狭いソファに引き倒されたフォックスは、幼い顔に不似合いなほの暗い視線を向けてくるリンクの顔を茫然と見上げていた。下腹部にのしかかる子供の体温の温かさを、こんな時なのに心地良く感じてしまうのが皮肉めいている。
「困ってる? フォックス」
「困ってるというか……と、とりあえずだな、話なら起き上がってちゃんと聞くから」
「大人のオレとは寝転がったまま『仲良く』するのに?」
嘲るような笑い声混じりに告げられた言葉に、フォックスは息を止めた。脳が言葉を解析していく毎に鼓動が早まり、気道はひりついて息苦しさを増していく。
何を言っているんだと、すぐに笑って否定すれば良かったのだろうか? でもそれは目の前のリンクに対する紛れもない誤魔化しだ。果たしてそれは誠実だと言えるだろうか? 仮にそうだと言えたとして、子供の身を持つ彼に何もかもを正直に開示する誠実さは、いったい誰のためになるのだろうか?
混乱する頭が自問自答する間、フォックスの口は言葉を見つけられないまま開いては閉じてを繰り返した。上から覗き込んでくる幼い顔には、明らかに無理をして歪んだ笑顔が貼り付けられている。
「オレとは出来ない? オレはあいつより、長い時間を生きてるのに」
口調こそ軽かったが言葉尻が微かに震えていることに気づいてしまい、フォックスは余計に何も言えなくなる。こういう時に言葉を間違えてしまった苦い思い出が、喉に無理やり栓でもしているかのようだ。
フォックスを押し倒すリンクの身体は軽く、服越しに伝わる体温は高い。無意識に誰かと比べてしまい、フォックスの自己嫌悪は加速した。このリンクにも、もう一人のリンクにも、こんな比較は喜ばれるわけがない。
こどもリンクと呼ばれる彼がその実、大人のリンクよりも進んだ時代から来た事実上の年上であることは、フォックスも当然知っている。それぞれ中身と噛み合わない身体を与えられたためか、二人のリンクが一緒にいることはほぼなかった。決して不仲というわけではないらしい。大人のリンクは大人として、子供のリンクは子供として、外見相応の振る舞いで周囲と接しているために、単に行動範囲が被らないのだ。……というのが、フォックスが大人の方のリンクから直接聞いた話である。
それは嘘ではないが、正確でもなかったのだろう。今フォックスの腹の上で拳を固く握りしめている彼は、明らかに幼い自分の外見を厭っている。それが一時の激情などではないことは、何かに耐えるように歪んだ顔を見れば明白だった。
気の利いた言葉の一つも思いつかず、それでも何も出来ずにいるのは嫌で、彼の名前を呼びながらフォックスはおもむろに手を伸ばす。頬を撫でようと思ったのは、涙を拭ってやりたかったからかもしれない。リンクは泣いてなどいなかったから、何故そう思ったのかはわからない。
だが結局、フォックスの手がリンクに届くことはなかった。やんわりと、しかし明確な拒絶の意を示して、リンクはそれを払い除けたからだ。彼はいっそう歪に笑い、諦めたように目を閉じると、フォックスの胸に顔を伏せた。首元をくすぐる髪の向こう、丸まった背中はひどく小さい。
無言のまま縋り付くように身を寄せてくるリンクの背に、フォックスも無言で腕を回す。今度は拒まれることもなかった。すっぽり包んでも腕が余ってしまう小さな背中をポンポンと叩こうとして、寸でのところでやめておく。子供扱いされていると思わせてしまったら、きっとリンクを余計に傷付けてしまうだろう。
「……あいつって、フォックスと二人きりの時はどんな感じ?」
くぐもった声が、これまでの空気をなかったことにしながら尋ねてくる。服越しに吐息の熱さを感じながら、フォックスも努めて平坦な声を返す。
「今のお前とそっくりだよ。……ちょっと甘え方が下手なとこが、特に」
「……あいつ、フォックスのこと本当に好きだからさ。弱みとか見せたくないんだよ、かっこ悪いから」
言いながらリンクがこぼした笑い声は小さく、カラカラに渇いてしまっていた。声が余韻も残さず途切れ、瞬く間に沈黙が満ちる。耐えるように握られたリンクの拳は、フォックスの服に深い皺を作った。
「オレも同じだからさ。わかるんだよ、フォックス」
滲んだ声を絞り出して、リンクは拳を震わせる。続く言葉が音にならなくても、彼が何を言いたいのか痛いくらいにわかってしまった。
こんなに同じなのに、フォックスもそっくりだって言うのに。
――見た目が子供にしか見えないから、だからオレじゃダメだったの?
