お勧めしてもらったディズニー映画を観まして、その影響で『愛はなによりも強く世界は美しい…』みたいな話を差し出してくる脳に反発した一部の脳が『普段の薄暗くて救いようがなくてしょうもない話はどうしたオラァ!』と横殴りを入れた結果、すごいとっちらかった話が出来上がってしまったので中途半端はよくないなと思いました。
そんなわけで、学生リンハルトくんと先生の薄暗くて救いようがなくてしょうもないほのぼの添い寝話です。
緩やかに浮上した意識の中で、リンハルトが最初に感じたのは背中に寄り添う体温だった。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。枕の横には意識を手放す直前まで手にしていた本が閉じた状態で置かれているが、栞は寝台の下か敷布の中に紛れてしまったらしく、果たしてどこまで読んだかもわからない。
寝台は二人分の体温でしっとりとぬるく、少し汗ばむほどだった。この部屋には暖炉どころか暖を取るための魔道具の類もなく、常に冷え冷えとした空気が流れている。風こそ防げるものの気温は外と大して変わらない部屋だが、二人揃って掛布で覆われている間は冬の寒さなど忘れてしまう。涼を取ろうと手を掛布の外に出そうとしたリンハルトだが、腕ごと背中からがっちりと抱き込まれてしまっているため、それは叶わなかった。
リンハルトが夜な夜な担任教師であるベレトの部屋で寝台へ引きずり込まれるようになったのは、つい最近のことだ。独りではろくに微睡むことすら出来ないベレトを寝かしつけようとしたのが最初だった。手を握ったり身体を撫でさすったりしてみたものの大した効果はなく、焦れたリンハルトが冗談交じりに言った「添い寝してあげましょうか」の一言にベレトが思いがけず頷いたため、なし崩しにこうなった。最初はお互いに戸惑いが強く、同じ寝台にいながら妙な距離があったのだが、今では戸惑いも遠慮もすっかり消え失せてしまった。ベレトはリンハルトを抱き枕にしているし、リンハルトは抱き枕にされたまま時折寝落ちている。
唯一の肉親を目の前で喪い、心に深い傷を負って一時期は廃人のようになってしまっていたベレトは、立ち直ったかのように見える今でも独りになれば藻掻き、苦しみ、喘いでいた。あの日を思い出すのだろう、雨の夜は特に酷い。リンハルトがベレトの様子がおかしいことに気付いた夜も、しとしとと雨が降っていた。幾重もの偶然が重なり合って、リンハルトは彼の悲嘆に気がついたのだ。書庫の本棚の影で寝落ちていたのを巡回の警備兵にたまたま見つからず、夜半過ぎにこっそりと寮の自室へと帰る途中でベレトの部屋の前を通らなければ、或いは彼の小さな慟哭が雨にかき消されてリンハルトの耳に届かなければ、こうして二人で寄り添うこともなかったのだろう。
ふわあ、と一つあくびをして、リンハルトは身じろいだ。自分を抱きしめる腕の力は一向に弱まる気配がない。振りほどくほどの腕力も気力も意志もないリンハルトは、早々に抵抗を諦めて身体の力を抜いた。
「……先生、夜明け前には戻らないと。怒られるの、先生ですよ」
小声で宥めるように言ってみるものの、背中に引っ付いたベレトから返事はなく、代わりに抱きしめる腕の力が強まった。痛いですと文句を言えばすぐに緩まるが、離してくれる気はなさそうだ。窓の外からは微睡む前より弱まったとはいえ、未だ微かな雨音が聞こえてくる。空はまだ暗いが、地上近くが白み出すのもすぐのはずだ。
生徒が教師の自室に入り浸り、あまつさえ二人で寝台に潜り込んでいるなど、どう考えても不祥事である。露呈すれば怒られるなどという可愛らしい処分では済まないだろう。二人の間にはいかがわしい行為もやましい想いも何もないが、この状況でその事実が認められることは万に一つもあり得ない。それをわかっているからこそリンハルトは人目を忍び、この部屋へ出入りする時は神経を尖らせている。そのような警戒は自分の仕事ではないと内心で思っているが、仕方がないのだ。何しろリンハルトより遥かに重い処分を負わされるだろう肝心のベレトの方に、隠そうとする気が全くないのだから。妙なところで抜けている本人の気質故か、それとも自棄になっているのか。恐らく後者であると踏んだからこそ、リンハルトはこの件に関しては頼りない教師の分まで警戒せざるを得なかった。
