油断した、なんて言い訳じみたことは言いたくないけど、油断してたんだと思う。後頭部を思いっきり殴るみたいに掴まれた時、ボクの意識はノンキなことに月桂樹の心配をしていた。そんな乱暴にして葉が散ったらどうしてくれるんだ、なんて考えていたから、受け身を中途半端に失敗しちゃったんだ。
「ぅぐ……!」
後ろから後頭部を襲った衝撃に抗えずに、ボクはそのまま前のめりに倒れ込んだ。トレーニングルームの硬い床に、顔面から思いっきり。咄嗟に腕で庇ったけど完全には間に合わなくて、頬を強く打つ羽目になった。顎だったら星が飛んでるよね、顎じゃなくて良かった。
痛みに呻いていると、背中にずっしりと重みを感じた。掴まれた後頭部にも圧力がかかって、ヒリヒリする頬を床に押し付けられる。うーん、この体勢は結構クツジョクかもしれない。
逃れようとしてもがいた瞬間、腰に片膝を乗せられた。ああこれは、これ以上抵抗したら両膝と全体重で壊しにかかるっていう脅しなんだろうなあ。ボク相手にまるでヒトを相手にする時みたいな手心を加えてくれるなんて、勇者さまは優しいよね。
「……たかが人間相手とはいえ、油断しすぎでは? 隊長殿」
「ボクも、今それ、反省してた、とこ……!」
闇雲な抵抗はやめて隙を窺うことにしたから腰に全体重を乗せられはしなかったけど、後頭部というか首はがっつり固められてる。ボクの頭が床にほぼ固定されてるせいで表情は見えないけど、声からするとそりゃあ凶悪な顔をしてるんだろうなあ。いつも通り淡々と言ってるつもりだろうけどさ、明らかに弾んでるからね。朗らかな感じじゃなくて、ケモノじみた興奮で。
この模範的な騎士さまは時々……本当に時々だけど、こんなふうにケモノみたいな情動をむき出しにすることがある。
普段は絶対使わないような手で強引に優位を取ろうとするし、野生の熊や狼が逃げ出すくらいの殺気を隠そうともしない。大乱闘のカメラに抜かれたらファンの子が泣くんじゃないかってくらい凶悪な顔をして、相手が屈服するまで徹底的に甚振ってくる。たぶん記憶がないまま放り出されたハイラルで、この人はこうして生き抜いてきたんだと思う。だからこれはたぶん、道理が通じない魔物相手の振る舞いだ。衆目のある大乱闘では見られない、ヒトではないものだけに浴びせられる獰猛な野生の息吹。それと対峙したハイラルの魔物は残らず息絶えただろうけど、ボクはヒトではないし魔物でもないから、こうして生きていられる。まあ体勢がクツジョクで、ちょっと心は死んでるかもだけど。
頭に掛かっていた圧力が、翼の付け根の上にそのまま移動した。その隙を縫って抜け出そうとしたけど、すぐに肺を圧迫されたから諦める。多少自由にはなったけどボクの身体はうつ伏せで組み敷かれたままだから、後ろを振り返っても背中にのしかかる勇者さまの表情はやっぱり見えない。
「大人しくしてるとかわいいな、君」
「うわ、すっごい悪い顔して言ってそう」
「どうかな、自分じゃわからない」
そんな無駄話をしている最中、勇者さまが身じろぎした拍子に手か腕かわかんないけどとにかく何かが翼の敏感な部分に触れた。びっくりして反射的に羽ばたいちゃって、全然そんなつもりはないのに背中の上の勇者さまを翼で包み込んでしまった。誰だってどっかから落ちそうになった時は、何でもいいから近くにあるものを咄嗟に掴むよね。あんな感じ。ただの反射で他意はないし、そんなこと勇者さまだって絶対わかってる。……わかってるくせに。
指先でゆっくりと、骨を辿るように翼の前縁をなぞられて、ボクはすんでのところで声を抑えた。
「……どうかした?」
明らかに含み笑いをした声で堂々としらばっくれるから、怒る気にもなれない。怒ったところで撫でる指は止まらないからどうしようもない。足の裏からぞわぞわした感覚が這い上がってきて、くすぐったいのか気持ち悪いのか、自分の感覚がわからなくなっていく。
