「そういえばさ」
控え室に満ちた沈黙をマルスの軽やかな声が破った瞬間、リンクは反射的に身体が強張るのを感じた。この見目麗しい如何にも温厚な王子様が、軽い世間話のように口を切ってくる時こそ厄介だからだ。第5回の大乱闘が始まって数年、それなりに長くなった付き合いの中で、リンクはそう学習していた。
だがマルスとの付き合い以上に長い宮仕えの経験が、王子の問いかけを無視するという選択肢を許すはずもない。リンクが帰り支度の手を止めてマルスの方に向き直ると、彼はにこやかな笑顔のまま話の続きを口にした。
「ピットと喧嘩でもしてる? 最近一緒にいるところを見ないけど」
「⋯⋯いえ。していません」
「そうなんだね。なにかあった?」
容赦ない追撃に、リンクは思わず押し黙った。ギャラリーの多くに「虫も殺せなさそう」だの「おとぎ話の王子様」だのと囃し立てられているマルスだが、実際の彼は戦争を指揮し、自らも戦場に立って剣を振るう、配下に無慈悲な為政者だ。確かに甘やかな外見には威圧感など無いに等しいが、見る者が見れば彼が内面に隠した凄まじい重圧を嗅ぎ取り、勝手に気圧されてしまう。マルスのそんな気質は、騎士であるリンクに対して特効だった。
かわすにしろごまかすにしろ、リンクにとってマルスは非常にやりにくい相手だ。彼を相手に己を偽るようなことは出来ない、と無意識に思考を引っ張られてしまう。
結局、いつも通りリンクは全面降伏のち服従を選択した。もっとも、マルス本人には圧力をかけているつもりなど、これっぽっちもないだろうが。
「⋯⋯先日話し合いまして、交際しているふりをしようと決めたのですが」
「交際しているふり? きみと、ピットが?」
「はい」
「そうなんだ。⋯⋯続きを聞こうか」
「はい。その⋯⋯それ以来、避けられています」
「えっと、まずそもそもなんで交際しているふりをしようなんて話になったの?」
マルスの疑問は至極もっともだ。リンクだって逆の立場なら真っ先に明らかにしておきたいと思う。出来ればマルスには話したくなかったが、仕方がない。リンクは腹を括って口を開いた。
「私の世間体のためです」
「……世間体」
「王子の耳にも届いているかもしれませんが、私とピットは一時期関係を邪推されていました」
仲間内でも、リンクとピットは仲が良いと思われている。スキンシップが激しいピットと一切拒まないリンクの姿は、第5回大乱闘の風物詩とまで言われたほどだ。一部の口さがない者たちの間ではもっと直接的に、付き合っているのではないかと実しやかに囁かれていたことすらある。
実際のところ、ピットとリンクは特別仲が良いというわけではなかった。先代リンクの件を発端として、紆余曲折の一言では収まらないくらいに色々あっただけだ。その色々のほとんどは他ファイターの預かり知らぬところで収束したため、端から見たらただの仲良しに見えるのも無理はない。人をよく見ているマルスならもう少し踏み込んだ事情を把握しているかもしれないが、それだって所詮推察の域を出ないだろう。
リンクとピットの間にあるものは、端的に言ってしまえば友情というよりは因縁だった。ピットはリンクに先代リンクの面影を追っていて、リンクはそれを許容している、それだけの話だ。ゴシップ誌が夢見るような浮ついた関係ではないのだが、つまらない事実よりは面白い妄想を有難がるのが世間というものだ。
「少し前に付き合ってるとかそうじゃないとか、そういう話が出てたのは知ってるよ」
「一般向けのゴシップ誌ではゼルダ様にはお見せできないような表現で低俗に書き立てられました」
「ああ、なるほどね」
得心が入ったとばかりにマルスが頷く。彼自身も忠実な臣下を多数抱えるだけあって、姫付きの近衛騎士であるリンクの心情の理解が早い。
「正式な交際を発表した方がマシなくらい、ふしだらな関係だと邪推された。それできみは世間体……というよりゼルダ様のために、ピットに協力を持ちかけたってことかな」
「はい。ピットは了承してくれましたが本意ではなく、それで避けられているのではないかと」
「いや、それは……。……どうだろうね、本人に聞いてみないと」
何かを言いかけたマルスは直前で思い直したかのように口を噤み、曖昧に笑って当たり障りのない言葉を並べた。
「世間を欺くなら不仲を演出する方法もあったと思うけど、逆方向に舵を切った理由は?」
「ピットと私の希望の折衷案です。ピットが私の家に入り浸っているのは事実で、彼の希望は現状維持。私は憶測を書き立てられる隙をなるべくなくせればなんでも良かったので」
「不仲設定だとピットを突き放すことになるけど、恋人同士なら足繁く通っても当たり前だからか。なるほどね、わかったよ」
ここまでの話で、マルスにとって必要なピースは揃ったらしい。彼は「これはあくまで僕の推測だけれど」と前置きをした上で、ピットの不可解な行動をこう結論づけた。
「照れてるんじゃないかな」
「……ピットが、ですか?」
「うん。ピットにも当てはまるかはわからないけど、名前や契約を人間以上に重視する神様は珍しくない。ピットときみの関係性に名前を付けること自体が、彼らにとっては一種の契約になり得るんだ」
「契約……。ふりをしているだけの、嘘でも?」
「嘘なのは『恋人同士』の部分だろう? きみたちが『共犯者』なのは、嘘じゃない」
それは詭弁や言葉遊びの類ではないかと思ったが、マルスは至極真面目に言っているようだ。リンクにとっては理解し難い話だが、得体のしれない神性を色濃く纏う彼が言うと妙な説得力がある。
しかし『共犯者』だなんて不名誉でしかない関係性に、照れる要素などあるだろうか。マルスの推論自体は概ね納得出来るが、それがピットの態度には繋がらない。まだ最初に考えた「本当は嫌だったから避けている」の方が筋が通るように思う。
そんなリンクの思考を見透かしたように、マルスはにこやかに言葉を続ける。
「神様ってそういうものだよ。よくわからないことですごく喜んで、よくわからない行動をするんだ」
「……ピットは天使ですが」
「ふふ、すごく惚気られてるみたいだね、その言い方」
からかうようなマルスの言葉に、リンクは思わず黙り込む。マルスは楽しげな表情はそのままに、押し黙るリンクの顔を覗き込んで「大丈夫だよ」と言った。
なにが「大丈夫」なのかはわからない。その言葉に安心するような、けれど否定したくもなるような、どこかむずがゆい気持ちが胸の上を這いずり回る。話してくれてありがとう、の一言を残して、マルスはにこにこと微笑んで手を振ると、先に控室を出て行った。
ぱたんと扉が閉じて、部屋に一人取り残されたリンクはため息をついた。やはり王族相手に私的な話などするものではないと痛感する。
緊張から解放されてずっしりと重い身体を引きずって、リンクは部屋の窓を開いた。窓額縁に肘をつき、そのすぐ下で気まずげに縮こまって座り込む人影をじっと見下ろす。
「だってさ。君、照れてたの?」
「……キミも王子さまも、ホンットに意地が悪いよね!」
最初から気付いてたくせに、と恨めしそうに睨んでくる天使の顔は真っ赤だったので、マルスとの考察対決は残念ながらリンクの完敗のようだった。