「ね、先生」
「……まだ早い」
地団駄を踏む幼子のようなあからさまにいじけた声で言われたものだから、リンハルトはおもわず笑ってしまった。事が事だけに厳しく言わないといけないとわかってはいるものの、弛緩した雰囲気の中でしかつめらしい表情を保てる生真面目さをリンハルトは持ち合わせていない。背後ですっかり甘えきっているベレトの手に自分の手を重ねて、強張った甲を撫でさすって宥める。ベレトがリンハルトにどうしようもなく甘い優しさを向けてしまうのと同じで、リンハルトもベレトを底抜けに甘やかして教師の立場を忘れさせてやりたいのだ。不健全な共依存関係が築かれつつあることを認知していながら、リンハルトに立ち止まる気は一切なかった。
「先生ってその言葉で僕が喜ぶって、わかって言ってますよね」
「……さあ、どうかな」
「意地悪だなあ」
笑い声をこぼしながら、リンハルトはベレトの腕の中で寝返りを打つ。もぞもぞと落ち着ける位置を探しながら、リンハルトはごく至近距離にあるベレトの目を覗き込んだ。淡い翡翠色の中には微睡みや眠気の気配など欠片もない。今日は眠れなかったのか、それとも眠ったが早くも覚醒してしまったのか。どちらなのかは見つめただけではわからず、リンハルトはおもむろに伸ばした手で彼の頬を撫でる。ベレトはどこか満足げに目を細め、控えめに頬を手のひらへと擦り寄せてきた。その仕草と、一瞬その瞳の中に過ったとろんとした潤みを見て、眠れなかったのだろうと結論づける。彼に少しでも眠ってほしくて抱き枕に甘んじているリンハルトとしては、少しどころではなく歯痒い。
頬を撫でる手を肩へ、それから腕へと滑らせる。今もリンハルトの背中に回されているベレトの腕は、抱きしめる力をまったく緩めようとしない。最近はいつもそうだった。人目につかないよう真っ暗な内に帰ろうとするリンハルトを、ベレトは空がうっすら白み始める直前まで抱え込んで離さない。窓の外の暗い空を一瞥しては、今日のように「まだ早い」と囁くのだ。強く求められているようで嬉しい気持ちもあるが、不必要にリスクを高める不用心さに呆れる気持ちもある。今日は後者の気持ちが勝って、リンハルトは頑ななその腕を撫でながら口の端だけをつり上げた。
「まだってことは、いつかは手放されるんですね、僕」
「……君の方が意地悪だと思うが」
「単なる事実を述べただけですよ。実際、貴方は嫌がる素振りはしますけど、夜明け前になると聞き分けよくあっさり帰してくれるじゃないですか」
笑うリンハルトの口元を見つめるベレトの目が、すっと眇められた。少し機嫌を損ねてしまったことに、内心リンハルトは安堵する。どのような類のものであれ、ベレトが感情を発露してくれるのなら嬉しいのだ。あの日以来、彼は出会ったばかりの頃のように感情の窺えない無表情でいることが増えてしまったから。
そんなベレトを放ってはおけなくて、リンハルトはこの時間が少しでも長く続けばいいと思っている。可能な限り、誰かにバレるリスクは避けたい。一夜の逢瀬の時間が短くなっても、次の夜を二人で迎えられることの方が重要だ。長期的に見れば、リスクを最小限に抑えて慎重に動いた方が、より長く一緒にいられる。
理性がそんな打算を弾く横で、感情はいつまでも離さないでほしいと鳴き喚く代わりに「意地悪」な「単なる事実」を口にして歪に笑う。ここ最近こうした自分でもよくわからない思考に振り回されてばかりで、リンハルトは辟易している。心底から面倒だと思うのに、抱き枕役を辞退しようと考えたことは一度もないのが不思議だった。
彼からどういう言葉を引き出したいのかもわからないまま、リンハルトは自分を抱く腕を撫で続ける。ベレトは力を入れることも緩めることもせず、静かな瞳を向けるだけで何も言わない。まっすぐに射抜いてくるその視線に耐え難くなったリンハルトが目を逸らしかけた瞬間、見計らったかのようにベレトは緩やかに目を伏せると、その額をリンハルトの肩にうずめた。
「……先生?」
「……昔、ジェラルトが熊のぬいぐるみをくれたことがある」