これを言葉にしてしまったらフォックスをひどく悩ませることを、リンクは正しく理解している。だから彼は無邪気な笑顔のその下に本心も苦悩もひた隠し、外見相応の『こども』を演じ続けてきたのだろう。精神が成熟している彼だからこそ成し得ることだ。同じことを、大人のリンクはきっと出来ない。
リンクの演技は上手いものだった。それでも時折向けられるもの言いたげな視線の真意を、フォックスはなんとなくだが嗅ぎ取っていた。まったく同じ熱を孕んだ視線を日常的に浴びていれば、いくら鈍感なフォックスでも気付こうというものだ。
リンクが決定的な言葉を避けるのは、恐らくフォックスのためでもある。常から他愛もない悪戯をしてはフォックスをからかう彼だが、フォックスが本当に困るようなことは決してしない。それはこんな状況においても変わらず、フォックスはリンクたちのこの手の健気さに絆され続けていることを実感する。
小さな背中をぎゅっと抱きしめて、さらさらと流れる髪に鼻先を寄せる。森と太陽の匂いが鼻腔をくすぐって、フォックスは無性に泣きたいような気持ちになった。
「俺はお前が大事だよ、リンク。だからあいつと同じには出来ない」
「……うん。うん、ごめん。困らせて」
冗談っぽく笑いながら、リンクは全てを自分のせいにしてなかったことにしようとする。それがリンクの気遣いであることはわかっているが、甘える気はもうなかった。口下手なフォックスはなにかを言えば、それまでのリンクの気遣いすべてを無碍にしかねない。それを恐れる気持ちよりも、きっと隠し通したかっただろう本心をやっと吐露してくれた彼に応えたい気持ちの方が勝った。
無理に明るく声を張って離れようとするリンクの身体を、腕に力を込めて引き留めた。訝しげに身じろぐリンクを抱きかかえたまま、フォックスは言葉を続ける。
「あのな、実は最近寝つきが悪いんだ。今日はこのまま抱き枕になってくれないか?」
「……え、なにそれ、どういう」
「デカい図体して情けないけどさ、こんなこと頼めるのお前だけなんだよ。……何もしないから、頼む」
密着したお互いの顔は見えない。ただ、至近距離で感じる熱がじわりと温度を増した気がした。固く握られていたリンクの拳はいつのまにか解かれて、そっとフォックスの胸の上に置かれている。まるで鼓動を確かめるように触れてくる小さな手が少しくすぐったい。
たっぷりの沈黙を挟んだ後、リンクが一つ身じろいで頷いたのがわかった。何をしてくれてもいいのに、という低い呟きは、衣擦れの音に掻き消されて聞こえなかったことにした。
「わかった、いいよ。甘やかしてあげる。オレの方がお兄さんだしね」
仕方ないなあとでも言いたげなリンクの声は、先程に比べれば無理なく明るい。フォックスの胸元をぽんぽんと撫でる手は優しく、その言葉通り小さな子をあやすように甘やかだ。
「……ありがと、フォックス」
「こっちの台詞だよ」
ふと手を止めて、リンクが呟く。それが本心かどうかは、フォックスにはわからない。それでも彼のその言葉が嬉しいのは紛れもない事実で、フォックスもようやく心から笑うことが出来た。
気持ちも結論も何もかもを曖昧なままにしているこの関係は、ある意味でひどく不健全だ。フォックス自身、これが最良だとも、正しいとも思っていない。本当にリンクのためを思うなら、突き放すべきだと考えたことだって数えきれないくらいある。
きっと一生かけたところで、答えが出ることはないだろう。事あるごとにあの時どうすれば良かったのかと、後悔に苛まれ続けるかもしれない。
それでも、決して応えられなくても、フォックスはこの小さな手を振り払おうとは思わなかった。彼から向けられる気持ちが子供の熱病などではないことは、フォックス自身痛いくらいに知っている。心と噛み合わない身体を与えられた彼の苦悩は、きっとそれよりも痛いだろう。
だからフォックスに出来るのは、悩みながらでも精一杯慈しむことだけだった。柄でもないことをしている。上手く出来ている自信もない。だがリンクが自らその手を離すまで、やめる気などさらさらなかった。
いつかリンクが自分は大事にされていたのだと、温かい気持ちで振り返ることが出来るように。
不器用に愛情を注ぎながら、フォックスはその日が来ることをいつまでも待ち続けている。