「そこ、触るの、どういう意味か、わかってる……?」
「知らない。無知蒙昧な人間に教えてくれる?」
「知りたい、わけでも、ないくせに」
優等生な騎士さまの仮面をかなぐり捨てた悪どい声に合わせて嘲笑ってみたけど、色々堪えてるから息絶え絶えって感じでちょっとかっこつかないな。
でも挑発としてはそれなりに機能したみたいで、翼を撫でる指先の動きがぴたりと止まる。その代わりに歯を立てられて、撫でる指先は湿った舌に変わったから、今度こそ声を抑えることが出来なかった。
ボクはいつもこの人に言っている。
大乱闘のルールがなければ、ヒトは決して神には勝てない。神の道具である天使にすらも、絶対に勝てない。これは驕りでもなんでもない、あまねく世界のコトワリだ。
そんなわかりきったことをボクがわざわざ言葉にするのは、この人が誰よりも人間でいたがっているからだ。信仰に背を向けて、神の力を正しく畏れながら、なんでもないただのヒトたちを慈しむために、この人はヒトであろうと常に気を張っている。
だからボクは、この人の前では天使でいようと決めている。ボクとキミは違うんだと突き付ければ、この人は自分がヒトであると実感して、安心出来ることを知ってるから。
バカだなあとは思ってるよ。
国一つ滅ぼすような厄災がヒトであるわけないし、その厄災をその身一つで討ち祓うものがヒトであるわけないのに、って。
どうして人間であることにこだわるのかだって、ボクには理解できないしね。
理解できてないのに見様見真似でやってるから良くないのかな。ボクとしては親切心で人間扱いしてあげてるんだけど、思いやりって難しい。上手く伝わってないらしくて、こうして人間扱いに対する仕返しみたいなことをされることはしょっちゅうある。あ、もしかしたら人間じゃなくて弱いって方に反応してるのかも。でも人間って弱いんだよ、弱くないキミにはわかんないかもしれないけどさ。
翼を伝って、背中にじんわりと熱が広がる。飽きもせず食まれるボクの翼が、飽きられないようにと控えめにはためく。
こんなにも人間でいたがってるくせに、この人は度々自らヒトを逸脱しようとする。ボク相手に他のヒトには見せない顔をするのもそうだし、ボクのもっともヒトと違う部分に触れて、無遠慮に踏み込んでくるのもそう。教えてだなんて簡単に言ってくれるけどさ、教えたら知らなかった頃には戻れないけど、本当にいいのかな。
「……そんなの、齧って、おいしい?」
「味はしない。けど、フワフワする」
そんな当たり前の感想をもらいながら、ボクの翼は相変わらず好き放題されている。食まれて、舌でなぞられて、くすぐったくて声は出るし身体が変に熱い気もする。そんなボクの反応を面白がってるんだろうけど、本当に面白くなりそうなのはキミの方だって、教えてあげるべきなのかな。
そんなもの口に入れて、どうなっても知らないよ。ボクとしてはキミがどうかなってくれた方がずっと面白そうだから、やめろなんて言ってあげないし。
「……ピット?」
自分でも知らない間に笑ってたらしくて、訝しげな声が上から降ってきた。翼から唇が離れていって、それが惜しいと思ったから素直に翼で追い縋る。それらしいことを言って煽ろうかとも思ったけど、見抜かれるだろうし逆に冷静にさせちゃうだろうから、あえて何も言わずにおいた。
この先、キミはなにを選ぶのかな。
人間ではない自分を認めるのか、まとわりつく神の力を受け入れるのか、ただのか弱いヒトのふりを続けるのか。もしかしたらボクには想像もつかないような、全然違う選択だってあるかもしれない。
でも、キミがなにを選んだとしても、ボクはキミを尊重するよ。
出来ればボクと同じこの空に、このまま堕ちてきてほしいけど。
唐突にめちゃくちゃ忙しくて水曜まで連勤で瀕死。