くまのぬいぐるみ。あまりに場違いな単語を聞いて、リンハルトはおもわず心の中で復唱した。戦闘行動における隠語か何かだろうかと突拍子もない考えが過ぎるが、当然心当たりはない。頭に浮かぶのはふわふわの玩具を抱える真顔の教師で、リンハルトは言葉を見失って沈黙する。
「戦場に立ち始めたばかりの、幼い頃の話だ。今思えば剣にしか興味を示さない奇妙な子供に対する情操教育の一環だったのかもしれない。貰ったそれをどうすればいいのかわからなかった。団の者たちにぬいぐるみは使うものじゃない、大事に抱きしめていればいいと言われたから、その通りにして持ち歩いていた」
幼いベレトが熊のぬいぐるみを抱えている姿を想像しようとしたリンハルトだが、どうにも上手く像を結ばない。ぬいぐるみ以前に、幼少期の彼というのがしっくりこないのだ。この人にも子供の頃があったのか、などと考えてしまう。人間である以上今の姿で生まれてきたはずもないのだが、突然髪や目の色が変わる特異体質のことを考えるとあり得なくもないのではと思ってしまい、結果リンハルトの脳裏に浮かんだのは、熊のぬいぐるみを抱える成人男性の姿だった。
「……可愛いですね」
素直な感想を口にすれば、ベレトが微かに笑った。
「戦場でも持ち歩いていたんだ。誰か止めてくれたら良かったんだが」
「えっ」
「そのぬいぐるみがジェラルトからの贈り物だということは皆知っていた。団長が我が子に贈ったものだから、下手にからかったりもできなかったんだろう。珍しく子供らしい振る舞いをしているから、迂闊に触れられなかったのかもしれない。何より、片手が塞がっても任務に支障はなかった。だから誰も何も言わなかった」
ぬいぐるみを抱えた子供が、戦場で無情に剣を振るう。何もかもがちぐはぐで、リンハルトの豊かな想像力をもってしてもかつて現実にどこかで存在した光景とは思えなかった。かといってベレトがこんな嘘をつくはずもないので、実際にあったことなのだろう。
「自分なりに『大事に』していたつもりだった。ある日の戦場で、少し不覚を取った。死角から間合いを詰められて、気付いた時には真正面で斧を振り被られていた。当時は悪魔とも呼ばれていなかったし、子供と侮られて無謀に突撃されることも少なくなかったんだ」
危機的状況の話かと思えば、どうやらそうではないらしい。不覚を取ったとは命の危機に瀕したという意味ではなく、奪う必要のない命を奪った、あるいは契約外の労働をしたことを指しているようだ。リンハルトが知るベレトは戦場に立っている時でも頼りがいのある優しい教師だが、過去には確かに『灰色の悪魔』と恐れられるだけの所業があったのだろう。その片鱗が垣間見えるようで、微かな寒気が背筋を伝う。
頭上に振り下ろされる斧をただ見つめる、ぬいぐるみを抱えて片手に剣を隠し持つ幼気な子供。どうにも想像しにくかった幼少期の姿がようやくおぼろげに見えたところで、ベレトは先を続けた。
「咄嗟に持っていたぬいぐるみを相手の顔面に投げつけて、怯んだ一瞬の隙を突いて相手の首を刎ねた。……投げつけたぬいぐるみの首も、ついでに」
上がる血しぶき、真っ赤に染まるぬいぐるみ、転がる二つの首、首。凄惨な光景ばかりが鮮明に浮かび、リンハルトは息を飲み込んで嗚咽を堪えた。想像力の豊かさがこんなところばかりに発揮されるようになったのは、課題で度々悍ましい戦場に追い立てられているせいかもしれない。
ベレトの手が、そっとリンハルトの背を撫でる。むずがる子を宥めるような、優しい手つきだった。
「死体もぬいぐるみも、その場に捨て置いた。『後処理』は自分の仕事ではなかったから。そのまま皆と合流して、団の本拠地に帰った。ぬいぐるみがなくなっていることについては誰も触れなかった。ジェラルトも、何も言わなかったよ」
ベレトはそこで言葉を切ると顔を上げ、リンハルトと距離をとった。と言っても狭い寝台に並んで転がっている以上、離れるにしても限度がある。距離的には十分近いはずなのに、ほどかれてしまった腕の重さや熱の代わりに妙な寒々しさがまとわりついているようで、リンハルトはそっと身を竦ませた。掛布のほんの少しあいた隙間に、冷たい空気が流れ込んでくる。さっきまではまったく気にならなかったそれが、今は何故かやたらと肌を逆撫でた。
