事があるだけ」
「俺を傷つける?」
「かもしれない。わからない」
「それなら別にいいだろ。言うだけ言ってみてくれないか。叶えてやれるかはわからないけど、ちゃんと聞くから」
しつこく食い下がるフォックスに根負けしたか、リンクは降参とばかりに両手を挙げた。それでもまだ迷う気持ちがあるらしく、そこからずいぶんと長い間、彼は俯いて必死に言葉を探しているようだった。フォックスもそれ以上急かすようなことはせず、ただ黙ってリンクが話し始めるのを待ち続けた。
「……後から文句言われても、聞けないからな」
ああ、と頷くフォックスを、リンクが躊躇いがちに見つめる。
「……俺はフォックスのこと忘れないから、フォックスも俺のこと覚えていてほしい」
「ああ」
「……次の大会がはじまったら、真っ先に俺のところに来てほしい」
「ああ、わかった。それで?」
「それだけでいい。絶対に忘れないでいてくれれば、それだけで」
ひどく勿体ぶったわりにはささやかな望みだと、フォックスは思った。
忘れる気なんてそもそもなく、この世界に来てまず顔見知りを探すのは自分の行動としてごく自然だ。親しさの度合いからして探す相手がリンクになるのもおかしくない。どちらもわざわざ頼まれるほどのことではないというのが、フォックスの素直な感想だ。
だがリンクの声は真剣で、とても水を差す気にはならなかった。
「わかった、約束する。次があったら、一番にお前に会いに行く。……会いに行って、ハグして頭を撫でて、会いたかったって叫んでやるよ」
「はは、そうしてくれたら俺は嬉しいけどさ。……フォックスにはできないと思う。開会直後なんて、人目だってあるだろうし」
「構うもんか。その時お前が嫌がったって絶対にやるからな、覚悟しとけよ」
「……うん。期待せずに待ってる」
囁くような小さな声で言うと、リンクはフォックスから視線をそらした。また俯いてしまう直前に見た表情は泣きそうにも見えて、無理に聞き出すような真似をしたのが良くなかったかと、微かな後悔に駆られる。
何か言おうとフォックスが口を開いた瞬間に、ステージに設えられたスピーカーからマスターハンドの無機質な声が響いた。1分後のシャットダウンを告げるマスターハンドは、いつもの事ながら唐突だ。
神だのなんだの相手に情緒を求めるのが間違っているのかもしれないが、アイツのこういうところは変わらないなとフォックスがぼやくその横で、ふいにリンクが口を開いた。
「フォックス」
「うん?」
「……ごめんな」
何がだ、とフォックスが尋ねても、リンクは曖昧に笑うばかりで、決して答えようとはしない。
押し問答をするには残された時間があまりに少なく、結局フォックスはリンクのその言葉の意味を聞き出すことは出来なかった。
だが次に会った時に聞けばいい。そう考えたフォックスは、大人しくシャットダウンの瞬間を迎えた。
次があるかもわからなかったが、リンクとの約束のこともある。きっと果たす機会が来るだろうと、何の根拠もないまま信じていた。
第三回目の大会は無事に開催の日を迎えた。
招待状を受け取った面々が一堂に会したその日、フォックスはリンクが最後にこぼした謝罪の意味を思い知ることになった。
前回に輪をかけて騒がしい会場で、約束通りに見知った緑衣を探して歩く。それらしい背中を見つけるなり、フォックスはすぐに声をかけた。振り返った彼の顔に痛烈な違和感を覚えると同時に、知らない声が鼓膜を揺らす。
「えっと、あなたはフォックス……さん、でしたっけ? はじめまして。俺、リンクって言います」
記憶にあるものとよく似た形、よく似た色の装束をまとう彼は、しかしフォックスの知るリンクとは別人だった。
よろしくと差し出された手を握り返すこともできないまま、フォックスは茫然と立ち尽くす。
ごめんなと囁く泣きそうなリンクの声が、耳の奥で、脳裏で、幾重にも重なって反響している。
刃を突き立てられてそのまま一文字に裂かれたような激しい胸の痛みに呼吸が止まり、狭まってひりつく気道から喘鳴が一筋漏れていった。
――フォックスにはできないと思う。
リンクはこうなることをわかっていて、出来ない約束をさせたのだ。
――それだけでいい。絶対に忘れないでくれれば、それだけで。
フォックスに忘れられたくない。たとえ酷い傷になってでも、フォックスの中に残りたい、その一心で。
すまない、と一言喘ぐように詫びて、フォックスはその場から逃げるように駆け出した。戸惑う知らないリンクの声も、それを見ていた誰かの制止も、何もかもを振り切って行くあてもなくただ走る。
息が苦しい。心臓が痛い。ステージはまだ一つも解放されておらず、思い出の場所を求めても、分厚く大きな鉄扉に阻まれるだけだ。僅かもない可能性に縋りつき、吐きそうになるまで走っても、あのリンクはどこにもいない。
この会場のどこにも、この世界のどこにも。
限界を超えた脚がくずおれて、フォックスは強制的に立ち止まる。こんな形で実感したくなかった思いが心臓に根を張り、じわじわと全身を蝕んでいくようだ。
次なんて待たなければよかった。
あの時抱きしめて、お前に会えてよかったって、俺の方こそ幸せだったって、そう言ってやればよかった。
憐れむな、同情は要らないと怒らせてしまっても、やり直そうと言えばよかった。
意味を成さない慟哭は、誰もいない無機質な回廊の奥へ溶けていく。今さらどれだけ声を張り上げたところで、届かないし伝わらない。
頼まれたって忘れてやれそうにない痛みに、フォックスは喘いで嗚咽を漏らす。
最後の最後まで綺麗に終わらせようとしてくれていたリンクに、こんな手段を取らせてしまった。もう取り返しのつかないその事実が、何より鋭く胸を抉った。