「……そういう人間だと、自分が一番知っているんだ。あまり煽らないでくれ。君はもう少し、危機感を持った方がいい」
「煽るなってことは、僕の言葉ってそれなりに響いてるんですね。嬉しいなあ」
「リンハルト、そういうことじゃない」
「僕は可愛いぬいぐるみではないので。大人しく目眩ましの道具にされたりしませんし、捨て置かれても勝手に戻ってきますよ。諦めてください」
「……だから、煽るなと」
困り果てたベレトが目を逸らすのを、リンハルトはどこか愉快な気持ちで眺めた。彼の言葉を聞いていないわけではない。語られた過去を取り合っていないわけでもない。彼がその剣戟一つで吐き気を催す悍ましい光景を作れることなど、とっくの昔に知っている。その上でリンハルトは彼の傍に寄り添っているのだ。リンハルトからしてみれば、わかっていないのはベレトの方だ。
――手放したくないのなら、そう言ってくれればいいのに。
ようやく自分が彼から引き出したい言葉の輪郭を見つけて、リンハルトは薄く笑う。なんて他愛もない言葉を欲しているのだろう。これしきのことを言い淀んでいるベレトの臆病さに、こみ上げる笑いを抑えきれない。
ベレトがそう告げたところで、リンハルトの行動は何一つ変わらない。雨の夜もそうでない夜も、気が向けばこの部屋を訪って、彼の安らかな眠りの助けに体温を分ける。そして誰にも知られないように、空が白む前には自室に戻る。あり得ない話だが、たとえベレトに帰らないでくれと泣いて縋られようが、リンハルトは「また今夜来ますから」と一言置いてさっさと帰るだろう。そうすることがこの夜を長く続ける最良の方法だと、理性が判断しているからだ。
ベレトが今日までに何度も飲み込んでいる言葉は、その程度のものでしかない。こぼしたところでリンハルトの首は落ちないし、血溜まりの中に倒れたりもしない。満足に眠れていないから、こんな簡単なこともわからなくなるのだ。それほどに癒えきらない傷を隠して頼れる教師を演じる昼間の彼が健気で、気の毒で、途方もなく弱く儚く思えてならない。
所在なさげに視線を逸らすベレトに手を伸ばして、その背にそっと手を回す。抱き枕にされるのは慣れきってしまったが、思えばリンハルトが彼を抱きしめるのはこれが初めてだった。
「先生、さすがに眠いでしょう。今日は僕と一緒に昼寝しませんか?」
「……そういう、わけには」
「ですよねえ、授業もありますし。じゃあ、今晩は少し早めに来ます。なので、今日はちゃんと寝ましょうね」
「リンハルト、これ以上は」
「嫌なら僕が来ても扉を開けなければいいんですよ。無理強いはしません」
念を押すように、抱きしめる腕に力をこめる。ベレトは抵抗しなかったが、抱きしめ返されることもなかった。
窓の外はまだ暗かったが、いつの間にか雨音はすっかり止んでいた。ベレトの背をひと撫でして、リンハルトは身を起こす。枕に頭を預けたまま目だけで見上げてくるベレトはまるで幼子で、欠片も持ち合わせていないはずの父性を擽られているような錯覚を覚えた。
「僕は先生の昔話より、貴方が僕にくれた言葉の方を信じますよ。言ってくれたじゃないですか、自分が生きている限り死なせないって」
驚きに瞠られたベレトの目を手のひらで覆い、その上にそっと唇を落とす。ぬるくも冷たくもない自分の手は安らぎをもたらすには力不足だと思ったが、手の下の瞼が緩やかに下りていくのを感じ取って、リンハルトは安堵する。
しばらくそのまま視界を遮っていると、やがてベレトの呼吸がゆっくりと速度を落とし、その身体から力が抜けていくのが見て取れた。
「……おやすみなさい、先生」
囁いて唇を、手を離す。現れた寝顔はどこか泣き出しそうにも見えて、お世辞にも安らかとは言えなかった。それでも、夜が明けるまでのほんの少しの間でも、何も考える必要のない夢の中にいてほしいと願わずにはいられない。
息を殺して、リンハルトはベレトの寝顔を見つめた。もう一度、今度は直接触れたいと思うのにそれが出来ないのは、起こしてしまう懸念のためか、はたまた他の理由があるのか。浮かんだ疑問を飲み下して立ち上がる。足音を忍ばせて音もなく扉を開閉するのは、もう造作もないことだった。
